月明かりの中、もう一度

 もう一度、音楽室に音色が踊る。


 だが観客は三人に減り、ピアノ奏者の横には歌い手が居る。


 そしてまた、機械的な旋律が連続される。先程よりも跳ねるように、水を得た魚のように。


 和音が鳴り、綿雪の声が響く。



  これは僕だけの歌

  僕と君だけの歌



 綿雪の声は、確かに見傘の声とは違う。

 特段惹かれるような声質ではなく、だからといって歌が下手なわけでもなかった。


 ただ、朗々(ろうろう)と。


 淡白だがはっきりとした、音程が守られリズムも崩れない、安定した歌声をしていた。



  ああ、誰も居ないんだ

  罵声も無ければ称賛もない

  誰も此方を見て呉れない



 だが音程の安定から、山奈子(たかなし)のアレンジは確りと通用した。

 然しながら、矢張り癖の違いはある。

 見傘の癖を想定した伴奏に、綿雪の声が噛み合わないことも多々あった。



  まるでそれは風のよう

  冬に在れば痛いけど

  夏に在れば涼しいような



 しかし、山奈子は幸せだと思った。

 嗚呼、やっぱり歌う人が居ると違うな。音が噛み合っているから気持ちがいいや。

 ……あ、でも、ここの歌い方違うな。それはそうだよね。影みたいに行くわけはないか。



  無風なんだよ孤独ってのは

  誰も触れて呉れないんだもの

  まるで昔の僕みたいに

  風さえ吹かずに一人で歩くの



 此処も違う。サビの上げ方とか全然。

 ここで山奈子は己の中の感想にはっとなる。これで終わりだと振り払う気だったのに、自分はまだ未練がましく、親友のことを考えているのか、と。

 ああ、これじゃあだめだな。会いたくなっちゃう。

 ……会いたくなっちゃう?



  でも君はそんなときずっと

  ずっと一緒に居てくれたよね

  風が吹くまで無風の中を

  僕の為の木陰になって



 会いたくなったら、駄目なの? 何で私、そんなことを。

 でも、何でか今まで、会いたいって思った事は無かったな。

 だって、会ったって……何を言えばいいのかな。

 ……何を言われるんだろう。

 ……あれ? もしかして、私怖がってる? 会うのを? なんで?



  だから今度は僕の番だ



 間奏に入り、ピアノの中に主旋律が紛れ込む。

 自然と指が動くのを感じながら、山奈子は思う。

 あったらどうなるんだろう。その何を怖がっているんだろう。

 ……あ、そうだ。転落じゃなくて、わざと落ちたからだ。


 私の死因が自殺だからだ。



  何処へだって会いに行けるよ

  何処にだって一緒に行かせて

  そこがたとえ追い風のない

  向かい風すらない場所だって



 なんか、色々どうでも良くなって、高いところに行ったら、出来そうだって思って……。

 でも落ちている途中に思ったんだ。影は、自分が死んだ所為で私が自殺した、って思うだろうなって。

 そんなの、駄目だって思った。



  僕はそんな無風の中を

  ずっと一緒に居てあげるから

  風が吹くまで無風の中を

  君の背中を押して進むよ



 そうか、だから、まだこんなところに居るんだ、私。

 あの子の泣いた顔、見たくないんだ。

 ……でも。

 多分今のままでも、駄目だよね。

 なら、きっと。



  言ったでしょ次は僕の番なの



 一人きりでこんなところに居て、ずっと泣いて過ごすよりは。

 さっさと行って、泣いて叩かれてでも、会えた方がいいよね。

 心の整理をつけ、山奈子は残りの伴奏を弾き切る。

 その指は、何時もよりも軽かった。






「ありがとうございました」


 演奏が終わり、山奈子は綿雪に頭を下げた。


「否否、こちらこそありがとう。楽しかったよ」


 綿雪がそう返すと、タイミングを合わせたのか、我鬼が一歩前に出てくる。

 が、綿雪は其れを片手で制した。


「おい、綿雪……」

「もう必要ない」


 見てごらん。そう続け、綿雪は目で山奈子を指した。


「……!」


 見ると、山奈子の体が淡く光り輝いている。


「祓わなくても、成仏できるみたいだよ」


 山奈子の体の変化には生徒二人も驚いたようで、寄ってきて山奈子の周りを取り囲んだ。

 が、一番驚いているのは本人のようだ。


「な、ななな、なんですか? これ?」


 山奈子の疑問に、綿雪が答える。


「成仏だよ。如何やら未練が晴れたみたいだね」


 本人にも心当たりがあるのか、山奈子はハッとすると、少しだけ笑った。

 そんな中、綿雪が教室の窓を開ける。

 山奈子が言った。


「あ、ああ、あの、本当に、聞いてくださってありがとうございました……! あ、あと、歌の方も」


 良く分からないままの成仏に、各々自由な意見を述べる。


「いや……」

「え、えっと……ピアノ凄く素敵でした……!」

「う、歌ってもらうのが未練だったってこと……?」


 そんな中、山奈子の体はどんどん光量を上げていく。


 薄く青緑色に発光するそれは、月明りとも相まって非現実感を漂わせる。

 そして光量が上がってきたところで、綿雪が一言、言った。


「……おめでとう。いってらっしゃい」


 其れを聞き山奈子は……クシャっと笑った。

 そして次の瞬間、体がすべて光に包まれ、光の蝶の大群になり、綿雪が開けた窓から一斉に飛び立った。


「……綺麗」


 奈都が零した言葉に喜ぶ様に、蝶達は夜に昇って舞って逝った。

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