【料理】他人の価値観に惑わされる必要はない

1話 飲み屋のんのん

「信じられるぅ? あいつ付き合ってる女、他に3人もいたのよ? 2股どころか4股! そんな男と付き合ってただなんて、考えただけでぞっとするわ!」


藤崎由美ふじさきゆみは飲み屋の『のんのん』のカウンターで日本酒を片手にぼやいている。

既に彼女は生ビールジョッキ3つとハイボールを1杯飲んでいて、すっかり出来上がっていた。

それを呆れた様子で友人の田中亜紀がカウンターの向こうで聞いていた。


「マッチングアプリか何かで知り合ったんでしょ? 相手の事をよくも知らないのに付き合ったりするからそうなるのよ」


亜紀は他の客に注文されたもつ煮込みを器に注ぎながら、由美に答えた。

酔っ払いの友人の相手なんて亜紀にはうんざりだったが、今日は客である以上無下には出来ない。


「だって、知り合うったって、職場にはいい出会いなんてないし、そういう所でしか知り合えないのよぉ。メッセだって散々交わしたし、デートだって10回以上行ってる。それでも見抜けなかったんだもの。しょうがないじゃない!」


由美はむすっとした顔を亜紀に見せつける。

そんな顔をされて、亜紀はどう思えばいいのかわからない。


「どうせ、由美が選んだ相手だもの。見た目が良かったり、収入が多かったりしたんでしょ? そういう男がフリーでいる事自体を疑いなさいよ」

「そうでもないと好きになんてなれないじゃない。確かに世の中には男なんて腐るほど余ってるわよ。けど、全然惹かれないのよ。メッセで会話してもろくな返事は返ってこないし、デートの場所も自分で決められない。実際会っても笑顔1つ作れやしないし、会話もたどたどしい。全然話さないと思ったら、興味があることになったら急にスイッチが切り替わったようにべらべらしゃべりだして、気持ち悪いのよ!」


亜紀は大きくため息をついた。

早くこの面倒くさい酔っ払い客を店から追い出してやりたかった。


「男の人ってそんなものじゃないの? むしろ不器用だから、結婚しないで残ってるんでしょ? 口がうまくて女性の扱いがうまい相手に女がいない方がおかしいわよ」


亜紀は由美にはっきり言ってやった。

つまり、由美が惹かれるような男に余り者なんていないということだ。

結婚したいなら、ある程度の妥協も必要だとは思う。


「それはさぁ、亜紀が1回結婚しているから言えるのよ。そこそこの男と結婚できたから余裕があるんだわ。でも、私は30目の前にして未だ未婚。プロポーズだってされたことない。こんな惨めな女、世の中にいる?」


そんな女いくらでもいるわよと言ってやりたかった。

確かに、亜紀は5年前に一度結婚している。

しかし、結婚2年目にして離婚をしてしまった。

相手は大手企業の商社マンだった。

実力もあったし、出世頭で誰もが羨むような男だったが、亜紀が一番苦しんでいる時期に彼はあっさり彼女を裏切ったのだ。

彼はそんな亜紀にはっきりと言った。

『生き生きして働いている君が好きだった』

調子のいい時だけ愛して、調子が悪くなると乗り換えるなんて最低な男だ。

夫婦とはむしろ大変な時ほど手を取り合うものだと思っていたのに、結局赤の他人だったということだ。

彼にとって亜紀の価値は、自慢できる女でしかなかったのだ。

その結婚が幸せだったとは亜紀は思えない。

何も知らない頃はそれなりに幸せだと思ってきた。

しかし、真実を知った日から今までのその美しい思い出は燃え尽きて灰になった。

もう二度と思い出したくない思い出だ。

だからこうして何もわかっていない由美を見て、無性にイライラしてしまう。

由美はまだギリギリ20代だし、十分結婚できる確率はある。

その確率を下げているのは自分自身なのだ。


「とにかく、こんな場所で酔っぱらっている女に惹かれる男なんていないわよ。もっとしゃんとして自立しなさい。今のあんたじゃ、いくらチャンスが来ても見逃して終わりよ?」

「亜紀は本当にひどいこと言うよねぇ。まあ、真面目に私の話を聞いてくれるのは、今や亜紀だけなんだけどね。他の友達はみんな結婚しちゃってさ、子供までいるのよ? 会話だって全然ついていけないし、惨めになるばっかり。ああ、早く結婚して、私も幸せになりたい!」


由美はそういって拳を天井に突き上げた。

もう、酔っ払いのやっていることにはついていけない。

亜紀は由美の手から日本酒の入ったグラスを取り上げて、代わりにお勘定を渡した。

由美は両手を伸ばして、日本酒を取り戻そうとしていた。


「いい加減に帰りなさい! そして、もう少し頭を冷やすことね!」


彼女はそう言ってお酒をシンクの中に流した。

由美はそれを見ながら勿体ないと心の中で呟く。

今、由美の心の穴を埋めてくれるのはお酒しかないというのに。

由美は渋々、鞄から財布を出し、お金を払った。

そして、ふらふらな足で出口に向かう。

亜紀は心配そうに彼女に声をかけたが、大丈夫と呂律の回らない声で答えた。

全然大丈夫そうには見えない。

由美はそのまま店の前でタクシーを呼んで、自宅まで帰った。

そして、化粧も落とさないままベッドに潜り込む。

当然、翌日には大変なことになっていたがそれもいつもの事である。




由美がマッチングアプリを始めたのは3年前。

前の彼氏にフラれてから、その悲しみを癒すために始めた。

最初は楽しかった。

いろんな男性と会話が出来たし、辛い時は慰めてくれた。

だいたいメッセが1か月以上続いた相手とは、仕事帰りに会う約束をすることが多かった。

最初のデートは楽しい。

5人に一人は飲んだ後、すぐにホテルに誘ってくる輩もいたけど、大半は真摯に扱ってくれた。

しかし、2回目のデートには3パターンの男に分かれた。

1つ目は、やはりベッドに誘ってくるヤリモクの男だ。

寂しいからマッチングアプリしてるんでしょう?と最終的には体の関係しか必要としていないような男たちだ。

そして2つ目は、所詮自分は保険で他に本命のいるパターンだ。

最初より扱いがだいぶ荒くなって、本命とうまくいくと連絡もなくなって、登録抹消する勝手な男だった。

そして3つ目は、相変わらず会話になれずに、男らしいことを何も発揮できずに終わる男。

やる気はあるのだろうけど、情報を集めるとか、コミュ力を上げるとか、服装に気を付けるとか全く努力しない。

ありのままの自分を愛してくれと言わんばかりの自己愛主義者。

そんな男に翌日メッセを送る気にもなれなくて、自然消滅するパターンだ。

もう、すっかりそんなやり取りにも慣れていた。

その中でまともな相手が見つかったと思えば、今回みたいに何股もかけられていたり、実は既婚者だったりと裏切られるパターンで、未だに結婚に行きつける予感さえしなかった。

もう、世の中にはいい男なんていない。

由美はそう思えるぐらい絶望していた。

マッチングアプリなんて頼るからいけないのだと辞めようと思ったときは何度もある。

しかし、数日後にはやっぱり人が恋しくなって、見てしまうのだ。

そして、めぼしい相手がいないかいつも探している。

街中で見つけるいい男はみんな彼女がいたり、奥さんがいたりで、こちらから誘う気も失せる。

亜紀の言うように結婚したら幸せとは限らない。

けど、しなければずっとこのまま1人なのだ。

20代はまだいい。

30越えて、40近くなれば、振り向いてくれる男すらいなくなる。

そう思うと由美は怖かった。

自分も周りと同じように普通な家庭を持ち、普通の幸せが欲しかった。

それが女の幸せだと信じていたのだ。

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