【漫画】漫画はいつだって命懸けだ!

1話 キャンパスライフ

大学の通学の為に使うなじみの地下鉄の駅。

長い長い階段を降りようとすると、前方からむおっと生ぬるい風が吹いて、たけるのだらしなく伸びた髪を揺らしていた。

肩から下げている鞄のベルトが食い込んで痛い。

くたくたになった安物の白いスニーカーの紐が解けかかっている。

改設の前まで来ると鞄の中にあるリール付きの定期入れを無理矢理引っ張り出して、カードリーダーにかざす。

ピッという音と共に改設を抜けた。

そこから随分と離れた地下へ降りる階段とエスカレーターの前まで向かうと、エスカレーターの前でもたもたしたおばちゃんに苛立ち、乗るのを諦めて、足早に階段を降りた。


ホームにアナウンスが響き、地下鉄が到着する時の独特なふぅぅんという甲高い音を鳴らして、目の前を勢いよく走り抜いて行く。

電車は音を立てたまま徐々にスピードを緩め、きききっと金属の擦れるブレーキ音を立てて止まった。

再び駅名のアナウンスが流れると同時に、機械音を鳴らしながら電車の扉が開いた。

降りていく客を後目に、電車に乗り込んでいく。

何人かの客が周りを顧みることなく、空いた席に一直線に座りに行った。

時々、一人分座るのに少し窮屈なスペースに無理矢理尻を突っ込む客もいて、隣のサラリーマンが咳ばらいをしながら、横へとずれて座った。


武は車内に入る早々、ドアの近くの手すりに寄りかかって立った。

右のポケットに入っていた携帯を取り出し、画面を眺める。

扉が警戒音を鳴らしながら閉じていくのを感じながら、携帯の中にある漫画のサブスクアプリを開いた。

トップページにはお勧めの漫画の宣伝が忙しなく右から左へと流れ、ランキング上位の漫画の一覧が並んでいた。

武はその中から適当な漫画を選び、無料と書いている1話を開く。

漫画を読んでいる間も車内の走行音がうるさく耳に響いていた。

電車の扉が開閉を何度か繰り返した後、目的の駅名のアナウンスが流れる。

それを聞くと携帯をもう一度ポケットに突っ込み、手すりを掴んでホームに到着するのを待った。

扉が開くと真っ先にエスカレーターに向かう。

この駅の改設までの高低差が大きすぎるので、込んでもエスカレーターを使用した。

その長い長いエスカレーターに乗り込み、改設を出た後、再びエスカレーターに乗って地上に出る。


目の前には四車線の大きな道路が見えた。

しかし、それを無視するかのように横道にそれて、住宅街の細い路地を上るように進んでいった。

前後には同じ大学の学生と思われる生徒が淡々の歩いていた。

標識もなくわかりにくい小路を慣れた様子で上っていくのだ。

そうして10分もしないうちに、武の通う東京落合大学の正面玄関が見えてくる。

大学設立年数が長いためか、正面玄関のデザインが古風なレンガで統一されていた。

門を抜け、目の前の坂道を上がると、校舎が見える。

狭いキャンパス内に真新しい建物と古い建物が混在していた。


武の学ぶ経済学部は、主に新館で講義を行うことが多い。

彼は迷うことなく新館に入り、近くのエレベーターから目的の教室の階へ向かった。

教室に入ると既に幾人かの生徒が座っていたが、誰も前の方の席に座ろうとせず、後ろの方で仲間同士騒いでいた。

武はいつものように右端の真ん中らへんにある席に座った。


経済学部を選択した武だが、実際は全く経済学には興味がなかった。

ただ、父親が自慢げに「経済学を学んでいれば社会に出て無駄なことはない」と言い張るので選択しただけだ。

大学に進学したことも、武自身の希望ではなく、母親の顔を立てての事だった。

そんな興味のない授業を聞いたところで頭に入るわけがない。

武は授業とは別のルーズリーフを取り出して、そこにだらだらとイラストを描いた。


武は漫画が好きだった。

漫画を読むことは当然の事、描くことも好きだ。

武が漫画を読み始めたのは、近所に住む正樹まさき君に雑誌の漫画を見せてもらってからだ。

それは、約5㎝ほど分厚い雑誌で、中には何種類もの漫画が詰まっていた。

面白かった。

日本語もまだ拙い自分だったが、フリガナが打ってあって、イラストがあって二次元なのに動きを感じた。

武は読めば読むほど漫画にのめり込み、次第に自分で描きたいと思うようになった。

彼は親に買ってもらった自由帳にイラストを余すことなく描いた。

自由帳がいっぱいいになると別のノートの端にイラストを描く。

教科書の端にはパラパラ漫画を描いて、動画のようにして遊んだこともある。

そのうち、イラストだけでは飽き足らず、漫画も描くようになった。

コマ割りも雑で四コマ漫画のようになる。

内容もあってないようなもので、とにかく勢いで描いていた。

いつしかそれが親にばれて怒られるようになった。


ノートの無駄遣いは辞めなさい。

漫画なんてくだらないものを描くのは辞めなさい。

漫画家を目指す人間なんて腐るほどいるのよ。

漫画家なんてお金にならない。

そんな夢を持つのは辞めなさい。


常識人の親から浴びさせられる言葉。

わかっている。

漫画家の世界がすごく厳しくて、武のように漫画好きなんてたくさんいる。

実際に描いてる人もたくさんいて、イベントで同人誌として売っている人もいる。

そんな人たちのほとんどが儲けなんてない、趣味どまり。

むしろ仕事で稼いだ金をその活動費にあてる人だってたくさんいる。

そうわかっていても、武は漫画を描きたかった。

漫画の描き方の本を買って、漫画専用の原稿用紙、Gペン、丸ペン、カブラペン。

インクにペン軸、雲形定規、円テンプレート、トーンナイフ、スクリーントーン。

ホワイトに羽ぼうき。

最終的にはライトボックスまでそろえた。

カラーも塗りたくて何種類ものコピックを買う。

それは全てお小遣いや落とし玉で買った。

足りない分は、高校に入ってアルバイトをして稼いだ。

武の時間はほとんど漫画につぎ込んでいたから、勉強する時間など当然なく、自宅から通える偏差値の低い大学を選んだのだ。


漫画を描くことを最後まで母親は反対をした。

描くなら大学の間まで。

社会人になったらきっぱり手を引いて、どこかの企業に就職するように約束させられた。

結局、武の漫画人生は大学までで、大学のサークルには当然漫画研究会を選んだのだが、それすら彼は不満だった。


「武、今日早いじゃん」


講義前に話しかけてきたのはマン研で知り合った藤堂だった。

藤堂は無造作に鞄を机において、椅子に座る。


「今度のコミケの原稿仕上がった?俺、まだネームの段階なんだけど、また徹夜かなぁ」


藤堂は腕を頭の後ろに組んで能天気に話す。

コミケとはコミックマーケットの略で、そこでは夏休みの三日間、大掛かりなイベントを行う。

そこに登録した人は自分の作った作品を売ることが出来るのだが、ほとんどが原作を元とした二次創作漫画だった。

藤堂はその中でもエロゲを元にした18禁、いわば成人向けの同人誌を制作している。

それがいけないとは思っていないが、武はあくまで万人するオリジナルの漫画を描きたかった。


「お前さ、まさか今回もオリジナルとか出さないよな」


武の横で椅子を後方へ倒しながら藤堂が聞いて来た。

正直、コミケでオリジナル漫画を売ってもほとんど売れない。

絵も内容も下手でも、人気のある二次創作漫画特にエロの入ったものが売れた。


「やめとけやめとけ。そんなことに出版かけるだけ無駄だって。だいたい個人で冊子作るだけでめちゃめちゃ金かかるじゃん。冊数すくねぇとぜってい元取れないし。前回のコミケもさ、むちゃくちゃ売れ残り積んでてすげぇ恥ずかしかったしよぉ、お前イラストはうまいんだから、人気の高い作品いった方がいいじゃね?」


藤堂は無神経だ。

前回のイベントで武のオリジナルの漫画が売れ残ったのは確かだ。

マン研でアドバイスされた注目度の高い作品の二次創作を描いた方がよっぽど売れた。

武自身も個人のサイトを作ってそこで漫画を公開することもある。

読まれているのはほとんどがその二次創作漫画だった。


「やっぱお前は、ジャンク系が良いじゃねぇの?アニメや漫画も注目高かった『呪術廻戦』とか、『SPY×FAMILY』とかもいいよな。俺的には、『かぐや様』とか『五等分の花嫁』のエロありが良いけど、武のイラスト向けじゃないしな」


下品な笑いを浮かべながら話していた。

武は鞄からノートパソコンを開いて、藤堂の話を無視していた。

自分の描きたいものは自分で決める。

時間の少ない武だからこそ、余計にそう思えた。


実際、東京落合大学のマン研に入ってもいい事は何もなかった。

自分と同じように本気で漫画家を目指す奴なんていない。

更に言えば、漫画すら描くものは半分以下で、他は読み専の評論家きどりだ。

何人かの原稿も見せてもらったが、どれもイラストは雑。

基本的なデッサンもでたらめ。

内容は常に主人公都合で、女の子はやたら胸が大きかった。

とにかくエロいがいい。

女子だって同じだ。

BLと呼ばれる男同士の恋愛ストーリーを好むやつが多かった。

内容もイラストも二の次だ。

とにかく、自分たちの承認欲求をはらしてくれる漫画を求めていた。


プロならそうじゃないだろう。

武は胸の中でそう叫んでいた。

どうしてもっと新しいものを描こうとしない。

二次創作どまりで満足できるのか、武には理解できない。

本気で漫画家を目指すなら、その手の専門学校に行くのが一番早い。

技術も磨けるし、ライバルもたくさんいる。

オリジナルの作品を出そうと必死になっている奴もたくさんいるだろう。

しかし、専門学校に行きたいなど、武は言えるはずもなかった。

こうして大学に行けるだけでも幸運だったのに、専門の為に親が出資してくれるとは思えない。

武の原稿を見るたびに母親は顔を歪めて、くだらないの五文字で片付けた。

武はこの悔しい気持ちをぶつける場所がなかった。


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