リベルテメゾン

佳岡花音

リベルテメゾン

【文学】言葉には不思議な力がある

1話 花丸書店

東京にだって田舎はある。

その畑いっぱいの町に、昔からある個人商店の本屋で、少し変った商売をしているらしいという噂が、子ども達の中で出回っていた。


陽菜ひなはその噂の本屋の前で立ち止まっていた。

年季の入った建物だった。前面はガラス張りで、大きなとんがり屋根が二つついていた。入り口の重たいガラス戸は常に開けられており、そこにセロテープでアニメや漫画のポスターがべたべたと貼られている。

そして、その扉の前にダンボールで作った手作りの看板が立てかけてあり、そこには汚い字で『』と書いてあった。


本屋で占いとは変ったものだ。

しかも、占いをしているのはここのアルバイト店員だという。

大人たちがそんな話にのるはずはないが、近所の子ども達の間では、一種の流行のようなものになっていた。


陽菜は薄暗い店内に入った。

レジカウンターには小学生の男の子たちが数人屯している。

その中心に例の店員がいた。店員は茶色い太い縁眼鏡に、化粧っ気のない顔をしていた。

無造作に伸ばされた焦げ茶の髪を単純に後ろに束ねて簡単なおだんごにし、髪留めも飾り気のないものだった。

『花丸書店』とロゴのついた緑色の色褪せたエプロンの下に、ベージュの半袖ニットとジーパン姿というありきたりなファッションだった。

外見では年齢はわからなかった。ただ、妙な存在感だけはあった。

陽菜はその店員と目が合った。

そして、店員はにっこり笑う。


「いらっしゃい。今日は買い物?」


店員は明るく親しみやすい声で話しかけてきた。

しかし、陽菜は目線をきょろきょろさせ黙っていた。

話しづらいのだ。


「ねぇ、ねぇ、ねえちゃん。やってよ、占い」


すると、カウンターに集まっていた小学生の男の子の一人が店員に話しかけてきた。

周りの同級生たちも同じように騒ぐ。


「だめだめ。だってお前達は金持ってないんだろう?」

「持ってるって、100円」


そう言って一人の少年が店員に、手のひらにのせた100円玉を見せた。

これが少年の全財産だ。


「それじゃあ、本一冊も買えないじゃないか」

「え? 占いってお金いるんですか?」


つい陽菜の口からぽろりと言葉が出てしまった。

全員が陽菜の方を見る。

陽菜は恥ずかしくなって、口を手で押さえて顔を真っ赤にした。


「なんだ、言ってくれたらよかったのに。占いがしたかったの?」


陽菜は無言でゆっくり頷いた。


「占いの料金はもらってないのだけどねぇ…。でもタダでしているわけでもないのだよ」


店員は言いづらいのか、少し困った顔をした。

陽菜は顔を上げ、店員に顔を向けた。


「じゃあ、何か本を買えばいいんですか?」

「そうなのだけど…、何でもいいってわけじゃないのだよね」


そう言って、店員はにやりと笑った。

そして、カウンターの棚の中からタロットカードの束を取り出して、陽菜に見せた。


「占いはタロットでするよ。どんな占いでも見るのだけど、その後にね、私の紹介した本を買ってほしい。おみくじみたいなものかな」


陽菜は複雑な表情をした。それに気づいた店員は両手を振った。


「違う、違う。売れない高い本なんて売りつけやしないよ。基本は500円前後の単行本」

「単行本?小説か何かですか」

「そうだね。君の悩みにぴったりの本を私が選んで、それを君が買う。それが私の占いの報酬ってやつでどうかな」


陽菜は目線をそらして考えた。

変な話だ。そんな話を聞いたことがない。

けれど、占い代が500円程度で、本がおまけについてくると考えたら問題ないようにも感じた。

陽菜が顔を上げると、陽菜の心の中を悟ったように店員はにっこり笑った。


「交渉成立だね」




レジカウンターよりも奥に机と椅子が置いてあった。

そこで、陽菜は本屋の店員の牧野芽衣子まきのめいこにタロット占いをしてもらうことになった。

最初は小学生たちがこぞって芽衣子たちの近くに集まっていたが、芽衣子はハエでも追い払うように子ども達を店から追い出した。


陽菜は学校の帰り道だった。

今は、中学の制服のセーラー服のままだ。

こんなところを学校の教師やPTAの大人たちに見られたら、学校に報告されて、こっぴどく叱られる事だろう。

しかし、こうして学校帰りにお店に寄って帰るのは、どの中学生でもしていることだ。

そして見つかったら、参考書を買いに来たとごまかそうと心に決めていた。


芽衣子は机いっぱいにカードを広げた。

それをテーブルの上でぐちゃぐちゃ回す。

それをもう一度まとめた後、芽衣子は陽菜の顔を真っ直ぐ見た。


「どんなお悩みか聞いていいかな」

「詳しく話さなきゃダメですか?」

「別に大まかでもいいよ」


芽衣子はとんとんとカードを整えた。

陽菜はゆっくりと話し始めた。


陽菜はここから徒歩10分ぐらいの公立中学校に通っている。

今は2年生で夏の夏期講習を受けていた。

陽菜にはゆいという親友がいた。

陽菜とは違い、明るくて活発的な女の子だ。

前髪を上げて、いつもおでこを見せているから、男の子からは『でこ』という愛称で呼ばれていた。

本人は少し嫌がっている。

そんな唯に好きな人が出来た。

3年生の室井春人むろいはるひとという少年で、軟式野球部の部長だった。

イケメンで成績も優秀で、スポーツ万能。

女の子の憧れの的だ。

実は校内で密かにファンクラブもあるそうだ。

そんな王子様を見に、よく昼休みや放課後になると陽菜と唯の二人でグラウンドに出ていた。

でも、次第に室井を一緒に見ているうちに、陽菜も彼のことがだんだん好きになってしまった。

それを正直に親友に話すべきなのか、それとも胸に秘めとくべきなのか悩んでいたのだ。

陽菜は出来るだけ、芽衣子に唯のことや室井のことがばれない様に気をつけながら、そのことを大雑把に話した。


芽衣子は目の前のカードを陽菜に切るように指示した。

まずは一つの束から三つに分けて、最後に好きな順番にもう一度一つの束に戻す。

それを芽衣子が受け取って、カードを机の上に並べていく。


並べられたカードはつぎつぎに開かれる。

陽菜には全く意味のわからないイラストのカードばかりであった。

芽衣子は首を傾げ、顎をさすって考えていた。

陽菜の心臓は激しく鳴る。


「…陽菜ちゃんはぁ、この先どうしていいかわからないのだねぇ…。悩んでいる状況はすごく理解できる。陽菜ちゃんの中で、誰かに憧れ好きになったことは、小さいながらも幸せと感じてる。だからこそ、友情をとるべきか、恋を取るべきか…。カードはここには真実を語れと示している。誠実な心で話せば、友達もわかってくれるのじゃないのかな?」

「そうでしょうか…」


陽菜の表情はすっきりしていなかった。

悩んでいる。それは芽衣子にも見てわかった。

しかし、女とは不思議なもので悩んでいても、すでに答えを持っていることの方が多い。


芽衣子は席を立ち、文庫本の棚の前まで歩いた。

そして、二つの本を持つ。

一つは三田誠広みたまさひろの『いちご同盟』と武者小路実篤むしゃのこうじさねあつの『友情』だ。

おそらく中学生からしたら、この『いちご同盟』の方が読みやすい。


最初、彼女の悩みを聞いた時、こちらを勧めようと考えた。

しかし、占いの結果を見て、そうではない方がよいと思えたのだ。

命をテーマにした感動的なストーリーよりも恋愛の現実を知ったほうがいいかもしれないと思った。


芽衣子は『友情』を手に取り、机に戻った。

そして、陽菜に見せる。

それはイラストも可愛くなければ、読む意欲も沸きそうにない題名だった。


「私に恋愛より友情をとれといいたいのですか?」


陽菜はいかにも不愉快そうだった。芽衣子の予想していた表情だ。

表は大人しそうに見える陽菜だが、かなり気が強い。


「そういうことじゃないよ。恋愛は時として残酷だということだ。友人に本当のことを告げて、恋愛を一直線に見るのも、恋心を隠して、友情を保つのも君しだいだってことだよ。でも、何をとっても君は傷つく…」

「そうならないために占ってもらったんじゃないですか!」

「運命は一緒だよ。『恋は盲目』だからね」


すると芽衣子の頭を誰かが、雑誌を丸めたものでぽかりと後ろから叩いた。

芽衣子が振り向くと、そこには年配の女性が立っていた。

年齢はおそらく60は過ぎている。

頭は白髪だらけの短髪パーマで、顔は皺だらけだった。

背が低く、眼鏡をしていて、芽衣子と同じエプロンをしていた。


「店長……」


芽衣子は叩かれた自分の頭を撫でながら、気まずそうに言った。

彼女はこの店のオーナーであり、店長の築地千代つきじちよだった。

仁王立ちで芽衣子を睨んでいる。


「また、子ども相手に、そんな馬鹿げたことやっているのかい。いつも勝手なことはするなと言っているだろう!」

「イヤだな。ただ、単行本を一冊薦めていただけですよ。ねぇ、陽菜ちゃん」


芽衣子は陽菜に振った。陽菜は慌てて本を掴み、レジに向かった。


「ありがとうございました。この本、ください」


陽菜は芽衣子から単行本を一冊買った。

そして、逃げるように店を出て行った。




「シェイクスピア曰く、『友情は多くは見せかけであり、恋は多くの愚かさに過ぎない』」


そして、芽衣子は千代にもう一度雑誌で叩かれた。


「馬鹿なこと言ってないで、片付けな。こんなことして、子どもから荒稼ぎしているのがばれたら、親御さんから抗議でうちは潰れちまうよ」

「ひどいな。占ったついでに本を紹介しているだけですよ。私はね、現代の若者の活字離れをどうにかしようとして―」

「どうでもいいから、仕事しな。適当な話をして仕事サボっているのはわかってるんだよ」


芽衣子は「へいへい」と返事をして、目の前のタロットカードを棚に仕舞い、店内の本の整理を始めた。

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