第48話 決着のとき
明け方、
通された
壁に沿うようにずらりと並んだ人々は、服装からして半分は宦官だ。残り半分は外廷の役人達で、どう見ても
「
人垣が割れ、私を奥に通していく。庁堂の最奥の椅子には悧珀がいた。悧珀は私に腰掛けるよう促すと、にこりと微笑む。
「
「いえ、それはいいのですが、この場は一体」
「これからわかるよ」
悧珀は結い髪から落ちた髪を払い除けると、近くに来た
突如扉が開き、引っ立てられるようにして俯きがちに数名の男女が入室してきた。悧珀と私の前に跪く形で連れてこられた人物の顔を見て、思わず私は腰を浮かした。
「父様、母様、桃春……」
役人に後ろ手に縛られて連れてこられたのは、紛れもなく私の両親と桃春だった。
「ああ柊月!やっと会えた!こんなに立派になって……私の大事な大事な娘!助けてちょうだい!私達は事情も知らされないまま捕縛されて連れてこられたのよ!」
髪が解けて乱れた母が私を仰ぐ。横の父は押し黙って俯いており、桃春は苦虫を潰したような顔で私を睨んでいた。
「悧珀様、これは……」
「聞かなくていい、柊月。僕が進める」
悧珀の横に立つ緑紹が小声で侍官らに指示をする。いつの間にか私の近くにやっていた明睿は、宦官の服装をしていた。初めて見る明睿の素の姿だが、違和感はない。どんな姿でも明睿は美人だ。
明睿は三歩下がって悧珀と私の後ろに控えた。悧珀は足元の三人を見下ろす。
「まずこの場に貴方方を呼んだ理由はいくつかある。……思い当たる節があるんじゃないかな、藍妃」
桃春の肩が揺れる。
「君が侍女を使って燕妃を毒殺しようとしていたことについては、既に証拠が上がっている」
「毒殺!? 桃春、お前……!」
それまでだんまりだった父の顔色が変わり、桃春の腕を掴む。両親は後宮の内情を知らされていないようだった。
「藍妃の侍女である
悧珀が懐から例の小瓶を取り出す。桃春の目の前で小瓶を振ると、桃春は目をそらした。
「何かの間違いですわ。琉杏と玉鈴の虚言です」
「尚食の帳簿と照らし合わせても在庫の数が合わない。誰かがこれを盗ったことは明白だ。仮にもし琉杏と玉鈴の二人が独断でやったのだとしたら、それはそれで主人たる君が責任をとらねばね」
それでも桃春の態度は変わらない。
「琉杏も玉鈴も好きに処分していただいて構いませんわ。私には関係のないことです」
「そう。あくまで知らないと言い張るんだね」
悧珀の声が一段低くなる。桃春の横で両親が顔色悪く押し黙っていた。
そのとき、軽やかな足取りとともに
「殿下、そのように決めつけで話しては藍妃様が萎縮しますわ」
瑶は薄絹の裾子を揺らして、するりと私の横に座った。さり気なく手を握られる。
「藍妃様がやっていないとおっしゃるのなら、きっとそうですわ。ならその侍女とやらを早々に処分して解決してしまいましょう。ねえ、柊月お姉様さま?」
『話を合わせてくださいまし』
瑶の心の声が聞こえる。悧珀の様子を伺うも、顔色一つ変わっていない。何も言わないところを見ると、二人が裏で示し合わせているのだろう。昨日聞いた瑶の話から推察するに、悧珀は毒殺の罪を全て桃春に被せる気なのだ。しかし桃春は毒殺の件を認めるわけがない。ここからどう進める気なのか。
私の心境など知る由もなく、瑶は桃春を見下ろして、にこりと微笑んだ。
「実の姉が太子妃となるのに喜ばない方が何処にいるのでしょう? ましてや毒殺だなんてありえませんわ」
瑶が鈴を転がすように笑うのと、桃春が声を漏らすのは同時だった。
「太子妃は瑶様ではなく、お姉様なのですか?」
「はい、わたくしに務まる役ではございませんもの」
瑶が愛らしく微笑んで私の手を更に強く握る。
これを言えと言うのか。
術を介して瑶に言えと言われる内容をそのまま口に乗せる。
「瑶に背中を押されて、ようやく太子妃となる決心がつきました。貴女のおかげです、可愛い妹の、瑶……?」
最後の一言が本当に必要だったのか謎だ。でも瑶が本気で喜んでいることは伝わってきた。
そんな私達の水面下のやりとりを知らない桃春は、はっとした顔で私と瑶を交互に見やる。
「……それは瑶様が自ら太子妃候補から辞退されたという意味ですか?」
「ええ、勿論。わたくしは初めから柊月様がなるべきだと思っておりましたもの」
桃春が父の腕を振り払って瑶を睨む。
「そんな、よくもそんなことを」
態度の変わった桃春に瑶がまぁと声を上げる。
「一体何をそんなに怒ってらっしゃるのですか?」
「貴女はとんだ嘘つきだわ!!」
桃春は一歩前へ出て悧珀の側に寄る。
「殿下、玉妃様は嘘をついております!私に毒を調達するよう命じたのは彼女です!お姉様を退けて自身が太子妃になるために、私に指示したのです!」
「へえ、そうなのかい?玉妃」
悧珀が足元の桃春を見下ろす。瑶は小首を傾げる。
「毒の調達を頼んだ覚えはないのですが……」
「何を白々しい!!」
「だって、わたくしは確かに藍妃様に
「……は?」
桃春の顔が歪む。瑶は芝居がかった仕草で肩をすくめる。
「そもそも私は太子妃になりたいなどと言った覚えは一度もありませんし。柊月様のことを素晴らしい方だと褒めた記憶しかありません」
瑶の完璧な笑みが桃春に追い打ちをかける。
「それをまさか、勝手に解釈してわたくしが太子妃になりたいがために柊月様に毒を盛ろうとしたとでもお思いになられたんですの?それでご自身が先回りして盛ったんですか?」
事実とはいえ、完全に瑶の手の内で踊らされる形となった桃春に僅かだが同情する。ほんの僅かだが。
わざと桃春の証言を引きずり出すために私にけしかけさせたのか。瑶の独断ではないはずだ。
指示したのは、悧珀。
視界の端の悧珀を見やると、見たことのない冷徹な表情をしていた。
黄悧珀。
切れ者で冷静沈着。官吏としても特に弁が立つと言われた、無術者でありながら立太子の争いを切り抜けてきた一等優秀な皇太子。
彼は紛うことなき為政者だ。必要な駒を動かして采配を振るい、盤面を自分の思うように動かすことができる力を持つ人なのだ。
普段の飄々とした悧珀とは別の側面を見た気がして、背筋が寒くなった。
悧珀の指示通り、瑶の弁は続く。
「もしかして、ご自分が柊月お姉様に何か私怨などがおありになったのでは? それで私の計画に便乗する形で不満をぶつけになられた……違いますか?」
瑶の黒曜石のような瞳が弧を描く。
「可哀想なお人」
桃春の頬がさっと赤らむ。
「な、にを……!そんなわけ……!それに、何故あの女をお姉様などと!」
「まあ、尊敬する大切な方を姉と呼んで慕うのは普通のことでしょう?尊称とは相手を想うことで自然に出てくるもの。大切なのは血縁よりも相手を敬う気持ち、ですわ」
ちらと瑶が両親に視線を落とした。そして悧珀の冷えた眼差しも桃春達を射抜く。
「玉妃の言い分が本当なら、君が誇大解釈して暴走した結果、柊月に毒を盛ったということになるけど?」
「それは、そんなはずありません……だって……」
桃春の全身が震える。悧珀はため息をついて桃春の前に膝をついた。
「自分の間違いや欠点を認めたらどうだい?他責も程々にした方がいい。――君達が柊月にした仕打ち、忘れたわけじゃないよね?」
私の位置から殿下の声は聞こえないが、桃春の青ざめた顔からして何か言われたのだろう。
「藍
悧珀が立ち上がると、両親の顔が強張った。
「柊月を蔑ろにしてきたのに、彼女が良い立場になった途端にすり寄ってくる強欲さ、
密偵、書簡を送りつける?初耳の単語が並ぶ。
もしかしなくても私の知らないところで両親は何かしでかしてしまっていたのか。
長身の悧珀が凄むと迫力がすごい。両親と桃春どちらも、未だに何かの勘違いだと繰り返している。
「柊月!貴女が殿下にあることないこと吹き込んだのではないでしょうね!?」
「お姉様!私が無実だと殿下にお伝えして!」
私の袖に母の手がかかる。それを見て横の瑶が小さく舌打ちしたのが聞こえた。
これは私の問題。私の知らないところで悧珀と瑶は私を助けてくれようとしていた。その気持ちに頼るばかりではいけない。
私は、何か言おうと口を開きかけた悧珀を押し止めた。
「悧珀様、ありがとうございます。続きは私が話します」
「でも、柊月――」
「大丈夫です」
ここまでお膳立てしてくれた二人に感謝しなければならない。私自身が彼らとけじめをつけねば。
私が三人の前に膝をついて座ると、父が前に出てきた。
「殿下や金家の妃まで巻き込んで事を大きくしたのはお前か!多少きつい言い方をしたこともあったかもしれないが、今まで育ててやった恩を忘れたのか!」
久方ぶりに対面する父は、以前より少し太っていた。
「家に置いていてくださった恩は忘れていません。そもそも、私が出ていこうとしても引き止めていたのは貴方方でしょうが」
「なんだと!?」
怒りで公衆の面前だということを忘れているのか、父の口調は普段のものに戻っている。
対照的に、父の隣の母はいつに増して猫撫で声で私ににじり寄ってくる。
「柊月、私の可愛い娘。桃春の件も含めて、全て誤解だと殿下に説明してちょうだいな」
「そうよ、お姉様!私の侍女が勝手にやったと説得して!」
眉を釣り上げる桃春と母の擦り寄る手を避け、私は腰を屈める。周囲に声が漏れないよう、三人にしか聞こえないよう声を落とす。
「私が術者だと伝えるのが遅くなってしまい、申し訳ありません。家族のような親しい間柄なら術を明かすのが本来の姿なのに、今まで言えずにいました。ようやく決心がついたので、今日は私の術をお伝えしておこうと思います」
私は三人の顔を見渡してにこりと微笑む。
「私は
三人が息を呑むのがわかった。と同時に私に枷がかかるのがわかる。三人に明かした分だけ、私の力が減るのがわかる。それでもいい。私の術がこの場の抑止力になるのであれば、それは必要な対価だ。
「この場で嘘をつくのは得策ではありません。父様達の手を握って、今何を考えているのか、これまで何をしてきたのか、嘘をついているのかいないのか、ここで洗いざらいお話することだってできるんですよ」
私が手を伸ばすと、それを避けるように三人が後退りした。桃春はみるみるうちに青ざめていった。こうなるだろうとは思っていたが、あからさまに避けられるとそれはそれでいい気分ではなかった。
「お姉様、本当に稀物なの……?」
桃春が震える唇で呟く。
「なんでいつもいつもいつもお姉様ばかり恵まれるの……?お姉様がまた私から全てを奪っていく……どんなに頑張っても私には何も残らないのに……!!」
徐々に大きくなる桃春の悲鳴のような叫び。
と、背後から私の手が握られた。
「柊月」
悧珀だった。私よりずっと温かい手に、自分の手が冷えて緊張していたことを知る。
「もういいよ。柊月は何も悪くない」
悧珀に引かれて立ち上がる。
私を後ろにやると、悧珀が靴音を響かせて彼らの前に立った。その言葉と背中に安心感を覚える。
悧珀の明朗な声が庁堂に響く。
「さて、藍妃は悲劇の主人公のような顔をするのは止すことだ。君はもともと何も持っていない。君は柊月から居場所を奪い、親と家名の力を笠に着ていただけだろう」
桃春の目が見開かれる。
「藍家ご当主らもだ。格式ある
身も蓋もない。
悧珀の正論すぎる正論に両親も固まる。
パン、と悧珀が手を打ち、乾いた音が空間を切り裂く。
「さて、これ以上の申し開きがないのであれば、僕から貴方方に沙汰を伝えようかな」
藍家当主馬堪、
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