2話 コミュ障

何の名案も浮かばないまま、時間だけが過ぎていった。

福原はついに立っているのも辛くなって、地べたに座り込んでいた。

そんな福原を今度は芽衣子が見つける。

見慣れないスーツ姿の男。

恐らく仕事か何かで来たのだろうということは予測が付いていた。

福原と同じように靖子を訪ねてくるメーカーの社員は少なくない。

今回もそんなところだろうと、芽衣子は福原に声をかけることにした。


「おっさん。こんなところで座り込んでも、やっさんは落とせないよ」


福原が芽衣子に気が付いて顔を上げる。

また、ここの住人かと面倒くさそうな顔をした。


「ほっといてくれ。俺は承諾してもらわなけりゃ、帰れないんだ」


相当追い込まれている。

それは芽衣子にはわかった。

芽衣子だけではないが、ここの住人は靖子を勧誘するメーカーの人間が好きではない。

靖子も嫌がっているし、大半は家から追い出す。

追い出された社員は数時間は家の前で待っているが、福原はもっと長く待っているようだった。

さすがにこれは靖子も気が休まれないと思い、芽衣子はアパートの中に入ると簡易的な椅子と机、そしておなじみの焼酎とコップを持ってきた。

そして、その椅子の一つを福原に座るように勧めた。

どうやらこの一式、加藤が私物を置いている倉庫からくすねたものらしい。

ここの住人にはよくあることだ。

福原は芽衣子の持っていた焼酎のラベルを見た。

随分質の悪い酒だ。

紙パックに入った粗悪品で、酔うしかメリットのないような酒だった。


「お前、そんなの飲んでるのかよ。体、壊すぜ」


芽衣子も持っていた酒を見ながら、笑う。


「そうだね。しかし、私たちにはこんな酒しかない」


彼女はそう言って、持ってきたグラスに酒を注ぐ。

そして、1つを福原の前に置いた。

まさか、ここに来て、家には入れてもらえないものの酒をすすめられるとは思わなかった。

何か話でもしようというのだろうか。

福原には芽衣子が何をしたいのか全く想像がつかなかった。


「さっき、化粧の濃い住人にも会った。お前らのところは変わった奴が多いな」


福原は一口酒をふくんで話した。

やはり粗悪品だ。

酷い味がする。


「普通の女性がこんな場所に住めると思うかい? 住む環境より大切にしていることがあるから、こんなところに住んでいるのだよ」


それもそうかと、福原はグラスを机に置いた。

福原も毎日安物の発泡酒を飲んではいるが、この酒は飲めたもんじゃないと思った。


「なぁ、どうしたらあの原型師の先生は振り向いてくれると思う? 俺にはさ、原型師の気持ちもフィギュアを好きになる気持ちもわかんねぇんだよ。だから、どう口説いていいのかもわかんねぇんだ」


だろうねと芽衣子も納得しているようだった。

そもそも靖子を口説こうと思うのが間違えなのかもしれない。

どうやって動かない相手をどうこうしても意味がない。


「ここの住人のほとんどが私が誘って住んでもらった。けど、やっさんだけは違うんだ。あの子が自らここを見つけて住みたいと言って来た」


それは驚きの真実だ。

靖子は定職にはついていないが、金はそこそこ稼いでいるはずだ。

わざわざこんな田舎町に住む必要はない。


「あいつは人間関係に疲れたんだよ。今でも食事時しか、基本部屋から出てこない。フィギュアの注文だって、メールのやり取りだけで、ジオラマとかも作ってるけど、それも直接会って話した客はいない。商品は入金を確認後、郵送で送っている。全部画面上で確認したもので、やっさん自ら外に出たことはほとんどない。出不精の彼女の為に、私たちが協力することもある。だから、時々私たちの仕事をやっさんが手伝ってくれることもあるんだ。私たちはそうやって共存している。けど、それでいいと思っている。やっさんはここの住民の中でも異質な存在だけど、みんなそんな彼女を受け入れているんだ」


そう言うことかと理解した。

出不精の彼女にとって、都会で一人で暮らすより田舎で適度な距離感を保ってくれる気の知れた仲間と暮らす方が落ち着くのだろう。

セキュリティーは万全ではないが、この壁の薄さだ。

他の部屋にいても常に人の気配がする。

そういう安心感もあるのだろうと思った。


「人間関係に疲れたって言っても、彼女はまだ20代だろう? 社会人経験もないみたいだし、そんな疲れるようなことあるか?」


福原はポケットから煙草を取り出して加えた。

それを見た芽衣子が手のひらをかざす。


「できればその煙草はご遠慮いただきたい。君の煙草の臭いは落ち着かないのでね」


仕方がないと福原は箱の中に煙草を戻した。

そう言えば、美穂も煙草を吸っていたがメンソール系だった。

福原のは外国製ではないがなかなか重たい煙草だ。

吸っている方はいいが、吸うのを嫌がる人も少なくない。


「君も相当なニコチン中毒だね。君のような人にはニコチンパッチをお勧めするよ」

「もう試したが、俺には効果がないようだ」


彼はそう言って、手のひらを空に向ける。


「話の続きだが、人間関係なんて生まれれすぐに築かされるものだろう。まずは母親、そして父親を含めた家族、近所の子供たち。幼稚園や保育園に入れば園児たちと関わることは必須だ。そこでうまく人間関係を築けるかどうかの向き不向きは存在する。時々ね、いるのだよ。どうしてもうまく人間関係を築けない人間が。それは親子でも一緒だ。それを必ずしも周りが理解してくれるわけでもない。義務教育がある以上、学校には通わなくてはいけないし、自分で稼ぐまでは親にだって頼る必要がある。どんなに苦手でも、人間関係から逃れることは出来ない。だから、やっさんは自分の器用さを利用して、技術を身に着けて、早めに独立したんだ。彼女は高校中退。大学にも行っていないよ。二十歳が過ぎる前には、原型師の仕事をしていたし、ここに来るのも必然だった」

「彼女がコミュ障なのはわかる。けど、ならなぜ、ここの住人とはやっていけるんだ? 家族の方がずっと気が楽だろう?」


福原の質問に芽衣子は酒を飲みつつ、ふふっと笑う。


「家族の方が気楽なんて誰が決めたんだい?」


その質問に一瞬戸惑ってしまった。

それは一般論で、靖子や芽衣子たちには関係ない。

福原だって、家族だからと気が休まっていたわけではないのだ。

多少の我儘は言える相手だと思っていた。

しかし、だからと言ってその我儘が許されていたわけではないのだ。

家族も所詮他人。

それは結婚してから、更に痛感されたことだ。


「そうだな。家族だからって何もかも理解し合えるわけじゃないし、助け合えるとも言えない。しかし、俺が聞いた話では、彼女の両親はそう悪い人ではなかったぞ。父親は大手のサラリーマンだし、母親も普通の専業主婦だ。兄弟もいないようだったし、虐待や悪い噂もないようだった」


良く調べたものだと芽衣子は逆に感心してしまう。

それでもわからないのが大多数なのかもしれない。

だからこそ、彼女は救われなかったのだ。


「愛情を注がれているから幸せなんて思っているのは、いつも注いでいる方ばかりだよ。やっさんのためを思って、母親は彼女のコミュ障をどうにかしようとした。学校にも何とかして登校させようとした。そのために学校の教師や市の人の協力まで願い出た。病院にも行かせた。やっさんにとってそれが苦痛とも知らずに。コミュ障が治れば、娘が幸せになれると勝手に決めつけていたのだろう。余計に彼女が追いこんでいたとも知らずに……」


芽衣子は静かに語っていた。

福原もそんなことがあったとは想像もしていなかった。

彼女の心を開かせるのは、そう簡単な話ではないようだ。

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