4話 自分の為の人生
予想通り、その言葉を聞いて真っ先に美穂がキレて立ち上がった。
夏美は興味がないのか冷めた目で由美を見つめ、なぜか芽衣子はにやにや笑っている。
「てめぇ、喧嘩売ってんのか? 初めて会う相手に何であたしらがそんなこと言われなきゃなんないんだよ!?」
全くだと亜紀も思う。
亜紀は3人分のジョッキをテーブルに置いて、由美の肩を抑えた。
しかし、由美は引く気はなかった。
「恥ずかしくないよ?」
そうあっさり答えたのは芽衣子だった。
芽衣子の後ろで夏美が深く息をつく。
「はぁ? 三十路過ぎて自立もしてない大人が何言ってんのよ! あんたみたいな能天気な人間がいるから、独り身の女が馬鹿にされるのよ!!」
由美の言葉に更に美穂が反応する。
亜紀は由美と美穂の間に入って、必死に2人を宥めていた。
「そんなに他人の目が気になる?」
芽衣子は再び由美に聞いた。
由美はむっとしたまま答えた。
「気にならない人間なんていないでしょ?」
「たしかに」
夏美は1人ビールを引き寄せて呟いた。
一体、夏美は誰の味方なのかわからない。
夏美の事だから誰の味方でもないのだろうが。
「まぁ、そうだよね。私も誹謗中傷とかされたら傷つくもん。けどさ、だからって他人の目ばっかり気にして自分の在り方を決めちゃうのも違くないかい?」
「はぁ?」
由美は芽衣子が何を言いたいのかわからない。
自分の在り方って何だと思った。
「30までに結婚しないとダメとか、正社員じゃないと認められないとか、他人が勝手に決めた水準だよね? 別にいつ結婚してもいいし、どんな働き方してもその人の自由だと思うよ。確かにね、国としては少しでも多くの人が結婚して、子供を産んでほしいとは思ってる。アルバイトなんかじゃなくて、正規雇用者が増えてほしいとも考えている。私たちはその国民の見本のような人間にはなれていないのは確かだけど、だからって法律違反ってこともないでしょう?」
「それはそうだけど……」
「超高齢者社会のために無理矢理国民に子供を産ませても、その後、その子供に両親と一緒に同居している率は何割なのだろうか。4人に1人は離婚している昨今。結婚にどのような理想が描けるのだろう。結婚そのものが悪いと言っているわけではないのだ。他人同士の同居生活がどれだけ困難かって話なのだよ。私たちは物事を安易に考え過ぎだ。結婚したら幸せ? しなければ不幸? それは誰が決めたんだい? 君が今後、子供が欲しくて出産しようというなら適齢期は確かにある。それで子供を産んで、君はその手で子供を幸せに出来る覚悟はあるのかい? 子供の父親が必ずその子供を受け入れるとは限らない。もしかしたら、君1人で育てなければならない境遇に立つこともある。人はもっと自分のすることに責任を取るべきだ」
変な女だと思った。
政治家の演説でも気取っているのかと思うぐらいおかしかった。
「何が言いたいのか、わかりやすく説明しなさいよ」
由美は芽衣子に向かって叫んだ。
芽衣子は驚いた顔のまま、後ろにいた夏美に難しかったかと聞いたが、夏美は興味がないと答えた。
「つまりね、私たちの生き方を君の勝手な価値観で評価されたくないって言ってるの。君が誰とどのような結婚生活を送ろうが君の自由だ。だからってそれを私たちに押し付けて、恥だとか言われたくないな」
なんでこんな女が飄々とした顔で生きていて、自分のように真面目に生きている人間が損をするのだろうと由美は思う。
価値観を押し付けているつもりはない。
ただ、世の中は不公平だと思っているのだ。
「あんたもこっち側にくればいいじゃない」
そう言い出したのは美穂だった。
あまりにも意外な発言に芽衣子も夏美も目を丸くする。
「どうせ今のあんたじゃ、あんたの望む幸せなんて手にはいりゃしないわよ。なら、いっそう私たちと同じ境遇になればいい。そう難しいことは何もないわ。あたしたちはただ自由に生きているだけ」
「自由?」
由美には3人が不自由にしか見えない。
6畳のボロアパートに住んで、贅沢も出来ない、恋人もいない寂しいこの人たちが。
「ああ、自由だ。自分が好きだと思えることを最優先にして生きている。お陰でお金もないし、隙間風が入り込むようなボロアパートだし、豪華な料理だって食べられない。こうして外食するのも月に1回あればいい方だ。安い焼酎で乾杯する毎日。それでもあたしは毎日幸せだと思って生きている。同じような境遇の人間が集まって、馬鹿な話で盛り上がって、そうやって無駄な時間を過ごしながら老いているけど、あたしにとってはそんな無駄な時間も無駄じゃないんだ。大事な人生の一ページ。あたしにとっての最大の不幸は自分の人生を自分の為に使えないことだ」
「自分の人生を自分の為に使えないってどういうことよ?」
そんな他人のレールに乗せられて生きている人間なんて一握りだ。
どこかの令嬢とか金持ちの話だと思った。
由美が知る限り、みんな自分の意志で生きているように見えた。
「あんたみたいな生き方」
美穂は由美を指さしてはっきり答えた。
由美は想像もしていなかったため、混乱しながら否定した。
「私は私の為に生きてるわ! 勘違いしないで!!」
「勘違いじゃねぇよ。勝手な思い込みで、自分を縛り付けて、それを他人にも縛り付けて、生きてて窮屈じゃねぇの? その幸せの自分を一体誰に見せたいの? 誰に認めてもらいたいの? 誰かに羨んでもらえるような人生って、結局、他人の価値観に合わせた人生ってことじゃねぇか。そんなのが面白いなんて私は少しも思わねぇな」
まぁまぁと珍しく芽衣子が美穂を宥めた。
こんなに他人のことでしゃべる美穂は珍しい。
よっぽど、他人に自分たちのことを評価されたことが腹立たしかったのだろう。
「だからって私たちは君の生き方を否定する気はないよ。君には君の理想があるんだろうし、その理想に突き進んでいけばいい。だけどさ、その『理想』っていうのは人の数だけあるのだよ。だから、君の理想が相手の理想と一緒とは限らない。人が共存して生きていくために必要なものってさ、自分の考えを一旦置いておいて、他人の意見を素直に聞くことじゃないかな。頭ごなしに否定したら、どんな人とだってうまくはやれないよ。私たちは自分の見えている世界が全てじゃないと理解しないといけないね」
芽衣子はそう言って優しく笑った。
由美の頭の中で、池本の言葉が廻った。
やはり婚約後に話されたことは許せないけど、子供の事も離婚の事も池本だけが悪いわけじゃない。
その不利な中で池本も必至で結婚相手を探そうとしたのだ。
そのやり口が正しかったかはわからない。
けど、確かに由美は頭ごなしに池本を否定し、拒絶した。
そして、自分だけが被害者だと思った。
池本に何かあるとはわかっていたのだ。
こんなことになるなら、もっと前から池本に聞くべきだった。
もし、自分に聞けるだけの余裕があったら、池本も正直に話してくれたかもしれないと思った。
そしたら、今以上に冷静に彼の事を考えられた。
裏切られたと一方的に攻め立てる必要もなかったのだ。
何となく、由美が芽衣子たちの言葉で今まで自分が何をしてきたのか理解し始めたのだと亜紀にはわかった。
少しでも由美が楽になる考え方に切り替えてもらえたらと心から思う。
芽衣子は話が一段落したら、目の前のビールのジョッキを掴んで、思い切り飲んだ。
そして、満足そうな声を上げて、叫ぶ。
「やっぱりビールは生に限る!」
芽衣子らしい言葉でつい亜紀は笑ってしまった。
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