5話 夢の意味

芽衣子はさっそくその鍵で隣の部屋を開けた。

そこは知香の部屋と違って片付けられていた。

知香はそこへ武を案内する。

部屋の端から座布団を取り出して、座らせた。

明らかに他人の部屋だが、まるで自室でもあるような自然な動きだ。

今度は芽衣子が共同キッチンから麦茶を持ってきた。

そして、それぞれの前にそのお茶のグラスを置いた。


「いやいや、亜紀が麦茶作ってくれて助かったよ」


芽衣子はそう言いながら座布団を自分で運んで来て座った。


「しかし、おっちゃんもよく智代の部屋の合いかぎ貸してくれましたね」


知香は運んできたお茶を飲みながら言った。


「だってお客が来たらいつもここだろ? 他に部屋ないし、騒ぎすぎるなよって」


なるほどと、なぜか知香も納得していた。

そして、紹介が忘れたと改めて武と芽衣子に二人を紹介した。


「こちらはコミケで知り合った武殿。私と同様漫画を描いている大学生なのでありますよ。そして、こちらは小説を嗜む作家の芽衣子殿。ここの202号室にすむ同居人なのです」


芽衣子はよろしくと軽く頭を下げた。

武もつられて頭を下げる。

そして今度は知香が芽衣子に武のオリジナル漫画を見せた。


「これが武殿の漫画でござる」


あまりに自然に知香が芽衣子に武の漫画を渡しので、武は大声を上げてしまった。

芽衣子は黙ってそれを読み始めた。


「素晴らしい漫画だとは思いませんか?」


芽衣子はふむふむと頷きながら読む。

内心武の心はドキドキしていた。


「うん。すごく上手に描けているね。イラストもそうだけど、ストーリーも良くまとまってる」


芽衣子はページを捲りながら答えた。

武は褒めなれてなくて恥ずかしくなる。


「ただ、これってどこかで読んだことがあるようなストーリーだね。絵もどことなく見たことがあるタッチだ」

「え?」


真剣な顔をして芽衣子が指摘することに、武は理解できなかった。


「およよ。やはり芽衣子殿も気づきましたか」


今度は知香も渋い顔をして話す。


「どういうこと?」


武の質問に知香が少し答えづらそうに言った。


「武殿は漫画が大好きで、作家さんにもリスペクトしている。だから、基本をプロの作品を模倣して漫画を練習してきたんじゃないですか?」

「だって、俺には先生もいないから、独学なら当然そうなるだろう?」


そうですねと知香は頷いた。


「それは決して悪い事ではないのですが、やはりオリジナル作品には個性が必要なんですよ」

「個性?」


武は首を捻った。

知香の代わりに今度は芽衣子が答えた。


「素人がプロの作品を模倣するのは当然ことだ。画家だって最初は模写から始めるのが基本。しかし、模写がどんなにうまくても、自分の味を出せなければ意味がない。自分の絵を売ろうとするなら、必ず個性がいる」

「そうなんです。ほとんどの漫画家志望の方におこりがちなのですが、あまりにもプロの作品が好きすぎて、その人の絵やストーリーばかり真似てしまう。そして、いつの間にかそれが最高の作品だと錯覚するのです。確かにその作品は素晴らしい。けど、出版会社などの編集者が求めているのは、どこかの作家の模倣ではなく、新しい個性を持った、意外性のあるストーリーなんです。君はずっと努力をしてきたから絵の歪みも少ないし、ストーリーはうまくまとまって読みやすい。しかし、どこかで読んだことのある漫画さくひんは、人を惹きつけることがないのです」


武には理解できない。

コミケで見た時も売れるのはオリジナルではなく二次創作漫画だ。

人々は決まったパターンを好み、一種の法則があると思っていた。


「サークルの奴にも言われた。俺みたいなオリジナルを描くより、プロの作品を真似た二次創作の方がよっぽど楽しいって。だから俺は、人気な作品をたくさん読んで、絵もストーリーも研究してきた。って」

「そこだよ」


芽衣子は真剣な顔でまっすぐ武を見た。

自分が間違ったことなど言っていないと思う。


「これは皆が好み作品だ。けど、所詮は他人が勝手に言っている戯言を鵜呑みにした二次創作もどきに過ぎない」


一瞬、武はイラついた。

まるで自分の作品が二次創作なんかに負けているように聞こえたからだ。


「どういうことだよ。俺、間違ってないぞ。統計学だ。俺は皆がはまりそうなものを作品にしているだけだ」

「芸術は統計学ではない」


芽衣子はハッキリと答えた。

その迫力に武はひるんでしまう。


「お前らだってみたことあるだろう? WEB漫画を投稿して上位に立つのは、流行りに忠実な作品ばかりだ。コミケだってその時に流行りの二次創作が一番売れた。絵がうまいとか下手とか関係ない。流行りに乗っかれば売れるんだ」

「君はそれが本気でいいと思いうの?」

「それは…」


芽衣子の質問に言葉を詰まらせた。

イイとなんて思うわけがない。

自分はそんなWEB漫画をつまらないと思って読むことを辞めた。

そしてコミケで並ぶ、同じような作品を買おうと思ったこともない。

けど、それは武自身の単なる考えで、世間は流行りを求めている。

それは漫画だけじゃない。

そんな風に思い介している中で、再び芽衣子が話し出す。


「どんな作品でも自分が良いと思わなければ、駄作だ」

「は?」

「自分が楽しんで描いていない作品など良い訳がない。まずは自分が楽しい。だから周りにも共感して欲しいと描くのが良い作品だ。認められるか認められないかは、それ以降の話なんだ」


全く意味が分からない。

自分が自分の作品を悪いだなんて思って描く作家などいないと思った。


「私は武殿のいいと思う作品を読みたい。サークル仲間やネットの住人がなんて言ったか知らない。ランキングの高いアマチュア作家がどんな作品を描いているのかは知らない。けど、これだけはわかる。武殿が心から描きたい漫画が君の傑作なんです。芸術は他人の評価で広まるけれど、本当の傑作はいつだって作家の手元にあります。それは君がコミケで見せたような、床に叩きることの出来る作品のことなんかじゃない。消したくても消せない、捨てたくても捨てられない、そんな作品のことをいうのです」


知香の言葉で、武は思い出した。

引き出しの中にある小学生の頃に描いた手書きの漫画。

技術もなくて拙くてけど、本当に自分が描きたいと思ったオリジナル漫画だった。

武にしか知らない作品だった。


「それを言うなら、レオナルド・ダピンチの『モナ・リザ』が一番有名ですかね?」


急に現れて答えたのは、背の低い頭にお団子を乗せたような女だった。


「リリー帰ってたのか」


芽衣子も驚き、リリーこと理々子を見上げる。


「いつもなら誰かのお帰りが聞こえるのに、今日はなかったのでお客さんかなっと思ったのですよ」


理々子はそう言って勝手に部屋に上がってきた。

手にはなぜか体の長いイタチがいた。

落ち着かないのかずっとごそごそしている。


「ごめんごめん。話に夢中になってて」


芽衣子は理々子に謝るが理々子はあまり気にしていないようだった。

そうしている間に、知香が理々子の紹介をする。


「リリーもここの住人です。203号室に住んでいる画家ですよ」


理々子は紹介されると、よろしくと手を振った。

すこしふわふわした女だった。


「実はですね、かの有名なレオナルド・ダピンチの「モナ・リザ」は傑作と呼ばれていますが、彼が死ぬまで誰にも売らなかった作品と言われています。「モナ・リザ」とはリザ夫人という意味があるのですが、そのリザ夫人の自画像は別にあると言われているんですよ。なら、皆のよく知る「モナ・リザ」は誰なのか。それはまだ謎のままですが、レオナルドは「モナ・リザ」を死ぬまで修正し続けたという話もあります。彼にとってあの作品は幼き頃に別れた母親のような、すべての人々を温かい心で包み込む聖母マリアのようなそんな存在だったのではないでしょうか。そのモナ・リザも一度は盗まれたことがあって、今のルーブル美術館のある作品が本物かは定かではないですけどね」


彼女は無邪気に笑いながら言った。


「武殿。もっと漫画を好きに描いてみてはいいかがですかな? 自分が描きたいをいっぱい詰めた武殿の作品を私に見せて欲しいのです。私は必ずその作品を買いましょう!」


知香は武のてをぎゅっと握って言った。

武は顔を真っ赤にする。

女の人に手を握られるのは初めてだからだ。


「年頃の男の手を勢いで握るな」


今度はこのアパートに似合わない二人組がやってきた。

一人は化粧の濃い派手な格好をした女ともう一人はいかにもパンクファッションといったいかつい女だった。

どちらも煙草を口にくわえている。


「みほりんとなっちん、今日は早いね」


芽衣子は嬉しそうに二人の名前を呼んだ。

みほりんこと美穂は荷物をその場に投げて近くの座布団を引っ張り出して座る。


「パクるなっつても、ファッション業界でもデザインなんて出し尽くされて、新しいもん考えるのだけでもひと苦労だぞ。最近のトレンドなんて昔の使いまわしだ」

「確かになぁ、音楽もすぐに何かのパクりだぁって騒ぐ奴いるけど、音階にも限りがあるんだ。同じような作品になるのは当然だろう」


なっちんこと夏美はコンビニで買って来た袋を芽衣子に突き出した。

中には缶チューハイとビールが入っている。

それを見た芽衣子が飛び跳ねて喜んだ。


「だから、プロになるのは難しいんだろう? だからって、わざわざ自分からつまらない作品も作る必要もない」


芽衣子は袋の中からビール缶を取り出して答えた。


「漫画家になるのが夢なんだろう。諦めんなよ。もし諦め切れるんなら、そんなもん夢じゃねぇ」


知香が決め台詞のようにまた話し始めた。

武は笑いながら答える。


「小山宙哉先生の『宇宙兄弟』の日々人が六太に言った言葉の編集版? 名言がすきだな、あんた」

「漫画の中には名言が腐るほどあるんですよ。世の中には漫画なんてと毛嫌いする人も多いですが、たくさんの素晴らしい物語と言葉が詰まっています。漫画を読まないなんて人生の半分以上損してますよ」


そこに酒を飲んだ芽衣子も入ってくる。


「『夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし』吉田松陰の言葉! 夢は大事だぞ、少年」


芽衣子は絡むように言って来た。

まだ飲んだばかりなのに上機嫌だ


「こいつにはモーツァルトの言葉がぴったりだろう。『他人の賞賛や非難など一切気にしない。自分自身の感性に従うのみだ』」


確かにと夏美の言葉で美穂が笑った。

皆の前には既にお酒が並んでいる。

どうやらここの住人は人が集まると酒を飲む習慣があるらしい。


「『あなたが今、夢中になっているものを大切にしなさい。それはあなたが真に求めているものだから』エマ―ソンの言葉です。武さん、どうか大好きな漫画を諦めないでください。それはあなたにとって必要だから、あなたの心をそこまで揺れ動かしたのです」


理々子はそっと武のそばに寄って耳元で囁いた。

知香の言った、ここの住民の夢。

自分に素直に生きること。

それがなんとなく理解出来た気がした。

本当に自分が描きたい作品で勝負する。

誰かに言われた言葉でも、小賢しく統計学だなんて言っていないで、描きたいものを描く。

評価は二の次なのだ。

まずは自分の漫画を描かなければならない。

諦めるのはそれからでもいい。

武は少し汚れた自分の作品をさっとぬぐって伸ばした。

これでも武の大事な漫画なのだ。


「おい、どういうことだ!?」


ドアから入ってきた新たな住人が血相を変えて立っていた。

全員が女に振り向く。


「智代お帰り!先にやってるぜ」


片手に煙草、もう片方にビール缶を持った夏美が笑って言った。

もう部屋はぐちゃぐちゃだ。


「ここは私の部屋だぞ! 勝手に宴会を開くな!!」


智代の声が長屋じゅうに響いた。

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