新たなる副担任

「ゼエッ、ゼエッ、ゼエッ、ま、間に合った」


 九時一分前、津島は何とか、自分の教室に辿り着くことが出来た。


 津島は頑張って家から走って来た。普段運動をしないので息が大分切れている。


 あー、これは一時間目寝なきゃなあ。


 と津島は自分の席に移動しながら思った。


 因みに今日が特別みたいな言い方をしているがそんなことは全くない。こいつは週三回くらいの割合で一時間目を寝て過ごしている。


 教室に入ったのは津島が最後だったので、クラスには全員が集まっていた。そして半数が津島を見ていた。


 先程言った通り津島は基本的に遅刻をしてくるので、この時間にやってくるのが物珍しいのである。


「津島君今日早いね」

「ほんと、普段一時間目始まるまで来ないのに」

「あれじゃねーの? 今日副担の人来るから口説きに来たんじゃね?」

「嗚呼。担任の先生、今日来るの女の人だって言ってたもんな。でも、彼奴彼女出来たんじゃなかったっけ?」


 そんな声がクラスで起こった。


 が、一応言っておくとこいつに彼女は居ない。


 この前の文化祭で勘違いが起きているだけである。因みに勘違いの相手は綿雪だ。ここら辺はかなり面倒な事に成っている。


 キーンコーンカーンコーン。と、彼等の会話を断ち切るようにチャイム音が響いた。


 それを聞き、クラスメイトたちが急いで自分の席に戻る。


 全員が席に着いた時、教室の扉をガラガラと開けながら担任の先生が入ってきた。


 若い男性の先生だ。一応言うと名前は三十一谷繰太郎さんじゅういっこく くりたろう。過去、この名前の所為でお爺さんと間違えられたことがあるちょっと可哀想な人である。担当教科は体育で、長所は情に厚いところ。短所は反応が大袈裟なところ。


「おはよう、皆居るかー? 何か変わったことは?」


 三十一谷先生が聞いた。


「津島君が居まーす」


 前の方の生徒が答えた。普通は居ない人を言うはずなのだが、そこの所は気にしてはいけない。


「なん……だと……!」


 先生が驚いて津島の方を見た。


 え? と云う風に津島が顔を上げる。


「本当だ……! 確かに居る。げ、幻覚じゃあないよな?」


 先生が呟いた。

 周りの生徒がうんうんと頷く。


「まさか、入学式以外全て遅刻をして、俺がいくら言っても聞かなかった津島が来るなんて……俺の祈りが漸く届いたのか?

取り敢えず明日はチョークが降ってくるかも知れん……」


「失礼な!」


 津島が言った。確かにちょっと失礼……いや、半分くらい自業自得だが。


 そんな津島を見て、先生が微笑んで返した。


「否々すまん。ちょっと感動して。それにしても、そうか、来てくれたか。漸く先生のいう事聞いてくれたんだな」


「いや、副担の先生が来るから来ただけで、繰太先生は関係ないけど……」


 津島が大袈裟に反応する先生の言葉をバッサリと切り捨てた。先生に結構な精神ダメージが入った。


 因みに「繰太先生」とは三十一谷先生の渾名だ。苗字も名前も長いので皆からはそう呼ばれているが、その所為で初対面の人に「栗田さん」だと間違われることがある。


「グハッ……そ、そんなあ」


 俺の努力ぅぅぅぅぅ。


 と、先生が嘆いた。


 が、津島はそんなことを気にしない。まだダメージで参っている先生に、更なる追撃を加える。


「ところで、副担の先生まだ?」


「うううぅぅ……分かったよぉ……水浅葱みずあさぎ先生ぇ、どうぞ」


 へえ、珍しい名前だなあ。


 と思いながら、津島は教室の前扉を見た。


 扉が開き、洋服を着た女性の先生が入ってきて、教室が騒めいた。


 大層な美人だ。白い髪に白色の眼を持ち……ん? この顔は……?


「やあ少年少女の諸君。私の名前は水浅葱綿雪。これから君たちの副担任と、国語の授業を受け持つから、どうぞ宜しくね」


 入って来た人物の姿、口調、声に、津島がぽっかりと口を開いた。そして一言。


「わ、綿雪……?」


「お、やあ三七十」


 お前かよ。


 教室に入って来たのは他でもない、今日無理くりに津島を叩き起こした狐の妖怪だった。


 然し現在、彼女の頭と腰には耳と尻尾は見られない。どうやら隠すなり引っ込めるなりしているようで、服も着物と袴ではなく、フリルブラウスと灰色のスカートを着ている。ついでに何故か瞳の色も薄くなっている。


 こ れ は 夢 か ?


 津島は疑った。しかし悲しいかな、これは夢ではない、現実である。


 津島は斜め上を向いて放心した。


 そしてクラスメート間では、


「え?美人?え?新しく着任してきた先生が美人ってありうるの?漫画の中だけじゃないの?」

「と云うかあの人、文化祭で三七十と回っていた……」

「うん、コスプレイヤーの人」

「えっ! じゃああの人が津島の彼女?!」


 と云った風に、勘違いが加速しようとしていた。


 因みに何故綿雪がコスプレイヤーと呼ばれているのかと言うと、初対面の際、彼女は本来の姿で文化祭を回っていたからだ。


 妖怪と言う事がバレそうなものだが、最近のコスプレ技術のお陰か、皆リアル過ぎる綿雪の格好を、「コスプレイヤー」として認識していたので、その心配は無い。


 教室が騒めく中、綿雪が続けて声を上げた。


「申し訳ないけど、ホームルームの時間は短いから質問は後に頼むよ。今日はまだ紹介する人が居るからね」


 そう言うと、綿雪は三十一谷先生を目で促した。否、促せなかった。先生はまだ津島の精神攻撃でダウンしていた。


 綿雪は少し考えると、まあ善いか、と呟いてまた前を向いた。そのままクラスに告知を一つ。


「いきなりなのだけれど、今日は転校生が来ます」


 え?! とクラスで声が上がった。


 副担の先生が来ることは知らされていたが、転校生のことは初耳だったのである。


「いやー御免ね、突然で。と云うわけで呼びまーす」


 いきなりだなおい。


 とクラスメートたちが思った。


 そんな空気は当然の如く無視し、綿雪はまるで友達を呼ぶように転校生の名前を呼んだ。


「ショウセイ君ー。入っていいよー」


 え? 名前呼び? と云うかショウセイって名前なんだ。


 と、クラスの生徒たちが思った矢先、


 バン!!


 と云う音がし、扉が開いた。


 ビクッとクラスメート達が驚愕した。余りの音の大きさに放心していた津島が正気に戻った。


 教室に一歩踏み込んだのは肩を怒らせた少年だ。この高校の制服を身にまとい、肩には絶対に学校物では無い、大きめで黄色いショルダーバッグを掛けている。頭髪はツンツンとした黒髪だが、はっきりと黒いせいで所々にある白髪が目立つ。そして灰色の眼光には、はっきりとした殺意が滲んでいた。


 え? 鞄がダサい……! と云うか怖っ。何怒っているのこの人?!


 現れた人物に、クラスメートたちが大体このような感想を持った。

 うん。制服に黄色いショルダーバッグはダサい。


 その次の瞬間。


小生しょうせいの名前はショウセイではない!!! 何度! 間違えれば! 気が! 済むのだ!! 紹介の時まで間違えるな!!!」


 と、転校生が叫んだ。 


 ええ。名前間違えてたの?


 と、津島のクラスメート達は思った。


 そう、綿雪は転校生の名前をわざと間違えていた。因みにこれは渾名のようなもので、由来は彼の一人称だ。


 激昂している転校生に、綿雪が先程と変わらない様子で答えた。


「君……もっと静かに入ってきたまえよ。皆吃驚しているでしょう?」


「貴様が間違えねばそうしていたわ!!」


「そう、じゃあ自己紹介してよ。ショウセイ君」


「だから、小生の名前はショウセイではない!」


 転校生の言葉を華麗に無視した綿雪は、彼に笑顔でチョークを渡した。そのまま、指でコンコンと黒板を叩く。


「……チっ」


 いつまでも漫才を続けるわけにはいかないと思ったのか、それとも面倒臭くなったのか、将又その両方か、舌打ち一つ零すと、転校生は自分の名前を書いた。


 我鬼羽立がきはだち


黒板慣れしていない、濃く勢いのある、大きな字だった。


 書き終わると、我鬼はクラスメート達を振り返り、一言。


「我鬼羽立だ」


 と、苛立ちの滲んだ口調で言うと、さっさと開いている席に座ってしまった。


 シーン。


 クラスが微妙な雰囲気に包まれる。


そんな中で、津島は一つ、我鬼に対する心当たりを探っていた。


うーん。あの人、何処かで見たことがある気がするんだよね……誰だろう?


綿雪と仲が良く……はないみたいけど、知り合いみたいだし、そうなると文化祭で見たのかな? だとしても誰…………………………あ。 


ここで津島は気がついた。


……文化祭の劇で天狗倒してた人じゃん!!


そう。我鬼は半年前の文化祭に着て、そこで暴れていた天狗達を綿雪と共に成敗、そして引きずって帰って行った奴である。津島は彼を遠目にしか見ていないが、あの目は間違いないと確信する。


えっえ? 何で? 何で綿雪だけじゃなくてこの人も居るの?


津島は嫌な予感がした。

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