解決

 怪異が吹き飛んだ先を見て、その後津島は右手のストラップを確認した。

 お守りだと渡されたそれの硝子板の部分は割れ、破片が手のひらに刺さっている。


 怪異が噛み付いた瞬間、ストラップが光った。怪異が吹き飛ばされてから、硝子が割れた。


 ……これって、詰まり。

 ……お守りが守ってくれたってことで、良いんだよね?


 今起きた現象を理解すると、津島は割れた破片も厭わずにもう一度右手を握りなおした。


 ……諦めちゃ駄目だ。

 皆も多分目覚める……筈だ。少なくとも僕が食べられなければ皆は攻撃されない。

 僕が時間を稼がなきゃ。

 ……逃げるだけだ。なら僕でも出来る。


 実際、彼は悪戯をした後に追いかけまわされることも多いため、逃げるのは得意だった。更に一般人よりも瞬発力はある。持久力は不安要素だが、それは気合でなんとかしよう。

 そう考えをまとめ、津島は今一度怪異に向き直った。重心を低くして、構える。


 そこでふと津島は思う。自分はこんな人間だっただろうかと……結論は、否。


 ……僕は、そんな奴じゃない。


 我鬼を追いかけた時にも思ったことだ。自分はそんなお人好しではない。

 ただ、この理由に宛てがないわけでは無かった。


 綿雪に付きまとわれてから、二か月。ずっと不可抗力ではあるが、彼女の行動を見ていた。


 水浅葱綿雪は、その態度に反して、案外お人好しだ。

 確かに彼女は強引で、自分勝手で、他人を簡単に様々な事に巻き込む。だがその実、存外、優しいのである。


 始めの文化祭で、津島を空に放り投げたのは綿雪だったが、津島を受け止めたのも、体育館で助けたのも、綿雪だった。

 そもそも彼女が何とかしていなければ、体育館での一件は騒ぎになっていただろう。綿雪が居なければ、津島たちは今のように過ごせていなかったかも知れない。


 そして十一月にもう一度やってきてからも、綿雪は何かと人を助けていた。

 放課後津島にちょっかいを出している時や、朝に散歩と称して登校についてきた時など、場面は多くは無いが、他人の荷物を持ったり、迷子の子供を助けたり、道案内をしたりと、何かと人間を気に掛けている。


 そしてそんな彼女を見ていたから、津島は今、時間を稼ごうなどという思考に至っているのだ。


 綿雪があまりにも簡単に人を助けるものだから、あまりにも躊躇なく手を差し伸べるものだから、移ってしまったのだ、きっと。

 そういう生き方が、ほんの少しだけ、好いなと、思ってしまったのだ。



 

 怪異が突進してくる。

 当たる直前にステージ側へ跳躍する。

 飛んだところに爪撃が追い縋る。

 体育館の床を利用し、スライディングで軌道から逸れる。

 怪異が顔を伸ばして口を広げようとする。

 開き切る前にお守りの残りを目に投擲。怯んだ隙にステージへ。

 怪異が一飛びでステージ上まで跳ぶ。

 怪異がステージ上に到達した瞬間に下へと逃げる。

 追う、逃げる、追う、逃げる、追う、逃げる。


 脳と体を全力で使った、全身全霊の鬼ごっこ。


 生身の人間が逃げと言う一択において、化け物と渡り合っている。そんな少年漫画のような展開が、この場に巻き起こっていた。


 尤も。

 其れが続いたのは、五分程度の、短い時間だけだった。




 普段よりもエネルギー消費の激しい運動に、津島の身体の疲労は案外早くやってきた。

 五分間逃げ回り、怪異が次の攻撃……上からの飛び掛かりを行った時、津島は反射的に相手の下側に潜り込んで避けようとしていた。


 だがここで、津島の足は縺れる。

 転んだ津島の眼前には、大口を開けた怪異の姿が見えた。


 ……あ、今度こそ無理だ。


 鬼ごっこで覚醒していた津島の脳は、瞬間的にそう計算した。


 態勢が崩れており、嚙み付かれるまでに避けることは出来ない。

 お守りは、もう無い。

 今度こそ終わり。絶体絶命大ピンチ。


 そしてそんな時は大抵の場合、時間の流れが遅く見える。

 大抵走馬灯が見え、大抵案外焦らない。大抵は後悔が頭を過り――そして大抵、頼りになる仲間が助けに来る。


 怪異と正面で向かい合っていた津島に、横向きの衝撃が走った。


 彼が気が付くと、ステージ上から怪異を見下ろしている。


 津島は訳が分からず、目をパチクリとさせた。


 態勢はうつ伏せ、腹部には圧迫感。そして、聞こえた、いつも揶揄ってくる、高くも低くもない女性の声。


「いやあ、危ない危ない。大丈夫だった? 三七十」


 いつの間にか、津島は綿雪に俵持ちにされていた。

 因みに、綿雪はいつの間に着替えたのか着物に袴姿である。耳も尻尾もちゃんとある。


 普通の漫画やアニメならば激熱感動展開である。しかしまあ、この小説でそんなことは起きないのだが。


 「く……く……」津島がフルフルと震えた。そしてガバッと顔を上げたかと思うと、一声。


「来るのがおっそい!! この馬鹿綿雪!!!」


「へ?」


「こちとら何時もならぐっすり寝てる時間に駆り出されたうえ、命がけで鬼ごっこもしたって言うのに! なに! そのヒーロー感!! ただ遅刻してきただけの癖にカッコよく決めてムカつく!!!」


 「ぐっ」綿雪が呻いた。「き、気にしていたところを的確に突っ込んでくるとは……や、やるじゃないか……!」


「やるじゃないか、じゃない!!」


 津島は叫ぶ。


 その姿は文句を言っているというよりも、安心して感情が溢れたと言った方がしっくりと来た。


 然し怪異は彼らの事情を待っては呉れない。一つ唸ると、二人に突撃を開始した。


「御免って……うおっ!」


 それを見て、謝りかけた綿雪は直ぐに瞬間移動をする。

 先程迄居た位置とは真反対の場所に移動すると、津島が叫んだ。


「ねえ! これ如何するの?」


「いやー。祓うしかないね。ショウセイ君無しで」


 綿雪は答えると、また瞬間移動で場所を移した。怪異がまた走って来たからである。

 怪異が走ってきては瞬間移動で逃げるのを繰り返しながら、二人は小声に成り会話する。


「我鬼さんなしで!? そんなこと出来るの?」


「うーん。まあ出来なくはない。三七十が協力して呉れれば」


「え? まだ働かなきゃいけないの? 一人でやってよ」


 津島の言葉に、綿雪がため息を吐きつつ答える。


「いや……そうしたいのは山々なんだけど、私じゃ倒せても祓えはしないからさ……」


「何が違うの? その二tってヒッ……!」


 津島が小さく悲鳴を上げた。避けている最中、すぐ横を怪異の爪が通り過ぎたからである。

 それは気にせず綿雪は続ける。


「怪異は祓わないと完全には消えないんだよ……倒しただけじゃまた復活するんだ。ほら、某なんとかボールの主人公みたいなしつこさだよ。ウザいだろう?」


「それ敵側の感想じゃない? というかネタがアウトじゃない?」


「まあまあ、それで、妖怪は怪異を基本祓えないんだよね。ショウセイ君は例外」


「……やっぱり我鬼さんってすご……うぉっ!!」


 また津島が悲鳴を上げた。今度は怪異の口の中に入りかけた為である。


「ねえさっきから避けるのギリギリじゃない!? 怖いんだけど!」


「だからさ、私が戦っているうちに君が祓ってくれない?」


「無視!? 毎回酷くn…ってあっぶな!」


「なあに方法は簡単さ、君が『陽天龍剣』でこれを切ればいい」


「だから無視しないで?! もっと安全に避けて! ねえ!」


 会話が噛み合わなくなってきたところで、綿雪は一瞬で我鬼の剣を手元に引き寄せた。瞬間移動の応用だろうか。如何やら手元に引き寄せることも出来るらしい。


「はい」

「え?」


 綿雪は津島を抱き抱えたまま、唐突に彼に剣を手渡した。戸惑いながら手に持つと、結構ずっしりと重かった。具体的には肩が抜けそうになるくらい。


「あの……滅茶苦茶重いんだけど……」


「え? そう?」


「そうだよ!!」


「大丈夫大丈夫、三分の一鞘の重さだから、それ」


 そう言いながら、綿雪は津島を怪異から一番離れている床におろした。そのまま津島に抱きしめられている鞘から剣を抜き、津島に手渡す。ついでに鞘はぶんどって怪異に投げた。見事に当たって怪異が吹っ飛んだ。


 津島は手渡された状態(刃下向き)から頑張って剣を持ち上げた。無理だった。鞘分軽くなったとはいえまだ重い。


 無理! と津島が叫んだ。綿雪がええ……と言う顔をした。


「ええ…じゃないよ! 僕には無理! 振り回すどころか持ち上げるのも無理!」


「……あ、其の剣にはさっき言った通り怪異を祓う作用があるから、一発当てればオーケーだよ」


「人の話聞いてた!? というかそれなら綿雪が使った方が良くない?」


 津島が純粋な疑問をぶつけると、綿雪がそうなんだけどねえ……と続ける。


「実はその剣、妖怪は効果を引き出せないんだよ……何故かその剣を使えることが、さっき言ったショウセイ君が例外たる所以だ」


 私が使ったらただの鈍器になる。

 そう言うと、綿雪は津島の肩に手を置いた。キランと効果音が付きそうな表情をして言う。


「大丈夫、君なら多分できる」


「いや、格好つけて言っても無理だよ……?」


「……しょうがないなあ」


 言うと、綿雪は津島に剣を正しく持たせた。剣道のあれである。右手が上の奴。


 あれ? 指導してくれるの? もしかして。


 津島はそう期待したが、今はそんな時間は無い。

 綿雪はそのまま津島の手を持って剣を上に上げさせ……手を離した。


「え?」


 えええええええ????


 尋常じゃない重さが体に掛かり、津島は必死で剣の位置を真上に保つ。良い子の皆は真似をしてはいけない。これはとても危ない。本当に。


 既に手がぷるぷるとしている津島に親指を立てると、綿雪は言った。


「よし、其の儘合図するまで死ぬ気で其処に留めて置いて、合図したら振り下ろしてくれたまえ。目を瞑(つむ)っていても良いから」


「ちょっとわたゆっあ、倒れる倒れるほんと倒れるって……!」


 言うと、綿雪は一瞬で、既に鞘の投擲攻撃から回復している怪異の元へ向かった。


 津島は目を瞑りながら頑張って剣を上段に保つ。いや、頑張るというよりは踏ん張るという方が正しいかも知れない。


 綿雪は拳を構え、怪異の元へ一直線に跳ぶ。


 そして、怪異はそれに見事騙された。


 怪異は一直線に向かい来る綿雪を迎え撃たんと爪を振りかざす。この直線コースでは爪は確実に綿雪を屠るだろう。


 勝った。


 と言うように、怪異が目を細めた。

 その時。


 綿雪は、瞬間移動で|怪異の(・・・) |背後の(・・・)壁に(・・) |居た(・・) 。


 怪異が空振り、綿雪は壁に着地する。


 そして。


 綿雪は壁を蹴って飛び、態勢の崩れた怪異を足で蹴り飛ばした。


「三七十! 今!!!」


 怪異の軌道上には、剣を構えた津島。


 津島は合図とともに、剣を重力任せに振り抜き—————————怪異を、縦向きに真っ二つにした。


「ヴォオオオオオオオオオ!!」


 獣のような叫び声をあげ、白い光を放ちながら、獣の怪異は消失した。


「え……?」





「……たお、した……?」


 剣を振り下ろした状態で、呆然と津島は呟いた。


 怪異は跡形もなく消え失せ、いつの間にか、靄のように漂っていた霧は晴れている。


「うん。祓えたね。ありがと」


 ぽかんとする津島の頭に手を乗せると、綿雪はぽんぽんと、その頭を撫でた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る