4話 募る思い
「そうは言っても、売り手側には売り手側の事情って言うのがあるんでしょ? それはあたしにもわかるけど」
何かに勘づいたのか、美穂が自室から降りてきて智代の部屋に顔を出して福原の代わりに答えた。
美穂はデザイナーであるが、今はアパレル販売員でもある。
自分のデザインした服ではないが、売り手の立場でもあるのだ。
「まあ、芸術作品も売れてなんぼの世界だからね。作り手と市場価値は必ずも一致しない。時には意図しないものを作らせることもあるだろう」
それは芽衣子も理解していた。
かつて作家として本を出版していた。
販売部数は彼女の評価にも繋がる。
彼女もまた、出版社が付いていた頃は、編集者の考えを無視して出版など出来なかった。
したければ勝手に自分で金を出して本を作ればいいという話だ。
しかしそれでは誰にも読まれないだろうし、そんな本を置いてくれる販売店もないだろう。
「まあ、それでもやっさんの技術は既に周りから評価されているんだろう? なら、わざわざ販売元の言いなりにならずに、今まで通りフリーランスでやっていった方がいいんじゃないのか?」
智代も話に入ってくる。
彼女は靖子がどこかの会社の専属になって負担になるより、自由に受注を受けられるフリーランスの方を推している。
収入は不安定ではあるが、靖子のペースで創作活動ができるからだ。
「『感情から始まらなかった芸術作品は芸術ではない』画家セザンヌが残した言葉ですよ。主体はやっぱり、やっさんの意思だと思います。やっさんのやりたいという仕事でなければ、きっといい作品は作れませんよ」
今度現れたのは、最初に靖子の部屋を案内してくれたお団子頭の理々子だった。
彼女は大皿を持って、智代の部屋に現れた。
どうやら、飯時らしい。
美穂もそれがわかっていて降りて来たということだろう。
芽衣子は理々子に亜紀はいないのかと聞いていた。
亜紀は仕事なので今晩のおかずを作って置いておいてくれたようだ。
「ねぇ、おっさん。あんたはさ、自分にもそういうのあんだろう? 自分の気持ちを入れ込んだもの。何でもいいんだよ。それが企画書だとかプレゼンテーションの資料でも、渾身の作品ならさ」
そう言われたとき、福原の頭に昔デザイナーと一緒にデザインしたトレーディングカードのことを思い出した。
確か、その一枚が財布の中に入っていたはずだ。
それを財布から取り出し、眺める。
確かにあの時は真剣だった。
デザインはデザイナーがしたものだが、それに対して自分の作品のつもりで彼らに意見し、提案もした。
だから、今でもこれは自分たちが作ったものだという意識があった。
「トレーディングカード?」
智代が愛用のカメラを棚に置いて、福原の手に持っていたカードを覗き込んだ。
ああと福原は頷く。
「昔、俺が関わって作ったトレーディングカードだ。今じゃ、市場価値なんてなくてな。絶版商品なのに、一枚100円もしないんだ。けど、俺にはそれ以上の価値がある。レアカードでもないし、売れたシリーズでもない。それでも俺には大切な物なんだ」
「物の価値なんてあってないようなものだ」
そう答えたのは芽衣子だった。
福原は顔を上げる。
「値段が付かなきゃ物は売りづらい。だから、物に相場をつけて販売する。でも、その物の価値はその人によって変わるのだ。そもそも大昔は物々交換だっただろう? この物に対してこれとトレ―ドする。それに数字的価値はなかったのだよ。必要とする人がその物の価値をつけて、それを代償として金なり、別のものと交換して交渉する。現代人は数字的価値に左右され過ぎだ。我々が物を買うとき、その商品の値打ちを自分の中で判断して選択する。芸術はまさにその極みのような気がするよ」
福原はずっと物を売ることばかり考えていた。
それは会社も同じだ。
どれが大衆に売れて、どれが値打ちが上がるのか。
それだけだった。
だから靖子の作品を名指しで売れば、他の作品よりずっと高値で販売できると思った。
それは彼女の作品そのものの評価ではない。
彼女の名前のブランドから得た考えだ。
しかし、必死で一つ一つの作品に向き合っている作り手から見たらどうだろうか?
自分の名前をブランドにして、儲けようと考えている企業に自分の大切な作品を売りたいと思うか?
お金の為に仕方がないと思う作家はたくさんいる。
しかし、満足しいているかどうかは別問題なのだ。
こんな場所に住む彼女だ。
お金の価値より、自分の気持ちに正直に生きたいと思っている。
そんな人間に会社の話や報酬の話をしても無駄だ。
余計相手を傷つけるだけなのだと気が付いた。
すると、福原は立ち上がっていた。
そして、2階へと駆け上がる。
芽衣子たちももうそれを止めようとは思わなかった。
今の福原ならきっと靖子の気持ちを無視した言葉はかけないとわかっていたからだ。
福原は靖子の部屋に立ち、ノックをする。
そして、ゆっくり話しかけた。
「何度もお邪魔してすいません。俺、あなたに見てほしいものがあって、持ってきました」
そう言って福原は自分の持っていたトレーディングカードを扉の隙間から差し入れる。
「これ、俺が昔デザイナーさんと協力して作ったものなんです。市場価値なんてないにも等しい紙屑です。でも、俺には真剣に向き合って、時間も手間もかけて、徹夜もして考えたんです。結局、最初から最後まで売れなかったけど、大切なものなんです。俺はそんな作品と真剣に向き合っている作家さんと本気で商品を作りたいと思っています。専属になってくれなんていいません。山手さんの気に入らないものも作りません。でも、それはあなただけの作品じゃないから、たぶん俺も口は出すと思う。それは山手さんの作品を否定しているからでなくて、もっともっといい作品にしたいから。皆が納得する作品を作りたいから……、です。山手さん、もう一度俺にチャンスをくれませんか。俺にこの時と同じように真剣に向き合える作品をあなたと作りたいんです。俺はフィギュアとか造形物はまだまだ素人だけど、素人だから言える考えもあると思うんです……」
あまりにも靖子の反応がないので、段々不安になって最後の方は声が小さくなった。
こんな素人同然の自分の意見なんて聞いてくれるのだろうか?
しかし、作品を作るのに年月は関係ない。
本気でいい作品を世に出したいという気持ちがあれば、わかることはたくさんあると福原は信じていた。
すると、すっと扉の下からあのトレーディングカードが帰って来た。
それを彼は受け取る。
「――いいと思います」
彼女は扉越しで小さな声で言った。
福原は聞き取れずに、もう一度聞き返す。
「そのカード、私は好きです」
その時、福原の中に何かがぞわっと湧いてきた。
本気で嬉しかった。
しかも、それを靖子に言われることが。
「あの、企画提案だけでも持ってきてもいいですか? 後のことは俺が会社に説得します。どうせ、この企画が通らなければ、俺は本部を退くことになるので、もう怖いものはありません!!」
社会人を長くやって、おっさんになった自分が20代の若き作家にこんな話をするなんて夢にも思わなかった。
この冴えない中年は、時間の流れとともに老いるだけだと本気で思っていた。
けど、そんな諦めは辞めだ。
足掻いてやる。
現実に足掻いて、足掻いて、中年の底力を会社にもこの作家にも、自分を左遷させようとしている上司にも見せつけてやろうと思った。
靖子の扉からノックが2回聞こえた。
それは『いいよ』の合図だった。
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