2話 ご招待
智代が連れてきたのは、町から離れた畑が広がる田舎町だった。
簡素に作られた長屋。
入り口には手作りの看板がかかっている。
何かの宗教団体だろうか。
段々不安になって来た和彦に智代は優しく声をかけた。
「ここが私たちの住む、今風で言うシェアハウス。トイレとお風呂は共同で女8人とおっさん1人が住んでいる。おっさんと言っても、ここの管理人っていうか、この建物の持ち主。私たちはその部屋を間借りして生活しているんだ」
彼女はそう言って今にも壊れそうなアルミ製の引き戸を開ける。
ゴロゴロと滑りの悪い音を響かせていた。
靴箱にも三和土にも靴が散乱して、足の踏み場もない状態だった。
どれも変わったデザインばかりで、智代の趣味には見えない。
和彦が驚いてまじまじとその光景を見ていると、智代も気が付いたのか、ああといって説明した。
「これはほとんど美穂の靴。彼女、服のデザイナーしながらアパレルショップで働いてるんだ。いつものことだから、気にしないで」
智代はそう言って普段通りに靴を脱いで玄関を上がる。
和彦もひとまず空いているスペースで靴を脱いで、玄関に上がると、足元に何か素早い物が通り過ぎるのを感じた。
一瞬お化けや妖怪の類かと思ったが、違うようだ。
それは廊下の隅で立ち止まり、警戒するように和彦をじっと見ていた。
「あれは理々子の飼っているフェレット。イタチの仲間だ。まあ、飼っていると言っても半分野放しだから、みんなで飼育している感じ。基本、好きな場所で寝るしな。たまに糞が落ちてるから気を付けて」
智代は何事もないように説明するが、これは普通とは言えない。
家の中にイタチが放し飼いされていて、時々糞が落ちている家など、そうそうないだろう。
それも当たり前のように話す智代が変わっているように見えたが、逆にそれが今の和彦には安心させた。
イタチが出てきたと思ったら、今度は見慣れない女が現れた。
髪を無造作に後ろで縛った淵メガネの女性だ。
年齢は智代とあまり変わらないような気がした。
智代も彼女に気が付き、声をかける。
「芽衣子。お前、今日も家にいるのか。いい加減、真面目に仕事しろよ」
智代はその女性を芽衣子と呼んだ。
芽衣子は嬉しそうに笑い、和彦の方を見る。
「ついに智代までお客さんを連れ込んじゃって。しかも、中年男性と来た。なかなか興味深いね」
智代は見せもんじゃないんだと言って、芽衣子の首を腕で掴んで引きずり、廊下の一番奥にある部屋を開いた。
どうやらそこが智代の部屋らしい。
和彦は誘われるまま、その部屋に入っていった。
中は想像以上に綺麗で、女性の部屋にしては殺風景だった。
智代は部屋の奥から座布団を取り出し、和彦に勧める。
和彦も立ちっぱなしでいるわけにもいかず、勧められるままに座布団に座った。
「何故、中年男性を拉致してきた?」
芽衣子は智代の真横に座って尋ねる。
智代はいらっとした顔をして、芽衣子に言い返していた。
「お前たちと一緒にするなよ。今日はお招きしたんだ」
和彦自身もなぜ自分がこんな場所に連れ込まれたのかわからない。
新手のおやじ狩りかとも思ったが、和彦にはお金がないことを知っているはずだ。
しかも、2人とは言え、女性では和彦に力で勝てるとは思えなかった。
「このおじさん、マンションの最上階で飛び降り自殺しようとしていたんだ。リストラにあってすごく悩んでいるようだったから、連れて来た。こういう人のお悩み相談は芽衣子の専売特許だろう?」
智代は包み隠さず、和彦の事を話す。
少しはオブラートに包んでほしかった。
説明されている方はすごく恥ずかしいし、情けなくなる。
穴があったら入りたいぐらいだ。
「さっき私に仕事しろって言いながら、相談相手させる気? 私が仕事でいなかったら、どうするつもりだったのだよ?」
芽衣子が反論するように智代に言った。
芽衣子の言うことももっともだ。
智代の言動が伴わない気がした。
「適当に話しとけば帰ってくると思ったし、お前が真面目に定時まで仕事して帰るとは思えない。それに、どこかの部屋には誰かいると思ったしな」
元より智代はあまり計画性のないタイプのようだ。
それもそうかとなぜか芽衣子も納得していた。
そんな2人の会話に割り込むように、再び新しい女性が入ってくる。
彼女はスキニーパンツに黒い半そでシャツを着て、お腹を掻きながら部屋に上がって来た。
女性のお腹や下着が見えそうで、和彦はぎょっとして目をそらす。
女性の方は全く気にしていないようだった。
まるでここは女子校のようだ。
「夏美。もしかして、今起きたのか? もう昼だぞ」
智代がしかりつけるように言っても夏美は気にする様子はなく、大きなあくびをしながら智代の部屋の窓を開けて、そこに座った。
そして、ポケットに入っている煙草を取り出して、吸い始める。
今度は部屋の中に女性が3人になったと、余計危機感がした。
智代は自分をどうするつもりなのだろうと、和彦は彼女を不安そうに見つめた。
「中年のおっさんがこんな昼間っからこんな場所にねぇ。世も末だわ」
夏美は和彦を半目で見つめながら、思い切り煙草を吐いた。
煙の臭いで和彦はせき込む。
それを再び智代が夏美にしかりつけた。
この2人と関わっていると、変わり者に見えていた智代が随分まともに見えるのは気のせいだろうか。
益々自分がどういう立場に置かれたのかわからず混乱した。
「私たちがこうして暮らしていること自体が、もう世の末じゃないか。ひとまず、おじさんの自殺した事情をじっくり聴こうじゃないか」
芽衣子はその中で2人に提案する。
わかったと言って2人とも頷いて和彦に注目する。
和彦は再び説明しなければいけないのかと困惑したが、逃れる素手もなく、詳細に悩みについて語った。
「なるほどね」
和彦の話が一段落すると、芽衣子は納得したのか、手を後ろに着きながら答えた。
そして、智代が思ったことを口にする。
「でも、これは家族全員の問題で、おじさん1人が抱える事じゃないと思うんだよ。息子だって成人しているんだし、無力じゃないはずだ」
「たしかにね」
夏美も智代の意見に同意した。
しかし、芽衣子だけが少し2人とは違った見解を見せた。
「そうは言っても、奥さんと息子は想定していない事態に戸惑っているのだろう。働いたことがない人間に急に働けと言ってすぐに出来ると思うかい? 特に奥さんは30年間も専業主婦だ。逃げたくなる気持ちもわかる」
「けど、だからっておじさんが死んでまで償う必要はないと思う。それに奥さんだって、怖いからって逃げたらダメだろう!」
智代は必死で和彦を庇おうとしているように見えた。
「まあ、死ぬ必要はないわな。あんたの妻も逃げたところでお金が降ってくるわけでもない。確かに、あんたが死んでお金が入れば生活には困らなくなるとは思うけど、周りが事情を知ったら、今までのような生活は出来ないわな。自分たちの為に夫を犠牲にしたあくどい冷血妻の誕生だ」
夏美は和彦に向かって、皮肉っぽく笑った。
夏美は悪気がないのだが、ついこういうことを言ってしまう主義なのだ。
和彦は余計に落ち込んでどうすればいいのかわからなくなっていた。
自分が死んでも家族は救われない。
ならばほかにどんな方法があるのか、和彦にはわからなかった。
「そう急ぐことはないよ。自殺なんていつでも出来ることだし、今日1日ばたばたと騒いだところで、明日は何も変わらないよ」
芽衣子はそう言って、和彦の前で一升瓶をかざして見せた。
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