静かになった体育館で

「ショーセーイくーーん」


 ぺちぺち。綿雪が我鬼の頬を叩く音がする。

 その音を背後に聞きながら、津島は奈都の前にしゃがみ込んだ。


「先輩、終わりましたよ」


 そういって優しく肩を揺すると、奈都は存外早めに目を覚ました。


「ん……つ、しまくん……? あれ、わたし、ねてた……?」


 そうを言いながら奈都は上体を起こす。いまいち状況が掴めていないようで、彼女はキョロキョロとあたりを見回した。


「えっと、話すと長くなるんですけど……」


 津島はどこから話そうかと、奈都から視線を外して考えた。

 初めから順を追って? それとも結論から入るべきだろうか。我鬼と一緒に説明するべきなのでは? そもそもあのような危機的状況にあったことを話しても良いのか、奈都がショックを受けるのではないか、エトセトラ。


 数秒の思考の後、とりあえず今は安全であることを伝えよう、そのような結論に達した津島は、奈都に視線を戻した。そして、


「あれ、先輩……?」


 と、困惑の表情を浮かべることになった。


 奈都の目尻から、大粒の涙が一つ、零れ落ちたからだ。


「津島君? どうしたの?」


 本人は気がついていないのだろう、いきなり固まった津島に対して首を傾げている。


「え、っと、その……泣いてますけど、大丈夫、ですか?」


「え?」


 奈都は自分の頬に手を当てた。そこでようやくそれに気がついたようで、目を丸くして呟く。


「あれ、どうしたんだろう、私……」


 津島はぱっとある推測に至り、おずおずとそれを口に出した。


「あの、もしかして、見た夢が怖かったとか……」


 津島は倒れている間青年に出会う夢を見た。あの夢を見たのが怪異の所為だとすれば、奈都はその所為で悲しくなるような夢を見たのかもしれない。


 だが奈都はさらに困惑したように首を傾げ、「夢……?」と呆けた声を出した。


「あれ、夢を見たんじゃないんですか? 倒れているあいだに」


「……いや、とくに何も覚えてない、けど」


 これはどうしたことだろう。奈都は夢を見て眠っていた訳ではないのだろうか。

 津島が不思議に思っていると、後ろの方から、「あ、起きた」という声がした。振り返れば、我鬼が起き上がっている。


「……とりあえず合流しましょうか。説明は皆揃ってからやりましょう」


 ついでに綿雪に聞こう。そう思うと、津島は奈都が立ち上がるのを手伝い、彼女と一緒に我鬼と綿雪の元へ向かった。 




「あ、さとちゃん。起きたんだ。気分は如何?」


 二人の元に着くと、綿雪が奈都に微笑みながら聞いた。

 因みに綿雪の格好は洋装に戻っている。いつの間に着替えたのだろうか。


「え、あ、大丈夫、です……?」


 奈都は疑問形で返した。先程のこともあるが、自分が寝ている間に怪異の退治が終わり、何があったのかと困惑しているのだ。


 これはしっかりとした説明が必要だろう。津島はそう思った。だが。


 「そう。其れは良かった……じゃあ帰ろうか」


 と、綿雪は言った。


「え?」


 説明は? 

 人間二人がポカンと口を開ける。


「良いから良いから。良いから良いから」


 綿雪が立ち上がって二人をグイグイ押す。

 この狐、一体どうしたというのだろう。説明もなしに行動するとは遂に気がくる……いや待て、そうだった。この狐は常々説明を省く癖があるのだった。今更ながら何て奴だ。


 津島は抗議しようとした。

 そして気が付いた。綿雪が急ぐ訳に。


「……ら……な……とが」

「きこ……よ! な……あった……しょ」


 体育館の外から、人の声がするのである。

 時間は既に十一時過ぎ。こんな時間に学校に居るのは、不法侵入をしてきた津島達の他には二通りしかない。


 一、夜勤の見回りさん。

 二、同じ不法侵入者。


 そして恐らく、今聞こえた声は前者である。


 見 回 り の 人 お る 。


 此処で、津島は確かめるように辺りを見回した。


 怪異との戦闘で抉れた床、壁にある爪の跡、綿雪が付けた凹み、その他の破損痕。

 体育館は思いっきり壊れていた。


 ……あっれぇこれはまっずいんじゃ。


 津島は恐る恐る綿雪を見た。彼女はとても良い笑顔で親指を立てると、


「逃げるよ★」


 と言った。





 黒いスーツを着てステッキを持った青年が、夜の学校を見下ろしていた。


 見下ろしていたと表現したが、近くの建物の中に学校よりも高いものはない。遠くの神社に行けば話は別だが、青年はそこにいる訳ではなかった。


 青年は、何やら円盤状の何かの上に立っていた。

 

 暗がりで詳しい様相はよく分からない。だが青年は確かに、その空飛ぶ円盤の上に立っていた。

 

 そんな不可思議な青年が見下ろす学校は騒がしい。警察のパトカーが校門前に停まり、警備員らしき人間が警察官に興奮した様子で何かを捲し立てている。


「んー……どういう状況?」


 青年、織田栄二郎は呟いた。

 その後円盤をステッキで突くと、円盤はゆっくりと学校の敷地内に移動していき、いずれ校舎の中に入った。


 四階の廊下。音楽室。三階の物理室。順番に移動していき、二階の渡り廊下に来たところで、彼は「全部祓われているな」と呟いた。


 その後彼は体育館へ移動する。警備員たちが校門に集まっていることを確認して、中に侵入。 


 そして内部の惨状を眺めると、彼はしばらく眉をひそめ、「うーん?」と唸った。


「戦闘の跡? それにしても随分強い怪異が居たみたいだけど……他の場所と同じでもう祓われているな……他の残っている妖力は……なんだ?」


 織田は探るように体育館を見回した。もう既に誰も居ない体育館には、戦闘の傷跡と月明かりのみが残されている。


「……ん? これは……」


 キラリと光るものを視界に捉え、唐突に織田は目を細めた。床に降り立つと、そこには一片の硝子片。

 それを広いしばらく眺めると、彼は怪しく笑った。


「……水浅葱綿雪さんか……」


 二日前に出会った妖狐の名前を呟くと、彼は小さなジップロックにそれを仕舞い、続けて独り言を零す。


「一体、何を考えていらっしゃるんだ?」


 ……いや、彼女の行動パターンからすると可笑しいことじゃない。過去の記録にも同じようなことはあった。だが、果たして「気まぐれ」で片付けて良いものか。


 ここまで考えたところで、ふと後ろから、「誰だお前は?!」という叫びと、懐中電灯のライトが浴びせかけられる。


「あー、長居しすぎたか……」


 そう言って振り向けば、体育館の入り口には警察官と警備員がいる。声を上げた人間は織田にライトを向けながら、さらに声を張り上げる。


「これはお前がやったのか?! 一体何が……あ……?」


 だがそう言う声の主の視線は、既に織田には注がれていなかった。


 彼の視線が向いていたのは、織田が乗ってきた謎の円盤。

 ライトによって照らされたそれは、この瞬間初めてその容貌を明らかにした。


 それは、どうにも円盤の形をした人間らしかった。

 らしかったというのは、それの表面が人間の皮膚に見えたからだ。


 ただれた皮膚はたわんだり張ったりを繰り返すように円盤の表面に広がり、所々には手や足のような形が見える。血は流れていないが、見えている関節の曲がり方は人間のそれでなかった。それはまるで、人間がそのまま円盤の形に押し込められたかのような見た目であった。


「ば、化けもの……」


 誰とも判らない声が、ぽつんと体育館に落ちた。


 黒い青年はわらっていた。

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妖怪✕人間の救済記録 @yamaesu-no-suke

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