第三と第四の七不思議、歌う肖像画と鳴り出すピアノ


 ピアノの音が未だに鳴り続ける中、綿雪は針金を動かす。


 廊下に入る月明りの中、三人は固唾をのんでその様子を見つめていた。


 音楽室の七不思議の噂は二つ。『夕方から鳴り出す音楽室のピアノ』と、『夜中に歌い出すベートーヴェンの肖像画』。


 細かく震える奈都と、唾を飲み込んだ津島に、我鬼が言った。


「中に何かが居るのは確実だ。御前たちは後ろに居ろ」


 現在時刻は十時過ぎ、生徒はおろか、教員ももうとっくに帰った時間である。


 故に、ピアノが鳴っているのは有り得ない。


 鍵は外から掛ける仕様だ。綿雪が針金を使っている時点で、中でピアノを弾いているのは、何らかの手段で音楽室に居る人間か、将又(はたまた)人間ではない何かに限定される。


 そして_____先程テケテケの妖を見た彼らとしては、中に居るものの正体は後者であるとほぼ断定していた。


 其れを想定してか、我鬼がバット入れの中から先程の剣を取り出した。左腰に手で鞘を持ち、何時でも抜けるように構えておく。


 そして、遂に鍵が開いた。

 扉を開けると、目の前には音楽家たちの肖像画が並んでいる。その中にはベートーヴェンのものもあるが、歌っている様子はない。如何やら、夜中に歌い出すと云うのは只の噂だったらしい。


 と言っても、其れを確認する余裕は、津島には無かったのだが。


 津島と奈都の二人は中を見た一瞬、ひとりでにピアノが鳴っているように見えた。


 実際、この『夕方から鳴り出す音楽室のピアノ』と言う七不思議の噂は、誰もいないはずの音楽室からピアノの音がして、覗き込むとピアノが勝手に鳴っている、と云うものである。


 が、実際、其処には人が居た。


 否、幽霊が、いた。


 ひとりでに鳴って居るように見えるピアノを二人が凝視していると、ふと、何かの影が見えたのだ。


 はじめは、ピアノの席の上あたりが歪んで見えるだけだった。


 次第にその歪みが人の形をしていると気が付いた時には、歪みは既に透明度を下げ、ゆっくりと人の姿に成っていくところだった。


「ゆ、幽霊……!」


 奈都が小さく悲鳴を上げた時、その幽霊がこちらに気が付いた。

 気が付いた幽霊はゆっくりと目を見開くと、一言。


「ひ、人っ!?」


 素っ頓狂な声を上げると、其の儘椅子からひっくり返った。




「あああばばばばすすすみませんでした本当にすみませんでしたピアノ勝手に使って本当にもうなんて申し開きをすれば良いかかか」


 一同の目の前には、ガタガタと震えながら土下座をする幽霊の姿がある。


 見た目からして十七、八の少女だろうか。古い制服に身を包み、背中に掛かる髪を下で結んでいる。


「あ、否、こちらこそ演奏中に勝手に入ったし……お互い様……?」


 嚙み合っていないフォローをしたのは綿雪だ。ちょっと状況が飲み込めていないらしい。

 状況を整理するためか、綿雪が少女に聞く。


「えっと……君は?」


 少女は土下座から正座に姿勢を正し、背をピッと伸ばして答えた。


「あ、えええとっ。幸宮高校二年七組の山奈子紗(たかなしさ)季(き)です。一応……幽霊(?)です」


「え、あ、うん」


 穏やかだなーこの子。

 そう思いながら、綿雪は質問を重ねる。


「えっと、紗季ちゃん。なんでピアノを?」


「あ、は、話すと長くなるんですけど……」


「手短に話せ」


 言ったのは我鬼である。現在剣は左手に持ったままにし、真顔で山奈子を見つめている。もともと釣り目であるから結構怖い。


 因みに生徒二人は何をして善いのか分からず端の方に固まっている。思ったより無害そうな幽霊に意外そうな顔をしながら。


「ちょっとショウセイ君。君目つき悪いのだからもうちょっと笑顔を作りなよ。それに話を聞くくらい良いじゃないか」


「時間が惜しい」


 酷いなあ。と言いつつ、綿雪は目で山奈子を促した。

 あ、はい! と返事をしつつ、山奈子は語る。


「実は……十年位前に死んじゃいまして」


 十年とは長い年月だ。彼女の制服が古いのもうなずける。


「それで、死んだ後に、なんか……あの世に行くと思ってたら、まだ此処に居たと云うか、何と云うか」


「死んで幽霊になったってことだよね」


「はい……正直訳が分からなくて、誰も見つけて呉れないし、何も触れないし、なんか、死んでもいないし生きてもいない感じで、これからどうすれば良いのかも分からなくて……他の幽霊にも会えませんし」


 肩を落とし、声を萎ませながら、山奈子は語る。

 それは大変だったね。と相槌を打ちながら、綿雪達は話を聞く。


「泣きそうになって、何時も居た音楽室に来たんです。少しでも落ち着くかなって思って。それで、何時もの癖でピアノに触ったら……不思議ですけど、触れたんです。前は触れなかったのに」


 山奈子のトーンが上がった。


「弾いてみたら、ちゃんと弾けました。音もちゃんと鳴るんです。後で試したら、日の入りから日の出までは触れることが分かりました。だから、此処に居れば何かわかると思って、ここにずっといました。ピアノを弾きながら」


「それで十年間も?」


 綿雪が聞いた。はい……と、山奈子が声を落として答える。


「他に行くところもありませんでしたし、離れるの、なんだか怖くって」


「成程ねえ……それが学校の七不思議の一つの、所謂正体だったのだね」


 意外な結果だなあ、と綿雪が賢しらに頷いていると、山奈子が「え?」と声を上げた。


「な、七不思議……?」


 あ、やべ。

 と綿雪は思った。


 本人的にはピアノを弾いていただけなのだ。それを怖がられ、あまつさえ怪談にされている等と知って仕舞えば、どんなショックを受けるか。


 如何やって誤魔化すか考えていると、隣から硬い声が上がる。


「『夕方から鳴り出す音楽室のピアノ』。それが、貴様がピアノを弾くことで持ち上がった怪談だ」


 我鬼は淡々と言うと、そのまま剣を抜いた。


「ひっ……!」


 諸刃の刀身を見て、山奈子が小さく悲鳴を上げる。


「ちょっ、我鬼さん!?」

「我鬼君?!」


 教室の端で様子を見ていた津島と奈都が、思わず声を上げた。


 それに構わず、我鬼は続ける。


「小生はその噂を、強いては他の噂も断つため……此処に来た」


 切られる。

 そう察した山奈子の脳裏には、今迄の、生前を含めた二十八年間の記憶が蘇った。



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