第10話 顔合わせの宴(前編)




 園林ていえんは、まさに梅の花の見頃だった。紅白の梅の花弁が風に舞い、蝋梅ろうばいの甘い香りがあたりに立ちこめている。濁りひとつない池の水面は晴天を映し、鯉が優雅に青の中を泳いでいる。

 

 広大な園林の池の畔に設けられた観覧席には着飾った異術妃達が座り、酒宴の開始を今かいまかと待ちわびている。


 今日は皆が待ちに待った皇太子との顔合わせ、酒宴の日だ。

 

 私は腕を擦りながら妃達が座る席の後ろから園林を見渡した。


「さっすが後宮、東宮の宴といったところ……へっくしゅん!」


 寒空の下で宴の開始を待っていて、もう寒さの限界だった。くしゃみが止まらない。

 くしゃみをする度に頭の簪から下がっているぎょくがぶつかって音を立てる。人生で一番きちんと結い上げた髪は想像以上に重く、動きづらい。裾子スカートも長いし、何より化粧をしているので安易に顔に触れないのが苦痛だった。

 今日は侍女も妃のお付きとして参加する。当日は桃春とうしゅんから絶対に留守番を言いつけられると思っていたのに、予想外に衣装を用意されていて参加することになってしまった。

 

 美しい侍女を従えることは、妃の格に繋がる。特に今日のような妃が一斉に集まる場では、とにかく見栄え重視で侍女もごてごてに着飾って妃の引き立て役となる。つまり、今日の私は桃春の装飾品というわけだ。私のような女でも、いないよりいた方がいいと判断されたんだろう。


 今日が異術妃を公式にお披露目する宴であったためか、後宮に入ってから今日に至るまでの一ヶ月半の間、皇太子が後宮へ足を運ぶことは一度もなかった。よって妃達の意気込みはものすごいものがある。絶対に皇太子の目に留まってやるぞという意気込みだ。


「寒い……限界……」

 

 着付けをしてくれた阿子あこにこれじゃ鼻水が垂れても拭けないと言うと、こんな格好で鼻水を垂らすこと自体おかしいですよ、でも鼻水が垂れたらあたしが拭きに行きますねと輝く顔で言われた。おかしくないかな。

 しかしそんな阿子は下女で園林には立ち入れないため、部屋で待機となっている。落ち込んでいたから後でお菓子でも差し入れに行こう。


柊月しゅうげつ!」


 桃春が私を呼びつけた。

 桃春は赤を基調とした半臂はんぴに金糸で桃の刺繍を施した帔帛ひはくを掛け、自慢の黒髪を結って背中に流している。傍目に見て、他の妃達より美しさも衣装の豪華さも、桃春が頭一つ抜けていた。


「宴が始まるわ。せっかく着飾らせてやったのに、なにをもたもたしているの?」


 桃春の真っ赤な紅をつけた唇はよく目立つ。扇情的に開けられた胸元からは豊満な谷間が見え、より女らしさを強調していた。いつも大きな胸が今日はずっと大きく見える。

 そんな桃春がぐいと私の耳元に口を寄せた。


「最後にいい思いをさせてあげてるんだから、感謝してくださいね、お姉様?」


 最後に……つまりは、近日中に私を解雇して追い出すぞという意味だ。

 ようやくこの侍女の仕事も終わりが見えてきた。内心にんまりである。


 桃春の横に座っている異術妃その一は、私のことを頭からつま先まで値踏みするようにじろじろと見た後、ふふと笑った。


「この侍女が例の使えない侍女ですか? そんな方をちゃんと側に置いて差し上げるなんて、藍妃様はお優しい」


 藍妃とは桃春のことだ。未だ後宮内での位がない妃は、互いのことを呼ぶのに家の名を使う。


「まあ、ありがとうございます。家から連れてきた侍女ですし、無碍にはできませんわ」


 桃春がにっこりと笑う。後々解雇しようとしているのによく言う。

 

「柊月、私の簪を直してちょうだい。それくらいならあなたでもできるでしょう?」


 桃春が私に側に膝をつくよう促す。

 私は黙って従って、彼女の斜めになっていた簪を直す。

 そのときに意図的に彼女の首筋に触れた。何か読めるものがないかと思ったのだ。チリリと指先に痛みが走る。


 ……なるほどなるほど。これは収穫だ。

 今日の桃春は胸に詰め物をしている。どうりで胸がいつもより大きいわけだ。しかもその詰め物は首の後ろで紐で結んでいてそれが緩まないかずっと気になっている、と。

 

 少しくらい反撃しても構わないだろうか。私は立ち上がる途中で桃春の耳元に口元を寄せた。先程の桃春と同じだ。


「すみません、首元から何かの紐が出ているのですが、襦袢でしょうか? 中にきちんとしまいますので、触ってもよろしいでしょうか」

 

「なっ……!?」


 かあっと桃春の顔が赤くなる。さっと襟足に手を当てて紐を確認している。


「別にいいわよ! 触らないで!!」


 桃春の慌てた様子に、私は不思議そうな顔を作って身体を離した。

 横に座っている妃は不思議そうな顔で桃春と私を見比べていた。彼女にも聞こえないくらいの音量で話したので、さっきの内容は聞かれていないはずだ。

 

「藍妃様? どうされました?」


「なっ、何でもないですわ!」


 桃春が私を睨みつける。


「柊月、あなたは他の侍女の中でも一番後ろで待機してなさい!」

 

「かしこまりました」


 礼をして後ろに下がる。桃春に背を向けたところでふふと笑いが漏れた。

 あの慌てた様子、面白かった。他の侍女らも怪訝そうな顔で私を見てくるが、そんなことも気にならないくらい私は気分がよかった。今までの鬱憤もあったし小さな小さな意趣返しができて私は満足だ。


「――ねえ、柊月。柊月ったら」


 ぼーっとしていたところを突然後ろから袖を引かれ、慌てで振り返る。


「何度も呼んだのよ? どうしたの? ぼーっとしちゃって」

 

「すみません、瑠杏るあん玉鈴ぎょくりんでしたか」

 

「もうそろそろ宴が始まるわ。前に行きましょ!」


 瑠杏と玉鈴も私と同じ形の仕立てのいい上下の揃いを身につけ、薄紅の花飾りを頭に差している。


「すみません、私は後方で待機と桃春様に言われているので」

 

「えーもったいない! せっかく美貌の皇太子殿下と間近でお会いできるいい機会なのに!」

 

「私なんかが皇太子殿下と会っても特に何もないので」


 私の言葉に瑠杏は首を振る。

 

「もー! わかってないわね! むかーしむかし、無術者宮女が見初められて妃に上がったってこともあるのよ! 侍女にだって下剋上の機会はあるのよ!!」


 拳を握る瑠杏の瞳は野心に燃えていた。


 異術者だけが妃になれるわけではなく、当然無術者も妃になることができる。当然異術者の方が優遇されるので、無術者で妃となる者はこれまでの記録を見てもとても少ないのが現状だが。

 

 今の皇太子の後宮には異術妃しかいないが、これから皇太子が望めば確かに無術者の妃も増えるかもしれない。


「侍女から妃って、そんな御伽噺おとぎばなしみたいなことそうそうありますかね」

 

「夢のないこと言わないで! 少しでも望みがあるなら、それに賭けるに決まっているでしょう!?」


 私の夢もへったくれもない発言にも瑠杏はめげない。胸の前で手を組んで謳うように続ける。


「皇太子の黄悧珀こうりはく様には夢が詰まってるのよ! 文武両道で、浮いた噂もなくて、おまけに絶世の美男子! 生母の美燦賢妃びさんけんぴさまが西胡のお生まれなこともあって、顔立ちも私達と少し違うというか。肌も真っ白で絵に描いたような美丈夫なのよ! ね、素敵でしょ!?」

「ええ、まあ」


 がしりと掴まれた手の勢いに押されて私はカクカク頷く。玉鈴は呆れたように肩をすくめる。

 

「毎度よく言うわねぇ〜。見た目はいいかもしれないねど、相手は『変わり者の第三皇子』よ。私達みたいな小娘が相手にできる方じゃないわ」

 

「『変わり者の第三皇子』?」

 

「あら、柊月知らないの?悧珀殿下のあだ名よ」


 私が首を傾げると玉鈴がふふと笑う。


「皇子なのによく市井に降りたり、着飾ることがお嫌いだったり。殿下自身は悪い人ではなさそうなんだけど、なにかと型破りな変わった方なのよ。臣下の間でも合う合わないがはっきり分かれるって聞くわ」

 

「へえ」

 

「でもこれは噂に過ぎないしねぇ。私達女官如きが推し量れる方じゃないってことよ〜」

 

 わかったようなわからないような。

 一つわかることは、皇太子殿下は私には一生縁のない人だからどんな人でも別に興味ない、ということだけだ。

 玉鈴の説明に瑠杏がむくれる。


「どんな人だろうと顔が良ければ全て解決よ!私は気にしないわ」

 

「まあ〜強気ねぇ。でも叶わないことでも夢見るくらいは許されるものねぇ」

 

「玉鈴、辛辣」


 そうかしらと玉鈴がふんわり肩をすくめる。


 そこに、カンカンと高い鐘の音が園林全体に響いた。騒がしかった話し声が一気に静まり返る。


「そろそろ始まるわ。それじゃ、私達は前の方にいくわね!」

 

「またね〜柊月〜」

 

「はい、また後で」


 二人が手を振って妃の観覧席近くに向かう。私はそのまま侍女らの人垣から外れた後ろにいることにした。



 

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