6話 自分を信じる
武はあのまま智代に追い出されるようにしてアパートを出た。
しかし、出来上がっている芽衣子たちはそのまま廊下で宴会を続けている。
まるで本当に『めぞん一刻』のワンシーンのようだった。
遅くなったのでと知香が武を駅まで送っていくことになった。
後の住人はそのまま飲みながら騒いでいる。
聞いていないとわかりながらも、武は挨拶して長屋を後にした。
二人は随分暗くなった田舎道を歩く。
田んぼとキャベツ畑の広がる大地。
虫の鳴く音やカエルの鳴く声がした。
「あの有名な漫画『ONE PIECE』の尾田栄一郎先生が言った言葉。漫画を描く人に向けたメッセージなんですけど、彼はそこに『周りと違うことに命を懸けた』と言ったそうです。よく考えれば、『ONE PIECE』が連載された時、ジャンクの王道の作品なのにちょっと異色な感じがしました。今までにあるようでない漫画。きっと彼の作品が出た後に同じような漫画を出しても売れなかったでしょうね。人が本当に求めている作品は、まだこの世に出ていない、新しい夢を見せてくれる漫画なんですよ」
知香は歩きながら答えた。
武も頷く。
「俺、すげぇ周りの言葉に振り回されてたわ。それがすごく苦しかった。でも、俺が漫画を始めた理由は有名になる事でも、名誉を勝ち取る事でもなかった。ただ、漫画が描きたかったんだ」
何かを思い出したような気がした。
あの知香の散らかった、大好きに囲まれた部屋と好き勝手に生きる住人を見て。
「本当は夢なんて無理に持つ必要はないんです。ただ、苦しんでいる人たちには共通点があります。それは自分に本心を隠しているということ。その理由が何かを守るためだったかもしれません。けれど、自分が苦しんででもしなければならないことでしょうか。今、自分に正直に生きられなかったとしても、いつかは自分の本心を素直に聞いて欲しい。私は、武殿のコミケの時の姿が忘れられなくて、どうしても会わずにはいられませんでした。そして、あなたに見せてあげたかった。こんなにも自由に素直に生きている人たちがいるということを。私たちは君の大学や君のご両親に誇れる生き方など一つもありません。けど、自分に誇れる生き方をしています。だから私は私の描きたい漫画を描き続けます。それが私の生き様なんです」
知香は帰り道でも語る。
知香にはたくさんの言葉を持っている。
それは知香が生涯にかけて読み続けた漫画のおかげかもしれないけれど、やっぱり漫画への情熱を武にも失って欲しくないという強い想いがそうさせたのだ。
「自分が死ぬ時のことは分らんけど、生き様で後悔はしたくない」
急に話し出す武の言葉に驚いた。
そして知香は思い出す。
「芥見下々先生の『呪術廻戦』で主人公の虎杖が学園長に言った言葉……」
「俺、やっぱり諦めんのやめるわ。一回きりの人生だから、やりたいこと思いっきりやって死にたい。俺は後悔するために生まれて来たんじゃない。後悔するなら漫画描いて後悔するわ」
「はい」
武の言葉に知香は大きく頷いた。
知香は改めて、コミケで武に会い、再び武に会いに大学まで足を運んだことを間違いじゃなかったと心から思えた。
武は家に帰って両親に大学を辞めたいと相談した。
当然、母親も父親も大反対した。
大学生活は残り2年。
ここまできて辞めるなんてもったいないと言い張ったが、本気で漫画家を目指すと決めた武には大学でくすぶっている時間こそがもったいないと思った。
その代わり専門学校にも通いたいと答えると、そんな学費は出せないと父親は見放した。
母親も泣いて武に訴えたが、武の決断は固かった。
親の意向に添えない自分が学費を払って欲しいだなんていうのも勝手なことかもしれない。
武は自分でバイトをしながら、専門に通うことを宣言した。
しかし、入学費の予算はない。
少しでも時間が惜しい武は親に頭を下げて、お金を貸してくれるように頼んだ。
最初は受け入れられなかった父親だったが武の誠意に負けて受け入れる。
武が今まで親にここまで反抗してやりたいことを言うことなどなかった。
漫画に夢中であったことは知っていたが、両親ともに知らないふりをしていた。
母親は特に漫画を嫌い、ずっとやめさせようとしていたが、全く辞める気配のない武に半分諦めていたのだ。
武は自分の意志で生きることを決めた。
専門に通って半年後、知香から連絡があった。
知香がアシスタントしている漫画家の知り合いが連載を始めることになったらしく、学生でもいいからアシスタントを探しているという話が出た。
知香は以前、武からもらった漫画を見せて実力は十分にあることを伝えた。
その作家も快く受け入れ、武はアシスタントのバイトが出来るようになった。
武の作品がネットで1位になったことはない。
コミケでオリジナル漫画が余らなかったことはない。
ネットでバスることもない。
編集者から声をかけられたこともない。
けれど彼は漫画を描き続けた。
そして、自ら漫画を雑誌のコンテストに応募することを決めた。
彼の漫画人生はこれからなのだ。
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