【写真】写真《その》中に人の人生が詰まっている

1話 リストラ

齢50になりリストラされた和彦の行き場所はもう何処にもなかった。

32年間、真面目に尽くしてきた会社にリストラされたのだ。

会社が悪いわけではない。

そんなことはわかっている。

経営が傾いてから、あっという間に大手の食品会社に吸収合併されて、半分以上の社員が解雇されたのだ。

新しい会社では年ばかり取った金食い虫の年配社員はいらないらしい。

そうは言っても、和彦の家にはろくに働いたことのない専業主婦の文子と私立大学に通う息子、拓海が残されている。

彼らの生活費や学費は誰が払うというのだ。

後、10数年で年金生活を送れると思っていたが、とんだ誤算だった。

せめて、息子の大学卒業まで持ってくれたらどうにでもなった。

リストラの話を聞いて、一番ショックを受けたのは妻、文子だった。

私たちはこれからどう生きるのかと攻め立てられ、拓海の学費の話になった。

今更奨学金を借りるのも難しいし、拓海にもその気はないだろう。

だから、和彦はリストラの話を聞いて直ぐにハローワークに通い、再就職を試みた。

しかし、この世の中のどこに定年まで後十数年しかない、無駄に年を食ったおっさんなど採用したいという会社があろうか。

ハローワークに行っても、渋い顔をされるだけだった。

確かに希望収入の金額を落とせば、なくはない。

しかし、そんな金額では到底、家族どころか、自分の生活費すら賄えるかわからない。

肉体労働のような体を鞭打つような仕事ならないわけではないが、この年齢でそんな仕事をするような自信もなかった。

和彦は和彦なりに努力したつもりだ。

リストラされ、失業保険の受給が終わったタイミングで文子は家を出ていった。

そして、拓海も外で遊んでばかりで、なかなか家に帰ってこない日が続いた。


和彦もどうしていいかわからないまま、朝一番の公園のベンチで1人寂しく缶コーヒーを飲みながら佇んでいたのだ。

家のローンも残っている。

貯金だって多くはない。

今までのような生活をしていたら、そこに着くのもそう長くはないだろう。

その前に何とかしないといけないのだが、もう考えつくことは何もなかった。

ならばと和彦は目の前に並ぶ市営住宅のマンションを見上げた。

今までかけてきた生命保険にかけるしかないと思った。

今、自分が死んで生命保険が入れば、年金までは何とかなるかもしれない。

自分が家族に出来ることはもうこれしかないと思い、和彦は決心して市営住宅の方へ荷物を持って歩き始めた。

マンションの前に立って、階段を一歩一歩上がっていく。

その足が鉛のように重く感じた。

そして、最上階に上がって来た時、目の前に広がる風景を見ながら少し感動してしまった。

ここはこんなに開けた場所だったのかと気が付く。

そんな美しい世界と自分はお別れするしかない。

そう思うとなんだか少し寂しくなった。

和彦はそっと手すりに足をかけて、壁に手を当ててゆっくり立ち上がる。

足元がぐらぐらして怖かった。

地面を見ると恐怖から足がガタガタ震え、全身の体に力が抜けていくのを感じる。

しかし、ここで断念するわけにはいかない。

和彦は瞼を閉じ、自分にあたる風を感じる。

そして、大丈夫だと何度も自分の心に言い聞かせた。

ゆっくりと瞼を開けた先に広がる青空。

皮肉にも今日はとてもいい日だった。

日差しも強く、町中がキラキラ光って見える。

そして、その中に一つ異様な光があることに気が付いた。

目を向けていると一人の女性がこちらに向けてカメラを構えている。

まさか、今まさに自殺をしようとしている自分を撮ろうとしているのか。

そう思った瞬間、足が滑って落ちそうになる。

和彦は慌てて手すりにつかまり、大声で叫んだ。


「だ、誰かぁ! 助けてくれぇ!!」


その声を聞いて、そのカメラを構えた女性が慌てて階段を上ってくる。

そして、最上階まで息を切らして到着すると、手すりにしがみ付いていた和彦を必死で引き上げ、踊り場に転がした。

皮肉なものだ。

今から自殺しようとする男が足を滑らせただけで、助けを呼ぶなんて。

自分にその意思がないことにようやく気付いた。

死ぬことすら自分は出来ないのかと思うと涙が溢れ、和彦は踊り場で寝転がったまま泣いた。

それを見た女性は慌てて、和彦に近寄る。


「おじさん、大丈夫?」


それはショートヘアーの30代ぐらいの女性だった。

首には一眼レフカメラをぶら下げている。

カメラマンだろうか。

和彦の知らない顔だった。


「もしかして頭打った? まさかおじさんがあんな場所で立ってるなんて思わなくて、ついカメラ構えちゃった」


彼女は正直にそう言った。

彼女はあんな場面を見ても和彦が自殺しようとしていたことに気が付いていないようだった。

どんなけ間の抜けた女性なのだろうと、逆に呆れてしまう。

和彦は女性に介抱されるように体を起こして、ひとまずもと居た公園に戻り、ベンチに座った。

和彦が自分のハンカチで涙を拭いている間に、女性が自販機から水を買ってきてくれた。

それを和彦に優しく手渡す。


「ごめんな。私、気になるものを見つけるとカメラを構える癖があって、おじさんを脅かすつもりはなかったんだ」


彼女はそう言って、和彦の隣のベンチに座った。

そして、彼女の方から自己紹介をする。


「私は板橋智代。おじさんはあんなところで何をしていたんだ?」


彼女は本気で聞いてきた。

逆に和彦の方が驚き、声が出ない。

そんな風に聞かれたら、なんて答えていいのかさえわからない。

しかし、現場を見られた以上答えないわけにもいかず、恐る恐るだが答えた。


「飛び降りを……、自殺しようとしたんだ」


それを聞いた瞬間、やっと気が付いたのか智代は驚き、真っ青な顔をする。

そして、余計にあたふたと慌て始めた。


「そ、それは、その、邪魔をした、じゃなくて、止められて良かった。でも、なんで自殺なんて……」


智代の表情は真剣だ。

普通、あんな現場を見ればそう思うだろう。

和彦はゆっくりだが正直に答えた。


「リストラされたんだ。ちょうど3ヵ月前。再就職しようと試みたんだが、難しかった。30年間共に暮らしてきた妻には逃げられ、息子も家に帰らなくなった。このままでは家族全員が路頭に迷う。ならば、せめて自分の生命保険で補えないかと考えたんだ……」


智代はそうかといって、少しの間黙った。

人の自殺する理由を聞いて、返す言葉などないのだろう。

それも当然だと思いながら、和彦は買ってきてもらった水のペットボトルのふたを開けて、水を飲んだ。

ただの水なのに、和彦にはどんな飲み物よりも美味しく感じた。

これも自殺効果ということなのだろうか。


「でも、なんでおじさんだけが責任を負わないといけないの?」


智代はまっすぐな眼差しで見つめ、質問してくる。

彼女はそれを本気で言っているのだ。

逆に、和彦の方が返答に困っていた。


「それは、僕が家族の大黒柱で、妻はずっと専業主婦だったし、息子もまだ大学生だし、生活費は必要だろう? でも、その生活費が稼げないから、せめて生命保険で賄おうと……」

「リストラはおじさんが悪いわけじゃないよね? 大黒柱だからって、今までのようにみんなの生活費をおじさん1人が賄なければいかないの? お金を稼いでくるからおじさんは家族でいられるの?」


そう言われてしまうと返す言葉がない。

本来なら、妻に頼んでパートでも何でもしてもらえば良かった。

息子だって、大学を辞めて働いてもらうこともできる。

しかし、それを言い出す勇気がなかったのだ。

社会を知らないまま30年間も生きて来た妻に働いてくれなど行けるだろうか。

周りが当たり前のように大学に通っている中、拓海にだけ辞めて働いてくれと頼みことが出来ようか。

和彦はそんな酷な事を2人にいう勇気がなかった。

そう、そこから逃げていたのだ。

智代はよっしゃといってベンチから立ち上がり、和彦に手を差し伸べる。


「おじさんに連れていきたい場所がある。私について来て」


智代はそう言って笑った。

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