5話 家族
和彦は麓に降りて、折り返しで娘の若菜に電話をかけてみた。
すると、出た瞬間、娘の怒鳴り声が電話口に響く。
「お父さん、今どこにいるの!?」
和彦は周りを見渡して、答えた。
「山の麓?」
「何言ってんの?」
若菜は和彦がわけのわからないことを口走っていると思って怒っていた。
和彦にはなぜ若菜が怒っているのか理解できない。
「お母さん、実家から飛び出してからずっと私の家に居座ってるのよ。どうにかしてよ!」
文子の実家は今、弟夫婦が暮らしているから家出するなら娘のところだろうとは思っていたが、本当に居座っていたとは呆れてしまった。
「事情はお母さんから聞いた。お母さんも拓海も馬鹿よ。お父さんが大変な時に怖気づいて逃げちゃうなんて。今までお金に関してはお父さんに全部任せきりにして、勝手だったと思う。それは私にも言えないことだけど、でも、お父さんもしっかりしてよ。お父さんがそんなんなんだから、家族がバラバラになっちゃうのよ」
若菜の言った通りだ。
文子たちが不安に感じているのを知っていながら、自分はそれを解消しようとせずに一人で突っ走って、結局最悪の状況に追い込んでいた。
もっと最初に相談すべきだったのだ。
自分の本音を、今の現状を、家族に話すべきだった。
その上で、彼女たちに出来ることを頼むべきだったのだ。
何もかも自分でどうにかしようとした自分が間違っていた。
どうにかしようとしてどうにもできていないというのに。
「とにかく、お父さんは早く家に帰ってきて。実家に帰ってもお父さんいないし、部屋の中はぐちゃぐちゃだし、電話しても繋がらないし、本気で心配したんだからね。今までの事は、お母さんにも拓海にも私からきつく言っておいたから、お父さんも一人で悩んでないで帰ってきてよ。私も出来ることがあれば、協力するしさ」
若菜の言葉を聞いて、自分がずっと見当違いなことをしていたと知った。
自分たちは家族だ。
大変な時だからこそ、話しにくいことも話し合って協力し合うべきだった。
それを最初に放棄したのは自分自身だった。
「わかった。今から帰るから、母さんと拓海には心配かけてごめんって伝えといてくれ」
若菜はわかったと言って電話を切った。
和彦も通話が切れると、その切れた携帯の画面を見つめていた。
「ほら、どうにかなるもんでしょ?」
隣で話を聞いていた智代が腰に手を当てて答えた。
和彦もあの時、自殺しなくて本当に良かったと思っている。
それにあの長屋で皆で騒いで、山にも登って、朝日を見ていたら、ずっと不安だった心のわだかまりが少し消えていることに気が付いた。
「ああ。ありがとう、智代さん」
「どういたしまして。これも何かの縁だからさ、おじさんと知り合えて私も良かったと思うよ」
彼女はそう言って、和彦にヘルメットを渡した。
「私たちも一緒だから。この年で頼る人もいなくて、アルバイト掛け持ちで、明日には生きていけなくなるかもって思いながら生きてる。もし、本当にいつか生きていけなくなる日が来ても私は後悔しないよ。私は最後まで写真のために生きるって決めてるから。そのために苦しい生活になっても構わない。だって、写真を失った私の人生なんて、それこそ最悪じゃない。最後まで写真を撮っていたいの。おじさんにとってそう言う大事なものは何?」
和彦は智代に質問されて、言葉を濁す。
直ぐには答えられなかった。
しかし、答えはすぐそばにあった。
和彦はずっと家族の為に働いてきた。
会社のためでもなく、自分の名誉のためでもなく、ただ、家族と笑って幸せに暮らすために頑張って来た。
なら、和彦が頑張れる理由は家族だ。
その家族を失ってしまったら、元も子もないのだ。
「駅まで送ってくよ」
彼女はバイクに跨って、和彦に後ろに乗れと指さした。
和彦も頷いてバイクに跨る。
「ああ。一度、あの家に帰って、服を着替えて鞄を持ってからね」
智代はラジャーと親指を立てた。
そして、2人は長屋へとバイクを走らせたのだった。
和彦は昼過ぎに自宅に帰って来た。
家には暗い顔をした文子と拓海が椅子に座って待っていた。
若菜だけはなぜか玄関から仁王立ちで睨みつけていたけれど。
まずは話し合う前に散らかった家の中を掃除する。
文子がいなくなって、すっかり家事がおろそかになっていた。
その後、4人は顔を合わせて今後について話し合った。
まずは拓海にこれからも大学に通うかどうかの話になったが、拓海はあっさり辞めてもいいと発言した。
薄々感じていたが、拓海は真面目に大学で勉強しているようには見えない。
ただ、遊んでいたくて大学に通っているだけのようだった。
最近では学校の講義を受ける時間よりバイトをしている時間の方が長いらしい。
だから、そのままバイト先に就職できないか話をするつもりだったらしかった。
文子も最初は渋っていたが、パートを探してみることを約束した。
逃げていたところでもう、和彦の給料だけでは生きていけないとわかっていたのだ。
それでも最初の方は散々泣いていた。
泣くたびに若菜が怒っていた。
和彦はひとまずハローワークに通って自分にもできる仕事を探すことにした。
最初から正社員は難しいかもしれない。
けど、出来ることは0ではないはずだ。
そう思うと就活も少し気が楽になる。
全ては智代たちと協力的になってくれた若菜のおかげだ。
若菜もここまで文子が居座らなかったらほっといていたかもしれない。
痺れを切らしてという所だろうが、それが若菜らしかった。
家族の話し合いが終わって、一段落ついた頃、一度だけ智代に連絡を取ってみた。
智代は仕事が見つかるまでの間、知り合いのラーメン屋で働かないかと提案された。
相手の店長も事情を理解しているようで、今の家も売ってしまうなら店の上のアパートも貸してくれるとのことだった。
和彦はひとまずお言葉に甘えて、再就職が決まるまではそこ働くことを決める。
生活は何もかも変わってしまったけど、前よりも家族の会話は増えた気がした。
仕事の話も思っていることも前よりもずっと話せるようにもなった。
「おじさん。おじさんの人生は終わったんじゃないよ。ファーストライフが終わっただけで、今はセカンドライフが始まったんだ」
智代は電話口で明るく言った。
そう、セカンドライフが始まっただけ。
人生なんていくつ作ったっていい。
和彦は今の人生を楽しむために生きることを決めた。
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