最終話 これにて終幕




柊月しゅうげつ様、お休みになられるのは結構ですが、日差しに当たりすぎるのはよくありませんよ」


 ぼーっと窓辺で伸びる私に、阿子あこがよいしょと日除けの衝立を立ててくれた。

 

「ありがとうございます。何だかんだ気が抜けてしまって……」 


 私は襦袢のまま、昼日中に窓辺で伸びていた。

  

 これまでの騒動が嘘のように、私は静かで平穏な毎日を送っていた。目の前には茶菓子と湯気を立てる茶杯。窓からは気持ちのいい風が入ってきている。

 

 藍家の騒動はあの後、悧珀りはくの沙汰により終止符が打たれた。

 

 えん妃こと私、藍柊月の殺害を企てたとして桃春とうしゅんは後宮及び首都陽威よういからの追放となった。そして両親は、私へ後宮の規則を破り何度も書簡と密偵を送り付けてきていたことと桃春の件の責任を取らされ、当主の座を降ろされた。現在は屋敷から自由に出ることを禁じられ、実質の軟禁状態となっている。動向次第では、更に重い処罰が下ると聞いている。


 代わりに藍家の当主となったのは、弱冠十四歳の私の弟、藍禎祥ていしょうだ。悧珀が皇城近くに別邸をあてがってくれ、居を構えたと聞いた。私はほとんど顔を合わせたことがないのでどういう子なのかあまりわからないのだが、実際に会ったらしい悧珀曰く、歳の割にしっかりした子とのことだ。両親と離れて暮らしていたことで変な影響を貰わなかったのかもね、と。藍家は暫く落ち着かないだろうが、悧珀も目をかけてくれるそうで立て直しができたらいいと思う。

  

「柊月様〜、こちらに本を置いておきますね〜」


「ねえ! 勝手に私の分まで持って行かないでよ!」


 思考を遮るように私の目の前に大量の本が置かれた。続けてひょいと顔を覗き込まれる。


「顔が赤いですよ。日の当たりすぎでは?」


 心配そうに私の垂れた前髪を横に避けてくれる。

 

 そうだった、忘れていた。今日から琉杏るあん玉鈴ぎょくりんが私の侍女となったのだ。


「そんなことありません。もともとこんな顔色です」


「嘘ですよぉ、普段はもっと青白いですぅ〜」


「琉杏、失礼よ」

 

 玉鈴と琉杏のやりとりに女官の頃を思い出す。私は笑って窓辺から身体を起こした。

 

 一時、琉杏達は桃春の件を悧珀に全て話したことの恩赦で、後宮とは別の部署で女官から宮女へ降格した上で働き続けるという案が出ていた。しかし、私がもし可能なら女官のまま、私の侍女として招けないかと悧珀に提案した。異術でもって彼女達に悪意が一切ないことはわかっているからと悧珀を説得したが、なかなかに手こずった。本意でないにせよ一度不祥事のあった女官を側につけるのはよくないと心配する悧珀を説き伏せ、次何かあれば容赦しないという約定のもと、二人は私の侍女となったのだった。

 阿子とも仲良く三人でわいわいと働く姿を見れて、私まで楽しくなる。

 

 玉鈴が私の近くまで来ると、ふんわりと微笑んだ。

 

「柊月様、本当にありがとうございました。おかげで今までと変わらず働くことができて、とても嬉しいです」


「やめてください。敬語じゃなくてもいいと言ったじゃないですか」


「ふふ、それなら貴女も友達なのに出会ったときからずっと私達に敬語だったじゃないですか」


「それは私の癖で……」


 むむと口を尖らすと、琉杏も横に来た。


「私達、ここを出たら多分まともに働けないと思うので、今回後宮に女官のまま残れて嬉しいんです。お給料が下がると家への仕送りができなくなるから……」


 二人の家は貧民街の出で兄弟も多く、家族の日々の暮らしのためにも働き続けなくてはいけないのだと聞いた。

 玉鈴も琉杏の言葉に同意していたが、あっと小さな声を漏らした。

  

「あ、そうです! 私の母に柊月様のことをお話したら、とても驚いて喜んでいたんですよ」


「御母上にですか?」


「はい! 陽威で|青果店を営んでいるんです。ちょうという名前に聞き覚えはありませんか?」


「趙…………」


 趙、青果店。

 記憶を探ると、路地裏に埋もれるようにしていつもひっそり開いている小さな青果店を思い出す。春節の飾りに埋もれるようにして開いていた、あの青果店――。

 

「もしかして……皇城近くにある路地裏の青果店ですか!?」


「はい! そうです!」


 玉鈴が何度も頷く。


「藍家の柊月様のお名前を出すと、もしかしてって話してくれまして。何度も買い出しで来てくれた柊月という娘さんがいたと言っていて、見た目とちょうど来なくなった時期が柊月様が後宮に上がった時期と同じだったので……! あれは私の母なんです」


「そんな。そうだったんですか」


 懐かしい。青果店の趙さん。最後にあったのがとうの昔のように感じる。まさか巡り巡って、彼女の娘である玉鈴とこうした形で出会うなんて。


「母が、いつかまたお会いしたい、非礼を詫たいと言っていました。まさか柊月様が藍家の方とは思っていなかったようで……お立場がお立場ですし、叶わないとは思いますが……」


「いいえ、きっと会えますよ。今度悧珀様にお話してみます……!」


 私が拳を握ると、後ろからすっと紙束が差し出された。


「やめてください。また悧珀様と出奔なさるおつもりですか」


 振り返ると、書類片手に明睿が渋い顔をしていた。


「そんなことしません。きちんと正規の手順を踏みますよ」


「口ではなんとでも言えます」


 明睿のじとりとした目に私は顔をそらした。


 明睿は今までしていた女装を解いて、宦官の服装に戻っていた。私の周囲に人が増えてきたため、もう女に化けなくてもいいだろうと悧珀が判断して最近変わったのだ。 

 阿子は明睿の変化に目をひん剥いて驚いていた。意外とバレないものだなと、明睿も自身の女装の腕に満更でもない顔をしていた。

 明睿も女装を解いたことで素が出てきたのか、たまに辛辣な言葉遣いが出てきていて。私としては距離が縮まったようで嬉しい変化だった。


太子妃選儀たいしひせんぎは予定通り来週に執り行われるようです。こちら、儀礼の細かい作法を纏めてありますのでよく読んでおいてください」


 明睿が差し出していた紙束を受け取る。結構分厚い。一度学んだこととはいえ、不安なのでちゃんと見直しておこう。


「ありがとうございます」


「それと、一刻後に桂花宮けいかきゅうに悧珀様がお越しになるそうです。お支度を」


「今から、ですか。わかりました」


 窓の外はまだまだ明るい真っ昼間だ。藍家の騒動以来会っていないのでそろそろ来るだろうと思っていたが、やっぱり急だ。

 崩れた襦袢の襟を直し、髪を撫で付ける。

 少しソワソワするのは、多分久しぶりに会うせいだけじゃない。


 今回の件で、私は悧珀への感謝の念を感じずにはいられなかった。

 私の知らないところで悧珀は私を藍家からずっと守ってくれていた。私に何も知らせず、藍家絡みのことは全て悧珀が指示を出して内々に処理してくれていたと明睿めいえいから聞いた。

 こんな私のために、悧珀が心を砕いてくれていた事実に胸の奥がじんわりと温かくなる。ちゃんと私といい関係を築きたいと言ってくれたときから、悧珀は私のことを見てくれていた。

 

 嬉しい。とても、嬉しかった。

 感謝と同じくらい、悧珀への別の想いが湧く。


 多分、私は彼のことを――。


 ううん、今考え出すと彼に会ったときに変な態度をとりそうだから止めておこう。

  

 私は一刻しかないこともあり、阿子達三人に服を急いで変えてもらって出迎えるために明睿と居室を出た。すると、ちょうど走廊を悧珀が渡ってくるところだった。私の姿を認めると、にこりと悧珀が微笑む。


「柊月――」


「あっ! お姉様!!!」


 悧珀の長身に隠れて見えなかったが、瑶もいたようだ。瑶は悧珀の後ろから飛び出すと、小走りで駆けて私の胸に飛び込んできた。


「お姉様! 今から庭を散策しませんか?」


「君は僕に無理矢理くっついて来ただけなんだろう。少しは遠慮という言葉を覚えたら?」


「まあ、聞こえませんわ」


 瑶と悧珀の小競り合いはいつものことだ。

 

 瑶は今日も輝くばかりの美しさで、黙っていれば誰もが振り返る美少女だ。ものすごい三白眼で悧珀を睨んで威嚇しているが、それすら飲み込めるほど瑶は可愛らしい。

 隣の悧珀のかんばせも輝いている。長髪を耳にかけ、腕組みをして瑶の言い分を聞き流しているだけなのに、それだけで様になる。二人が並んでいると絵巻物のようだ。

 私よりずっとお似合いの二人だな、なんて。ぼんやりと考えてしまった。


「柊月様、上衣が落ちます」


 瑶の重みで肩からずり落ちる上衣を横から明睿が押さえてくれる。


「明睿、ありがとうございます」


「前々から思っていましたが、柊月様は厄介な方に執着される星の下に生まれてらつしゃるのでしょうね」


「ははは……」


 否定できないのが悲しい。

 乾いた笑いを漏らしていると、急に悧珀が近寄ってきて私の肩を掴んだ。そして引っ付く瑶と明睿から私を引き離す。

 

「明睿、ベタベタと触りすぎだよ」

 

 明睿は悧珀を見やり、くいと口角を上げた。

 

「職務範囲内の行為だと思いますが。嫉妬ですか?」


「うるさい」


 悧珀は明睿をじとりと睨むと私の肩を抱いた。 

 

「金妃もあっちに行って。ほら、柊月行こう」


 連れて行かれるまま、足早に走廊の奥へと進む。掴まれている肩が熱く感じる。明睿に取り押さえられた瑶は追ってこれない。瑶の文句が段々と遠くなっていく中で、悧珀が頭上ではあとため息をついた。


「アレは本当にどうにかならないのかな。節度というものがあるだろうに」


「瑶はようやくしょう家のご当主から離れられて、太子妃争いからも自由になれたのですから。あれが素なんでしょう。私は気にしませんし、好きにさせてあげたらいいと思うのですが」


「……君がいいならいいんだけど」


 呆れた様子の悧珀に私も笑いが溢れる。

 今回の一件、瑶はやはり私がいなかったあの場で悧珀と密約を結んでいたらしく、一切関与していないものとして処理されていた。瑶は悧珀の毒殺を企てていない、毒の調達も行っていない……全て悧珀によってなかったことにされていた。当然琉杏と玉鈴にも箝口令が敷かれている。瑶が一枚噛んでいたことは他言無用、墓場まで持っていけと脅されたらしい。

 

 悧珀と瑶は動機は違えど、藍家と桃春を一掃するため、という利害のもと、結託したのだ。

 おかげで瑶は今までと変わりなく生活できており、太子妃に選ばれなかったという一点で金家と鐘家にしこたま絞られているようだが、本人は気にした様子もなかった。


 瑶曰く、『太子妃になれなくて困るのは、鐘家のお父様だけだもの。特別な稀物マレモノのわたくしを金家にあれこれ言って養子にまでしてもらってこのザマですもの。資金援助の話もなしになったと聞きましたし、ふふふふ、いい気味ですわぁ」


 瑶は強い子だった。

 私もこれくらいの精神力がほしいところだ。


「――柊月、今更だけど、勝手に家のことを進めて悪かったね。君にとってはどんな人達であれ、彼ら三人も家族だったろうに」


 悧珀に掴まれていた肩から彼の手が離れていく。周りを見渡すと、人影のない桂花宮の庭の外れに来ていた。

 私は隣の悧珀を見上げる。

 

「謝らないでください。私は後悔していませんし、むしろ感謝しています。何から何までありがとうございました。悧珀が全て取り仕切ってくださって……」


「僕が勝手に決めて動いただけだからね。僕がするのは当然だろう」


 悧珀の手が伸びてきて、私の顔にかかっていた髪を払う。


「柊月は後宮に来たときより血色がよくなったね」


「そうでしょうか」


「うん。健康そうになったよ」


 前は不健康そうだったと言外に言われている。それはそうだろう。まともに食べていなかったし、睡眠時間もあまりなかったから。


「それに綺麗になった」


 この人はたまにさらりと褒めてくる。

 私は気恥ずかしくなって悧珀の顔から胸元に目を落とした。悧珀は私の態度に笑う。

 

「後宮は狭いかもしれないけど、折角藍家から出たのだから、ここが柊月の新しい居場所になってくれたら嬉しいな」


 悧珀の裏表のない言葉が染みる。

 

 新しい居場所。

 ここは私がいてもいい場所なんだと言ってくれている。ずっと居場所のなかった私が、初めて必要とされる場所だ。

 

「悧珀、私をここへ連れてきてくださって、ありがとうございました。貴方に出会えて、よかった」


 無意識のうちに言葉が口から滑り落ちていた。


 藍家では知り得なかったこと、田舎で隠れてひっそりと暮らしていたら知ることができなかったこと。たくさんの新しい世界をここで知ることができた。良いことも悪いこともあるが、今となっては全て私の糧だ。あの時悧珀に出会わなければ、今の私はここにいない。巡り合わせというものがあるならば、私は悧珀に出会うべくして出会ったのだと思う。


 悧珀が目を見開き、そして破顔した。


「……君からその言葉が聞けるなんて思ってなかったな」


 初めて見る、満面の笑みだ。どこか幼さも感じる悧珀の笑顔にとくんと心臓が跳ねた。

 

 不意に顔に影が落ちる。頬に手を掛けられて、そのまま彼を見上げるように顔を上げられる。

 思いの外、悧珀の顔が近い。彼の頭越しに抜けるような青空が見える。


「ねぇ、今から僕が何をしようとしてるかわかる?」


「……わかってて聞いているなら意地が悪いです」


 頬に彼の温かな手がある。私に直接触れているのだ、彼の意図は全てみえている。

 そうでなくとも、さすがの私もここまでくれば馬鹿じゃない。場の雰囲気に流される前に、私も彼に言わなきゃいけないことがある。


「あの、悧珀、私……貴方のことが、」


 最後まで言い終わる前に、悧珀が軽く私の頬に口づけた。

  

「言わなくてもわかってるよ。僕は術者じゃないけど、君の表情を読むことくらいはできるんだ」


 いたずらっ子のような彼の表情に私は頬に熱が集まるのを感じた。

 

「ありがとう、柊月。――僕も君が好きだよ」


 ぐっと悧珀の顔が近づく。

 悧珀の気持ちも、これからされることもわかった上で。

 私は目を閉じた。


 藍家での苦しかった私の生活はおしまい。

 そして私の人生の第二幕の始まりだ。


 後宮での暮らしも、私と悧珀の関係も、まだまだこれからだ。


 

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後宮の異術妃 〜力を隠して生きていたら家から追放されました。清々して喜んでいたのに今度は皇太子に捕まりました 高里まつり @takasato_matsuri

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