2話 新しい恋
そんなある日、由美のアプリに相手からのアプローチメッセが入っていた。
プロフィール写真の顔は今ひとつだったが、嫌ではなかったのでメッセのやり取りをすることにした。
彼の名前は
年齢は由美の2つ上で、年収は少なかったが、真面目そうな男だった。
メッセのやり取りも悪くなかったし、何より気を使わない相手でやりやすかった。
趣味も似ているのか、2人はすぐに意気投合した。
そして、メッセが2か月続いたある日、由美の方から思い切って夜会わないかと誘った。
大抵の男が1か月もしないうちに会いたいと言ってくるパターンが多いのだが、彼の方から誘ってくることはなかった。
もしかして、また既婚者や他に彼女のいるパターンかと思ったがそうではなさそうだ。
メッセも思ったより早く返ってくるし、誰かに隠れてこそこそメッセを送っているようには見えない。
アプリ自体、最近友人に勧めて始めたって言っていたし、本当に慣れていないのだろうと思っていた。
だから、由美から誘ったのだ。
彼も喜んで承諾してくれた。
久々に手ごたえのある相手だ。
これで会ってみて、写真と全然違う相手だとか、載せている情報が全く違う人物だったらどうしようかと心配になった。
しかし、その心配はないようだった。
写真の見た目より、幾分マシに見えたし、体形も太っているわけでもないし、身長も極端に低いわけでもない。
何処にでもいそうなありきたりの男だった。
確かにファッションセンスはないし、何処となくダサいオーラを放っている。
しかし、由美はもうそんな我儘を言っていられる状況ではないのだ。
結婚相手を見つける最後のチャンスかもしれない。
彼は感じよく自己紹介した。
由美も慌てて自己紹介し返す。
最初は少し緊張したが、店に入って会話が弾むと緊張も解けて、すごく話しやすかった。
その日は何事もないまま、彼が駅まで送ってくれて帰宅した。
その後も毎日メッセを繰り返して、デートも何度か交わした。
彼はいつだって紳士で、由美を無理矢理ホテルや自宅に誘う様子はなかった。
由美もただこうしてデートを交わして、会話をしているだけで幸せだった。
彼とならうまくやっていける。
そう思え始めた頃に、彼からお付き合いの申し出があった。
「由美さん、僕と結婚前提に付き合ってください」
ついに来たのだ。
この瞬間が。
まだプロポーズとまでは行かないにしても、真剣交際を申し込んでいる。
由美には断る理由がなかった。
彼からは記念にと安物のネックレスをもらった。
きっと彼の生活ではこれで精いっぱいだったのだろう。
それでも由美は幸せだった。
恋人はお金でも容姿でもない。
心なんだと実感した瞬間だった。
ただ、付き合い始めて気になることがいくつかあった。
それは付き合って3か月経っても彼の家にお招きされたことがないことだ。
由美の部屋には何度か遊びに来た。
彼も実家暮らしではないというし、一度ぐらいは誘ってくれてもいいのにとは思っていた。
そして、彼が家に泊まることも、朝まで飲み明かすこともなかった。
12時が近くなると、明日は仕事があるからと言って帰った。
それは誠実な彼だからだろうとどこかで言い訳を考えていたが、それだけでは納得できなくなってきたのである。
最後に彼の仕事の事情もあるようだが、土日の昼間に会うことはほとんどなかった。
デートはいつも平日の夜だ。
何度かお願いすれば、デートすることもあったが、彼から誘われたことはない。
一度、由美の方から一緒に住まないかと提案したこともあったが、うやむやにされて断られた。
彼には何かある。
由美の女の勘がそう告げていた。
そして、ついに由美の誕生日が来てしまった。
これでついに由美は30歳となる。
今まで20代で誤魔化してきたのに、もうそうは言えなくなる。
きっと世間での女としての市場価値も下がってしまう。
その前に結婚したい。
だからこそ、彼とのこの関係を成功させなければと思った。
案の定、由美の誕生日、彼は彼女をデートに誘い、レストランを予約してくれた。
ついにプロポーズされるのだとワクワクしていた。
そこまで高級レストランではなかったが、見晴らしのいい海が見えるおしゃれなレストランだった。
いつものように会話が弾んで、食事も終盤となる。
彼は恥ずかしそうにしながらポケットから何かを取り出した。
それは小さな箱だ。
彼はその箱を由美の前で開いて、告げた。
「由美さん、どうか僕と結婚してください」
由美はこの言葉が聞きたかったのだ。
池本は男として満点とは言えない。
しかし、今の自分にはこの程度の男が無難だろうとは思っていた。
だから、迷わずに指輪を受け取って、彼の申し出を承諾した。
その瞬間、何かが吹っ切れたように彼は安堵の声を上げる。
それほど緊張していたのかと由美は指輪を眺めながら笑ってしまった。
ダイヤモンドは小さかったけど、それでも由美のための婚約指輪だ。
嬉しくないわけがない。
「それでね、結婚する由美さんには話しておこうと思うんだ」
彼が徐にそんな話をしてくるので、何事だろと由美は首をかしげる。
「僕、娘が一人いるんだ。今、小学一年生で、すごくいい子なんだよ。あ、当然、前の奥さんとはもう離婚している。離婚理由もあっちの浮気でさ、その相手と結婚したいからって、娘を置いて行ったんだ。本当に、最低だよね」
池本は何事もなく淡々と自分の事情を話し始めた。
由美は混乱して、頭が真っ白になった。
結婚歴がある。
子供もいる。
そんなの聞いていないと思った。
しかも、今、このタイミングで話すのも違うだろうと思う。
「後さ、あっちの弁護士がすごくやり手で、慰謝料まで取られちゃって、借金がまだいくらかあるんだ。でも、大丈夫。2人で働いて返せば、何年もかからないから。実家も近いからさ、大変な時は預けられるし、手がかかることもないと思うよ」
彼は何の悪びれることなく話していた。
しかし、由美はそんなことを聞きたいわけじゃない。
もっと大事なことがあるだろうと思った。
「なんで、その話を今するの? それはプロポーズする前、いや、会った時に話すべきじゃない?」
由美は困惑する中、真面目に池本に質問した。
すると池本は困った顔をして答える。
「だって、そんなこと話したら付き合ってくれないじゃないか。僕はそういう偏見なく相手を選びたかったんだ。君となら僕の娘や両親ともうまくやっていけそうだし、大丈夫だよ」
何が大丈夫なのか聞きたかった。
自分は所詮、娘の母親候補ということだろうか。
この男は、子供の面倒を見てくれて、借金を一緒に返してくれる相手を探していたにすぎなかったのかもしれない。
その審査に由美が受かった。
それだけの話だ。
そう思った瞬間、由美は椅子から立ち上がって、指輪を指から引き放し、机にたたきつけた。
そして、池本を睨みつけた。
「あなたにとって私は何だったの? 娘の母親探し? 借金を返す働き手? 両親の面倒を見る都合のいい配偶者? そんな話を聞いて、納得する人なんてどこにいるのよ!?」
由美は気が付けば池本に怒鳴りつけていた。
目には涙が溢れている。
池本は由美がなぜそこまで怒っているのかわからず、困った顔をした。
「落ち着いてよ、由美さん。そんなわけないじゃないか。確かに僕らが結婚したら、必然的に娘は君の子になる。借金だって返していかないといけない。けど、夫婦ってそういうものだろう? 僕は君を愛しているから結婚したい。それは君も同じだろう? なら僕と一緒に苦労を共にはしてくれないのかい? 僕は君の心に惹かれた。君自身に惹かれた。君は違うの?」
夫婦は苦労を共にする。
きっと自分が不幸なら相手にそれを求めていただろう。
しかし、実際にそれを自分に突き付けられた時、それを納得することなんて出来なかった。
気が付くと由美は自分のカバンを持ってその場から走り去っていた。
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