夜、白狐と青年

 その日の夜。何処とも分からない建設中のビルの上で、男が一人口笛を吹いていた。


 明かりはもう少なく、通りを走る車も殆どないような時間帯だ。近くには男に気が付く者どころか、視界に収める者すら居ない。


 もっとも視界に入れたとして、彼に気がつくことができるかは判らない。

 なぜなら、彼が着ているのは、真っ黒なスーツだからだ。


 機嫌が良さそうに口笛を吹く男は、洒落たことに右手にステッキを持ちながら、左手の懐中時計をいじっている。


 目的さえ分からない怪しい男に、ふと近づくものがあった。


 黒い着物に白い帯を締め、紺の袴を着ている女性だ。彼女は白く長髪を持ち、何より、白い(・・)狐(・)の(・)耳(・)と(・)尾(・)を(・)持って(・・・)いた(・・) 。


 男は彼女の存在に全く気が付いていないように、体を揺らしながら口笛を吹き続ける。


 一歩、一歩。


 確かな足取りで、男に近づく白い女性。


 足音も立てず、布ずれの音すら聞こえない様子は、まるで霊でも歩いているような錯覚を覚える。


 男まで、残り七メートル。まだ、男は気付かない。

 残り六メートル。女性が、息を微かに吸い込んだ。

 五メートル。男が、ステッキをわずかに動かした。

 四メートル。女性が、何かを発しようと口を開ける。

 三メートル。微かに、男の口笛の旋律が崩れた。


 瞬間。


 男の背後から出た何(・)かが(・・) 、女性を貫かんと加速した。


「…うおっ!」


 その氷柱上の何かが喉に触れる前に、女性は高く飛び上がる。そして、むき出しになっている鉄筋柱の上に着地した。


「おやおや、避けられましたか。残念残念」


 言うと、男はからころと笑った。それに対し、女性は何事も無かったかのように返す。


「……危ないじゃあないか。危うく喉に穴が開くところだった」


 女性……水浅葱綿雪は、そう言うと薄く笑みを浮かべた。


「話し掛けようとしたのに行き成り刺そうとして来るなんて、なかなか殺気立った若造だね」


「人の背後に忍び寄っておいて何を言いますか」


 声に笑いを滲ませながら、男は言葉を紡ぐ。まだ振り向く気はないようで、彼の目は未だに眼下の街並みに向いていた。

 その背後には、先端が斜め上を向いた氷柱(つらら)状のコンクリートがある。その先端は綿雪の喉があった位置を深々と貫いていた。


「いやあごめんねー。人を驚かすのが好きでさあ」


「悪趣味な人ですね」


 二人は友人のような気軽さで話を進めていく。

 尤も端から見れば、コスプレをしている女性が柱に乗りながら後ろを向いている男性に一方的に話し掛けているようにしか見えなかったのだが。

 ……何だこのカオスは。


 男は未だ振り向かず、しかし全身に警戒を滲ましつつ会話をしている。

 綿雪も綿雪とて、尻尾を下げ警戒の念を放っている。


 あくまで声は穏やかに、男は会話を続ける。


「それにしても、貴方一体何者ですか? 近くに来るまで全く気がつかなかったのですが」


「嘘を言わないでくれたまえ、杖を動かした少し前の時点で、もう気付いていたのだろう?」


「それにしても、ですよ」


 話しながら、綿雪は柱から今一度飛び降りた。

 男の警戒の色がより強くなる。然しなお強気に、男は続けた。


「妖怪(・・)の位置を察知するのは、結構得意な方なんですけどね」


「……へえ」


 そう相槌を打つと、綿雪は柱から飛び降りると、再度男に近づいた。四メートルほど手前で止まると、本題を切り出す。


「で? 最近ここらを嗅ぎまわっている怪しい奴って言うのは、君かい?」






 昨晩。


 人目につかない雑木林で、我鬼と綿雪何やら話をしていた。


「やあショウセイ君。町の調査は順調かい?」


「嗚呼。やはりこの町は怪現象の発生率が異様に高い。早急な原因究明が必要だ。……あと、小生の名前はショウセイではない」


「んー。まあそんなに急がなくてもいい気がするけどね」


 綿雪の言葉に、我鬼が噛み付く。


「何を言うか!! 怪現象の目撃件数が増えれば増えるほど、我々が人間に見つけられる可能性も高くなるのだぞ! そうすればまた妖怪狩りや陰陽師が動き出すと何度言えば……」


「あーはい、はい、分かった分かった」


 始まったお説教を適当に流す綿雪に、我鬼は呆れ声を漏らす。


「全く……貴様、今回は何時にも増して不真面目だぞ……何かあるのか?」


「いやあ、別に?」


 すっとぼける相方に、不満の念が沸き起こる我鬼。


「何もないわけがあるか! 今回の七不思議成るものの解決とて、小生と貴様で十分対応可能だったろう! 一体何を企んでいる? 抑々、そういう事は小生に相談してからにせんか! 組織の基本は報連相。しっかりと妖怪共社の一員としての自覚をもってだな……」


「私は君たちの下についたつもりは微塵もないけど?」


 がみがみと説教を垂れる我鬼に、綿雪が冷たく言い放った。

 いつもとは全く違う声音だ。


「……貴様、まだそんなことを……」


「まだはこっちの台詞だよ。私は只の協力者だ。その関係は百年前から変わっていないだろう? 何時まで昔の事を引きずっているつもりだい?」


 暫く、二人は無言で睨みあっていた。

 が、面倒になったのか、はたまた時間が惜しいのか、綿雪が打って変わった明るい口調で言った。


「なんてね。七不思議のことに関してはただ単に準備があるだけだよ。ほら、三七十と智ちゃんのお守り作ったりとかさ、まあ色々あるのだよ」


「……そうか」


 詮索はすまいとでも言うように、我鬼はそこで話を切った。


「まあ深くは聞かん。では、小生は捜査にもどる」


「ええ。今日はもう休めばいいのに……」


 君、働き過ぎだよ。と続ける綿雪に、貴様が怠惰すぎるのだ。と返す我鬼。


「そもそも、この町を調べて居るのは我々だけでは無いのだ。人間も一人、何やら嗅ぎまわっている。急がねば面倒な事に成る」


「まあ、その人間が陰陽師だったりしたら確かに面倒だし、此の儘怪現象が増えすぎて、被害が大きくなるのも心苦しいし、分かると云えば分かるんだけどさあ」


「そう言う事だ」


 ではな、と云おうとした我鬼を、綿雪が遮った。


「……というか、その怪現象の大量発生の原因、なにか思い当たるところとかないの?」


「無い。抑抑、そのようなものは貴様の方が得意だろう。貴様こそ何かないのか?」


「うーん……今のところはなんともねえ」


「……そうか」


 いうと、我鬼は踵を返した。が、また綿雪に引き留められる。


「嗚呼そう、明日の夜私空いてないから、何かあったら金曜日に頼むよ」


「はあ?」我鬼が怪訝な顔をした。「一体何をするつもりだ、くだらない理由ではあるまいな」


 もしそうだったら締める。

 そうとでも言いたそうな我鬼に、綿雪はいたって軽く、とんでもない事を言い出した。


「否なに、その嗅ぎまわっているとかいう不届き者に会いに行くだけだよ」


「嗚呼そうか……って、はあ?」


 我鬼は余りにも軽く放たれた言葉に反応が遅れた。


「おいまt……」


 よってそう言いながら手を伸ばした時には、綿雪は瞬間移動で何処かへ行って居たのであった。





 いやあ、ショウセイ君、今頃必死に私の事を探しているんだろうなあ。


 そう思いながら私水浅葱綿雪は、目の前の男の反応を待つ。


 解説しておくと、ショウセイ君が所属している組織は、人間と交わるのを酷く嫌うきらいがある。ので、今回もこの人に見つからないうちに、素早く解決する心算だった筈だ。だが私は別に其の所は気にしない。他に気になることもあるしね。


 だから昼間は学校を休み、一日中其れらしい人物を探して彷徨っていたら、偶然この洋装の如何にも怪しそうな男を見つけた形になる。


 はてさて、一体何者なのか……と言っても、心当たりは幾つかある。


 妖怪や、悪霊などの怪異、お化けなんかの妖。それらを纏めて『怪現象』と呼び、殲滅せんと京都を中心に活動する陰陽師。


 妖怪だけを執拗に狙い、東北を中心に活動する妖怪狩り。


 突然何らかの力に目覚め、個人的に人に害をなす怪現象を祓う祓い屋。


 彼らは紛れもない、私達妖怪の天敵だ。


 若(も)しこの男がそうなら、早急に始末した方が良さそうだね。

 私がそう推測を膨らませていると、


「……おや、嗅ぎまわっているとは人聞きの悪い」


 と、男は胡散臭い道化顔で返した。


「まあ確かにねえ。でもこちらとしては、そっちの目的が分からない以上、そう表現するしかないのだけれど」


「それは失礼、ですが、私は単に強い妖怪と怪現象を探しているだけの孤独な男ですよ。ただの一般人ですとも」


「ただの一般人、ねえ」


 何を言っているのやら。

 私は男に唐突に近づくと、|其の儘(そのまま)爪撃を繰り出した。


「っ!!」


 男は早くもその動作に気が付き、初めて私の方を振り向き、杖で攻撃を受け止める。

 見えたのは、まだ幼さの残る青年の顔だった。

 へえ、意外と若いのだね。


「……妖怪の攻撃を簡単に防げる人間が、只の一般人とは思えないけれど?」


 さっきの攻撃も含めてね。

 付け足すとまた後ろに飛び、男と距離を取った。其の儘言葉を続ける。


「まあ、この際君が何者かは如何でもいいけど、何が目的だい? 場合によっては、この町から出て行ってもらうことになると思うけ……ん?」


 が、途中で口が止まった。


 何故なら、男が余りにも無邪気な顔で私を見つめていたからだ。

 さっきまでとは打って変わって、凄くきらきらとした顔で。

 ……なんか、歴史好きの人間が、何処かの歴博にでも来たような感じの表情で。


「えっと、な、何?」


 困惑しながら聞くと、凄い小声が返って来た。


「……ゆ……だ」

「え? な、なんて?」

「み、水浅葱綿雪だ。ほ、本物だ……!」


 ……はい?

 ……なんで私の名前を知っているのだい? この青年。


 状況がつかめない中、男が朗々と語り始める。


「約二百年前からその姿を現し始めた白妖狐。北に多い種族には珍しく広い活動範囲を持ち、主要活動区域は東京都」


 ……は?


「然し最近では横浜に多く出没しており、場所に関しての実態ははっきりと掴めて居ない。白妖狐の目は赤が基本色だが……」


「え? な、なに?」


 唐突に喋り出した男に、正直全く状況がわからない。

 な、なんだい? この男は妖怪マニアなのかい?


「……ハーフと云う噂すらある。各地に残る白妖狐の伝説の五割が彼女のものと見られており、戦闘能力の多くが不明。然し陰陽師の中では最も高いレベル4に分類されており……」


「え、ちょっとま」


「……徳川家の記録の中にもその記述が発見された。人間に対し友好的な態度が多く、何度か人間との共闘を行う場面も見られるため、そこまで危険視はされていない。加えてこちらから攻撃を仕掛けても逃げ一辺倒の戦いを行うため……」


 取り敢えず止めようと口を挿もうとするが、見事に男のマシンガントークに阻まれてしまう。


 え? と云うかそんな情報あったの? 初耳なのだけれど。


 というか私って有名なの?


 もう止めることよりも、話の内容にツッコミを入れてしまう。


 このまま男の雰囲気に飲まれそうになるけれども、そんなわけにも行かない。


「……妖怪狩りや陰陽師は兎も角、祓い屋の中には彼女に友好的な態度を取る者も……」


「ちょっと待とうか!! 取り敢えずお互いに落ち着こうじゃないか、ね?!」


 私はひたすら吐き出される自分の情報にくらくらとしつつ、兎も角も男のマシンガントークを止めることに成功した。


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