2話 変わり者の店員
せっかくの休日、愛子は母
休日、外に出る時は基本、ウィンドーショッピングだ。もう15年事務員として働いているが給料はあまり良くない。実家暮らしのおかげて多少貯金もあるが親がいなくなったことを考えるといつも不安になる。
愛子も30手前になると結婚に焦りを感じて、婚活パーティーやマッチングアプリなどで出会いを探した時期もあった。しかし、婚活パーティーではほとんどマッチングすることなく、まともに会話出来た相手も一周回って誰からも相手されなかった清潔感のない男だった。そこまで私に魅力がないかとだんだん不愉快になってきて、愛子は婚活を辞めてしまった。辞めると当然、社内にめぼしい相手もおらず、毎日会社の往復しかしていない愛子に恋人ができることもない。気が付けば35にして独身を保っている。
30も過ぎてくると20代の時とは大きく変わってくる。まずは体重。昔は何の努力しないでも体系をキープ出来たのに、30過ぎるとダイエットが必要になってくる。しかし、更に年齢を重ねてくると、食事管理ぐらいのダイエットでは間に合わず、いわゆる中年太りへと変貌していった。つやつやだったキューティクルのある髪も傷み始め、白髪がぽつぽつと目立つようになった。気を抜いていると頬がたるみだし、二十顎になっている。
愛子は大きくため息をついた。目の前にある洋服屋のディスプレイ。ガラス越しに見えるマネキンに着せられた服を見て、きれいなうちに着ておくんだったと後悔していた。
「お待たせしましたぁ」
急に店から店員が出てきて声をかけられた。特に待っていた覚えがないため、愛子は混乱し固まった。
「さあ、ご案内します」
そう言ってその店員は愛子の背中を押して、店内へと連れていく。そこには様々な服が陳列していた。きれいにディスプレイされたマネキン。規則正しく並ぶ服。色鮮やかな畳んでおかれている洋服たち。こういった店に行くのは久々であった。
「ほんと、お待たせしてしまってすいません。お客様がご予約していただいたお洋服、先日届いたんですよぉ。間に合ってよかったぁ」
店員は誰かと間違えているのか、まだ未開封の服を見せて来た。愛子は慌てて訂正しようとするが、店員は聞いていない。
「とりあえず、試着しましょう。お客様のサイズはこちらで、大丈夫そうですね。どうぞ、ご案内します」
そう言って店員の案内のまま試着室に入ってしまった。しばらくの間、何もできない状態で、鏡の前に棒立ちしていたが、その真新しい服を見て、つい手が伸びてしまった。愛子はそのままその服を着る。
試着し終えると、何かが違うと思った。服自体は可愛い。けれど、自分にいささか年齢的にも可愛すぎるように感じたのだ。ひとまず、着替え直そうとしたとき、カーテン越しからお客の怒鳴る声が聞こえた。
「いつまで待たせる気?予約もしてあるんだから、すぐに出してくれるんじゃないの?」
それは明らかに愛子より年上の女の声だった。もしかしたらと愛子の顔は真っ青になる。今着てしまったその服は、その女の予約した服なのではないだろうかと焦りだした。でももう試着してしまっているから新品ではない。愛子は慌てて着替えようとしたその時、今度はカーテン越しから別の店員の声がする。
「お客様ぁ、試着はできましたか?」
愛子は慌てて答えた。
「すいません。今、脱ぎますので!」
「あ、脱ぐ前に一度―」
と愛子の返事を待たずして店員がカーテンを開けた。そこには女が予約したであろう服を試着している愛子が、背中のファスナーを下ろそうと立っていたのだ。目の前の店員も、さっき案内した店員も、そして騒いでいた女客も一斉に愛子を見ていた。
愛子は恥ずかしいと顔を真っ赤にした。店員の気まずそうな顔と愛子の服装を見て女はすぐにそれが自分が予約した服だと気づく。
「どういうことなの?説明して!」
女はそう、試着室に案内した店員に怒鳴りつけていた。その店員も自分の間違いに気が付き、何度も平謝りをしていた。
愛子はあまりに驚いてしまいパニックを起こしていた。
「すいません。今すぐ脱ぎます!」
そう叫ぶと、更に女は激怒した!
「そんな服、いるわけないでしょ!!もう、結構です!」
女は愛子に一喝した後、そのまま店を出ていってしまった。店員が急いで追いかけていったが返ってくる様子はない。
「あ、あの、本当にすいません」
愛子はカーテンを開けた目の前の店員に謝った。もう、何が何だかわからなかった。
「私、この服買いますね…。さっきの人、帰っちゃたし…」
「気に入っていただけたんですか?」
店員は顔色一つ変えずに淡々と聞いてきた。愛子は驚き顔を上げる。
「だから、気に入っていただけたんでしょうか?」
再び店員が聞き返す。あまりの迫力に愛子は黙ってしまった。
「それを試着されて、また着たいとお客様が思われたのなら、お売りします。けれど、お客様が気に入っていらっしゃらない商品でしたら、お売りいたしません」
「でも…」
「どんな事情にせよ、お客様に間違えてご案内したのは私どもの責任です。お客様が責任を感じて買っていただく必要はないですよ」
あまりにもはっきりと答えるその店員に愛子は違和感がした。全く店員とは思えないような対応だったからだ。ならと愛子はひとまず着替えますとそう言ってカーテンを閉めた。愛子の心臓は破裂するくらいバクバクした。
愛子は服を着替えて出てくると、今度はあの案内にした店員が目の前に現れ、何度も謝られた。どうやら、ほんとうに愛子を先ほどの客と間違えて案内をしたらしい。愛子はそのまま服を返して店を出た。せっかくの休日なのになんだか心の中がもやもやした。
店を出て数歩歩いた先で、再び誰かが愛子を呼び止めた。あのカーテンの前で平然と話をしていた店員だった。
その店員は化粧の厚く、長いストレートな髪で前髪を真横に流していた。手足が長くほっそりとしている。少し上品そうな店だったが、そこにあまり似合うとは言い難い女だった。顔からも画の強さがにじみ出ている。
「携帯、試着室に忘れてましたよ」
女はそう言って愛子に携帯を手渡した。本当に物怖じしない女だと思った。
「ありがとうございます」
愛子はそう言って立ち去ろうとした時、女はもう一度話しかけて来た。
「あの時、一度は着ようと思ったんでしょ?本当に気に入らなかったの?」
愛子は驚き振り向く。言葉がすぐには出なかったが、一呼吸おいて答えた。
「気に入らなかったというか、私にはなんか可愛すぎて…。年齢的にも合わない気がして…」
「どう見たって年齢で言ったら、予約していたおばちゃんの方が年上じゃん。年齢なんて関係なくない?」
そんなことが言えるのは自信がある人だけだと愛子は内心思た。店員だって少なからず自分より自信があるから、あんなお店で働けるのでだろうと。
「関係ありますよ。恥ずかしいじゃないですか。こんな年のおばちゃんが、若い子気取って服着るとか」
女の眉間にしわが寄った。愛子は怒ったのだろうかと不安になる。
「『若い子気取って』とか、『恥ずかしい』とか、そんなの他人の目だろ。あたしはあんたがあの服を着てみてどう思ったか聞いてんの!それが気に入ったなら、あんたは堂々と着ていればいいだろう」
愛子は目線をそらす。毅然とした態度を崩さないその女を見ていられなかった。
「…でも、…私はブスだから…」
「は?」
愛子の囁くような小さな声を女ははっきりと聞き取れなかった。
「私は所詮ブスだから、おしゃれな恰好したって似合わないんだよ!」
愛子は耐え切れなくなり大声を上げる。その瞬間、女が愛子に掴みかかってきた。突然の出来事と、彼女のあまりの迫力に圧倒された。
「ブスで上等!ブスだからこそ好きな服を着るんだよ!」
その叫び声に通行人も振り向いた。女は舌打ちをして、ゆっくりと手を放す。
「わかった。ちょっとそこで待ってろ。あたしがあんたを連れてってやる!」
女はそう言って愛子から離れ、店に戻っていった。愛子は何もできないままその場で立ち尽くした。
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