3話 ファッション

女に連れ出されてもう何時間も経っていた。

愛子は何の説明もされないまま電車に乗せられ、女の隣の座席に座っている。

途中から乗ったこともない路線の見たこともない景色へと変わっていった。

次第に一体自分はどこまで連れていかれるのだろうかと心配になってきた。

あんなに高く昇っていた太陽も随分と西側に降りてきて、変色し始めていた。

女はあれからほとんど話して来ない。

女が店に戻ってから5分も立たないうちに店から出て来た。

服装はそのままで、つばの広い黒い帽子をかぶり、肩には厚手の黒いショッピングバックの紙袋、反対側には携帯と財布でいっぱいになりそうなショルダーバックをかけていた。

ただでさえ派手さで目立つ容姿が、更に際立った。

店から出て来たと思ったら、そのまま無言で愛子の腕を引っ張った。

彼女が飛び出してから、すぐに他の店員も店から慌てて出てきて何か彼女に叫んでいたが、愛子には何を言っているか聞き取れなかった。

女も振り向きもせずに颯爽と歩き出す。

愛子はただ彼女について行くばかりだ。


女の名前は村上美穂むらかみみほと言った。

彼女は電車に乗ると一言二言だけ自己紹介のようなものを簡単にした。

年齢は愛子と差ほど変わらないようだった。

あの店で副店長をしているらしかったが、店のテイストが彼女の趣味とは思えない。

妥協して働いているという感じだ。

それに、彼女には洋服店で働く以上に何かやり遂げたいことがあるようにも見えた。

美穂は愛子の服を見て、一発でどこの服か当てた。

少し驚いたが、よく考えればわかることだ。

愛子の着ていた服は、日本でも随一と言ってもいいほどの大手のアパレル会社のものだ。

全国どこにいっても支店がいくつも展開しているし、ここのアパレル会社の服を着たことがない大人などほとんどいないだろう。

ファッションに興味がある人間なら予想出来てもおかしくない。

ふうんとそっけなく答えてそのまま美穂は黙ってしまった。

美穂がそんなことを聞いてきた理由を愛子はなんとなく予測していた。

彼女の勤める店は、愛子の着ているアパレルショップの商品の値段の三倍はするような高級品だ。

正直言って値段の相場の知らない人間が知ったら、驚いて尻込みするだろう。

けれど愛子はわかっていた。

その店がどの程度の値段の商品を販売しているかを。

なぜなら買いはしないものの、愛子はファッション雑誌を隅から隅まで熟読しているような女だ。

どんなファッション雑誌もある程度目を通しているし、店の雰囲気からも予測が出来た。

そんなファッションに詳しい自分が、誰もが着るありふれた洋服を着ていることが気になったのだろう。

安いだけの理由なら、他にいくらでも店はある。

おしゃれをする理由をお金がないだけでは納得していない様子だった。




愛子が連れてこられた場所は、片方向にしかホームがない小さな駅だった。

目の前には一面に広がるキャベツ畑。

奥には広々とした一軒家が並ぶ。

奥には壮大な山々が鎮座し、ここが都内であることを忘れるほど長閑な場所だ。

街灯もぽつぽつ離れて並び、日暮れにしては薄暗かった。

それを15分歩くとそこにはボロボロの長屋があった。

手作り感満載の木で作った看板。

安いアルミの引き戸。

それを引くとゴロゴロとひどい音を立てて動きが鈍い。

玄関には大量の散乱した靴。

愛子はその玄関を目の前にして愕然とした。

これはいったいどういうことなんであろうかと。


「あ、その辺にあるの、全部私の靴だから」


美穂はそう言って履いている靴を無造作に投げ捨てた。


「みほりん、おかえりぃ!」


威勢良く玄関まで出迎えてくれたのは、ほっそりとした素朴な女だった。

愛子に負けないほどの地味な女だ。

派手な美穂と気が合うようには見えない。

その女は愛子を見ながら、嬉しそうな顔をする。


「おお、またもや新顔のお客さぁん」


そう言いながら、女は愛子に興味津々で顔を近づけ、見て来た。


「芽衣子、いつもの部屋空いてる?」


美穂は荷物を抱えたまま廊下を曲がっていく。


「智代の部屋? ばっちりだよ!」


芽衣子は直進する美穂を目で追ったまま答えた。

すると奥から誰かの叫び声が聞こえる。

帰った早々誰かと喧嘩をしているようだ。

さあと芽衣子は愛子に家に上がるように勧めた。

ここまで来て、断る理由もない。

愛子が案内された部屋は一階の一番奥にあった。

芽衣子がドアを開けて、愛子を部屋に上げた。

正面で美穂が胡坐をかいて待っていた。

部屋は意外にもきれいだった。


「意外ときれいにしているんだ……」


愛子がつぶやくように言うと、目線の先に美穂とは別の人間がすでに部屋にいて、不機嫌そうな顔でカメラをもって座っている。

愛子は思わず驚きの声を上げた。


「ここはの部屋だからな」


そう言ったのは先ほど名前が上がった智代という人物だった。

愛子はひとまず彼女に一礼して美穂の近くに座った。


「村上さん、どういうことなんですか? こんなところまで連れてきて……」


愛子は予想もしていなかった展開に戸惑っていた。


「『美穂』でいい。どうしてもあんたの言ったことが気になったから」


美穂はそう言って煙草に火をつけた。


「さっき言ったことって……」


愛子はここまでくる間にあまりに時間がかかったので忘れていたが、愛子と美穂は店頭で言い争いをしていたのだ。

それを思い出すと、愛子は改めて恥ずかしくなった。

美穂ははぁと煙草の煙を吐き出す。


「あたしさ、自分の容姿に託けて言い訳する人間、大嫌いなんだよね」


愛子は美穂の歯に衣を着せぬ言い方に、口ごもる。

しかし、その『託ける』という言葉に言い訳は出来なかった。


「ねぇ、ファッションって誰のためにあんよ?」


美穂は愛子を横目で見つめて聞いてきた。

愛子は即答できない。

誰のためにあるなんて考えたこともなかったからだ。


「……その服を買うお客さんとか?」

「その中にあんたは入ってないの?」


愛子は美穂の言葉にはっと気づかされた。

自分の言っていることに矛盾がある。


「あんたはさ、容姿の悪い人間はファッションを楽しむ権利はないって言ったんだぜ?」

「私はそこまで言ったつもりはないです」

「あんたがなくても、あんたの言葉を聞いた人間はそう聞こえるだろうよ」


愛子は悔しくて奥歯を嚙み締めた。

たしかに自分は否定したが、他人まで批評したつもりはない。


「ファッションは見た目だよ。着る人間含めてのデザインだ。けど、服をデザインする奴はこいつに着せるためとか、こういう容姿の奴に着せようとか考えちゃいないんだ。誰が着たって魅力的に見える。それが最大の目標だ」


美穂はショルダーバックから携帯灰皿を取り出して煙草をもみ消した。


「その想いを、あんたたちのそののたびに、踏みにいじられるんだ。自分のデザインした服を喜んで着てくれる人間がいる。それだけであたしらは満足出来る。けど、『ブスには似合わない』だとか、『体形が良くないから格好悪い』だとか、好き勝手に批評しやがって。そんなんだから、好きな格好をするっていう自由が奪われていく。だったら、そもそもデザイナーなんていらないだろう!」


美穂は立ち上がり、愛子を見下ろした。

愛子は唖然としながら美穂を見つめる。


「あたしらはモデルに服着せるためにデザインしてるんじゃねぇんだよ! 誰かにいいって言ってもらえる服を作ってるだけだ。それを着るやつがどんな容姿だって関係ない」


美穂はそう言って部屋を出ていった。

何も言えずにいる愛子と部屋にいた二人が残された。

あのさと芽衣子は気を利かすように愛子に話かける。


「事情はよくわかんないけど、美穂はきっと服が似合わない理由を容姿のせいにしてほしくないんだ。ただ単純に自分がいいと思った服を好きになって、着てほしいだけなのだと思う」

「私、あの人に言ったんです。自分がブスだからおしゃれな恰好をしても似合わないって。私はただ、自分が悪いって思っていました。服はどれも魅力的。素敵な服はいくらでもあって、私はファッション雑誌を見ながら、あれも着たい。これも着たいって思ってたけど、それを着た自分の姿を見たら、全然想像したのと違って幻滅したんです。ああ、私がこの服を台無しにしてしまったんだって思いました」


芽衣子はただ黙って頷いた。


「それからは自分が着るんじゃなくて、遠目からその可愛い服を眺めて満足するように……」


その時、愛子は思い出した。

心のどこかで自分が誰かの服装を見て、批評していたことを。

道端ですれ違う人を見て、あの人にあの服装は全然似合わないだとか、SNSを見て勘違い出来て羨ましいだとか思っていた。

同じ会社の美南の格好をあざといとも思った。

自分を批評するのと一緒に他人も批評していたんだと気が付く。

容姿が悪い人間はファッションを楽しむ権利がない。

大げさに言われた気がしていたが、本心はそう思っていたのかもしれない。


「違いますよね。本当は私も心の中では他人のファッションを批難して、そしたら自分だけが似合わないわけじゃないと思っていたかった。けど、悔しかったから、どんな服も似合う美人が羨ましくて、自分も評価側に立って事実から逃げたかったんだと――」


ねぇと険しい表情をした愛子の顔を除いて、智代が聞いてきた。


「外見の良し悪しって誰が判断しているものなの?」

「は?」


愛子は何を言っているかわからず、智代を睨みつける。

智代は慌てて訂正する。


「いや、そうじゃなくて。私にはそういうことに疎くてさ。巷では誰が美人で誰がイケメンとか騒いでいるけど、私にはどれも同じように見えるから。自分がいいって思う。それだけじゃ、ダメなの?」


智代には悪気がなかった。

ただの純粋な疑問なのだ。


「あのね、私は自分の撮った写真がすごく好きで、誰の撮った写真にも負けないって思ってきた。それは単純に自己評価が高いとかじゃなくて、他人ひとの評価より、自分にとっていいと思えるものが、一番なんじゃないかなって」


そうだねと芽衣子が続ける。


他人ひとの評価と自分の評価は違って当然。確かに民主主義って多数決で物事を判断しがちだけど、自分が他人ひとに批難されたくないからって他人ひとに合わせていたら、自分の本音がわからなくならない? そしたら、評価すること自体、意味がなくなってしまうでしょ」


愛子は唇をかんだ。

他人の悪口ならいくらでも頭に浮かんだ。

批難することは怖くなかった。

自分は一般論として、常識的な考え方をしている人間だと思ったからだ。

愛子の考え方は、どれだけ大多数の答えを導き出す事だ。

自分の考えなど、正直どうでも良かった。

なのに、美穂がここにいる変な人たちがおかしな質問ばかりするから、愛子は答えるべく答えを導き出せないでいた。

そんな三人のやり取りの間に、美穂が大量の雑誌をもって智代の部屋に戻ってきた。

そして、それを愛子の前で思いっきりばら撒いた。

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