夢の中

 此処は何処だ?


 射干玉ぬばたまのような漆黒の闇が、辺りを覆いつくしていた。


 場所が分からぬ。前後の記憶もない。この場所は、何だ? 小生は、何故此処に居る?


 ……若しや、此れは夢か。


 ふとそう思い、辺りを再度見渡してみた。


 見渡す限りの、闇。

このような場所、存在するはずもない。


 頬を抓ってもみた。然し、痛みも何も無い。


 ならば、此れは夢なのだろう。

 そう思い暫時ざんじ其の儘そのまま座っていたが、何分することがなく落ち着かぬ。周りには何も存在せぬ故猶更なおさらだ。


 歩いてみるか。


 ふとそう思う。歩けば何か在るやも知れぬ。少なくとも此の儘座り続けるよりはましであろう。


 立って歩いた。存外早く変化が現れた。


 暗い視界に黒以外の色彩が現れた。少々近づくと、道のような形状をしていることが判った。更に近づいて、気付いた。


 そうか、此れは悪夢か。


 其れはたしかに道であった。ただし死者の道だ。その道は死体で出来て居た。


 幅は正に人二人ほど。実際二人分の死骸があった故、測るのは容易であった。初めの二人は妖怪だ。七年ほど前に切った顔。その後の死体も見知った顔だった。小生が葬った顔だ。


 この道は小生が、我鬼羽立が積み上げてきた死体の道か。


 暫く立ち止まり道を眺めていた。いずれ歩き出した。見ねばならぬ気がした。


 進むほど死骸は古くなった。否、小生が殺した順に、新しい者から並んでいる。死体はどれも最後に見た状態だ。腐ってはいない。


 その後も妖怪百数体が続いていた。見るたびに葬った瞬間が脳裏に過(よぎ)る。善い気分ではない。人間も紛れていた。襲撃してきた陰陽師たちだ。正直見たくもない。


 暫時進むと、孰れ道が人間のみになった。当惑した。


 殺した覚えのないものばかりだ。これ等は一体何者なのか。小生が覚えていないだけなのだろうか。其れとも夢ゆえの妄想の類か。


 知らず動悸が速くなった。道を更に進んだ。


 人間は嫌いだ。故に死体に囲まれるのも好かぬ。然しもう道には人間のみ。然し足は止まらぬ。動悸も尚速くなる。


 人間しかおらぬ。顔も知らぬ人間だ。殺した覚えどころか見た覚えすらない。


 進む。進む。

 他に道もない。戻る気にもならぬ。進むしかないのだ。そして、道の終わりが見えた。


 心臓がどくりと脈打った。


 居たのは子供だ。数人の子供の死体。


 何故か、此れが最も鼓動が跳ねる。誰かに叩かれているような程に強い動悸だ。


 膝を着く。情けなくも立っていられない。動悸が酷い。息がし辛い。汗が出ているのに気付く。手が震えている。


 そして其の時、漸く子供の中に紛れる男の死骸を見つけた。最も道の端に近いところに居る。


 何故か、その者に駆け寄っていた。自分でも驚くほど、我武者羅(がむしゃら)に。


 顔を見る。そして思った。



 小生は、貴方を知っている。



 動悸が一層強くなった。動悸に殺されるのではないかと懼れた。頭も痛む。呼吸も荒い。


 貴方は、貴方は誰だ。小生にとっての何だったのだ。


 目を瞑る。眠ってしまいたいが眠れない。此処は夢であるから当然だ。矢張りこれは悪夢だ。



 此の人々は小生が殺したのか? 子供もショウセイが殺したのだろうか。記憶にない。そもそも何故しょうせいはこんなに苦しく成っているのだ。将星は、違う。祥生、だれだ。詔征、否。小生、ちがう。ちがわない。翔星? なんだ。何故出てくる。おまえはだれだ。






 奈都の世界は、四人の中でも最も狭かった。

 更に言うと、中で起こっている事は決して特別なものでは無い。

 ただの、家の中での両親との幸せな毎日だ。

 家から出ることは無く、外の景色を見ることもない。

 其れでも、奈都は幸せだった。

 もう居ない両親との日々が、彼女を夢に縛り付ける最も有効なものだったのだから。






 我鬼が閉じ込められているものと、よく似た空間。射干玉の闇のような、真っ黒な空間に、その半球は在った。

 白く光る物体だ。黒い空間に存在する其れは、外のモノから中の者を守っていた。


 守っていたという表現をするのは、その外側に明らかに有害と分かるものが大量に存在したからだ。


 まず地面には緑色に濁った沼が半径十メートルほどの円状に存在しており、表面から同じ色の臭気をまき散らしている。明らかに健康に悪そうな色である。

 そして、沼の外には大量の人間が居る。どれも赤黒く、目だけが炯々として、何とも不気味な様相を放っている人間だ。さらには、それらは口々に呪詛を唱えていた。

 然し、中のその呪詛が届くことは無かった。半球が守っていたからだ。


 半球の中には、一人の少年と青年がいる。

 少年は学校の制服を身にまとい、すやすやと眠っている。

 一方青年は麻の着物を纏い、床に座って外の様子を窺っていた。


 暫くして、少年の瞼が開かれ、赤茶色の虹彩が覗く。


「ん……ふぁ……あれ?」


 欠伸をした後に疑問の声を漏らすと、少年――津島三七十は目覚めた。


「何? ここ……」


 僕、確か綿雪達と体育館に居た筈なのだけど……。


 そう思い周りを見回すと、直ぐ近くに居る青年に気が付いた。驚いて声を上げる。


「うわっ! あ、貴方誰?」


「……」


 然し、目の前の人物は答えない。

 何もない斜め上の空間を凝視し、微動だにしない。


 ……あ、あれ? 無視?


 そう思った津島は、もう一度声を掛けてみる。


「あ、あのー」

「……」


 沈黙。


 なんだ、この人。

 と津島は思った。


 と云うか今の状況が分からないんだけど……。


 困惑して今一度周りを見てみるが、何処を見ても白い壁しかない。矢張りこの青年に聞くしか無さそうである。


「あ、あのー」

「……」

「こ、此処何処か知ってたりしませんかー?」

「……」


 青年は矢張り微動だにしない。


 あれ? この人本当に生きているのかな? 死んでない?


 津島は少し怖くなった。肩を叩いてみることにした。


「あの……」


 言いながら肩に手を伸ばす。

 そろり、そろりと手を近づけ、肩にそっと置くと、


「うわああぁあああぁああぁああ!!」


「うええええええ!?」


 青年が大声を出し、津島はその声に驚いて尻もちを着いた。




「び、び、吃驚したあ」


 叫んで肩を窄ませると、青年は声を震わせながら言った。

 が、吃驚したのはこっちである。


「吃驚したあ、じゃないよ!! こっちの方が驚いたよ!!!」


 尻もちを着きながら津島が叫んだ。結構痛かった。

 が、非難の声には反応せず、青年は言う。


「え? あ、起きてたの? 声かけてよ、もう」

「『もう』じゃないから!! と云うか二回くらいかけたからね!! 無視したのはそっちじゃないか!」

「え? こんな距離で気付かないわけないよ」

「真面目に殴るよアンタ!!」


 ちょっとした理不尽に津島はキレかけた。だが青年は怯えもせずに言う。


「あ、そうそう。君たち今大変なんだよ。早く此処から出ないといけない」


「何説明始めてるの?! 人の話を聞けこのイケメン!」


「お、有難う。それで今君は怪異の幻術に掛かっているわけだけど……」


「都合の良いことしか聞こえないのその耳!?」


 勝手に話を進める青年に、津島はツッコミを入れる。ボケ役の津島が突っ込み役に徹しているのは大変珍し……否、綿雪らと居る時は余りボケていなかった。どれだけあの面子はキャラが濃いんだ。


「そもそも此処は何処なの? 何此の白い球体! 抑々僕は体育館に居た筈なんだけど? そもそも貴方は誰? 綿雪達は何処に行ったの?」


「いやいや、僕がすべての犯人みたいな質問攻めをされても……」


 青年は困ったように笑うと、うーんと考えるしぐさをする。


 ……なんかこの人、笑い方が綿雪に似てる……?


 そう場違いな事を考えていると、青年が言う。


「そうだね……今は時間が無いから一つだけ答えるよ」


 青年は立ち上がった。

 立ち上がれなかった。天井に頭をぶつけた。


 何やってんだこの人。

 と津島は思った。


 しかし本人は余り気にしていないらしく、痛あ、と言うと、続けた。


「此処は幻術の中だよ。君は夢を見ているんだ」


「え?」


 言うと、青年は津島の額に手を当てた。


「だから、もう目覚める時間だ」


 津島の視界が、再度暗転した。





 

 私は水浅葱綿雪。生まれは東京、育ちは神奈川。好きなものは人間。よし、ちゃんと言える。記憶喪失じゃあない。

 この変てこな森で目覚めてから数分。良く分からない状況に、取り敢えず自分が何者かを確認した。

 何故変てこなのかと言うと、今この森は秋だからだ。さっきまで冬だった筈だから明らかに異常事態だ。ついでに着ていた筈の洋服は着物に成っているし、耳も尻尾もある。


 あ、冬で思い出した。学校に七不思議を解決しに行って体育館に入ったんだ。其処迄の記憶はある。逆にそれ以降は無い。


 ……つまり、これは夢か。将又はたまた幻覚か。


 怪異には独特の能力を持つ者も居る。そいつが体育館に居て、私はまんまと術中に嵌ってしまったのだろう。


 え? 認識が早い?


 そりゃあ私も妖狐だからね。この手の術は得意分野だよ。


 でも、この状況はちょっとまずい。否、大分拙まずい。

 何が拙いって、私が幻術に嵌っているって言う事態が拙い。


 幻術は術者の力量と掛けられる側の耐性で掛かりやすさが変わってくる。私は妖怪だし、自分でも幻術は使うから、そっち系の術には結構耐性がある。


 渡り廊下の怪異が居たでしょう? あれも幻術を使うタイプだよ。声でおびき寄せて、近づいたら催眠を掛けて獲物を食べていたのだろうね。


 でもあの怪異は弱かったから、私達は幻術には掛からなかった。私とショウセイ君は妖怪だから多かれ少なかれ耐性があったし、三七十と彦ちゃんにもお守りを持たせていたから効果はなかった。


 でも、この怪異の幻術は相当強い。耐性が高い私でも掛かっている位だ。耐性の少ないショウセイ君も掛かっているだろうし、お守りに掛けた幻術耐性も私よりは高くない。


 抑々……あのメンバーじゃ、今幻術の中に居るって気が付いてすら居ないかもしれない。


 つまり私が掛かっているという事は全員が掛かっているってこと。現在私達の身体は抵抗できない状態で転がっているという事だ。私だけでも早く抜け出さないと、誰かが怪異に食われる。


 そうと分かれば早速抜け出す方法を見つけなければ。


 そう思い、いつの間にか座っていた岩から飛び降りた。恐らくは出口があるか、または何かのきっかけで戻れるはずだ。


 ……取り敢えず腕でもいでみるか。

 痛みで抜け出せるか試そうと、自分の左腕に手を掛けた。


 強く握り、其の儘思い切り力を—————いれられなかった。


 いつの間にか、手を誰かに掴まれていた。


「何をしようとしているの?」


 中性的な、力強く優しい声がした。

 そして同時に理解した。此処がどういう幻術で、どのような方法で私を縛ろうとしているのかを。


 嗚呼、そう来たか。


 そう思い私の手を掴む腕を追って顔を上げれば、予想と違わない顔が、私に向けられていた。

 こっそりと深呼吸をして、その幻術に声を掛ける。


「やあ、星彦」


 幻術の中に居るこの男の名前は、与島星彦。

 織田君が言っていた、百五十年前に死んだ、歴代最強の陰陽師。


 そして、私の最愛の人間だ。






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