耳攻め

 部屋に戻る道中。

 アカネは俺の袖を掴みながら、とぼとぼとした足取りで部屋までついてきた。

 

「ただいま」

「おかえ――」

 

 エプロン姿で出迎えてくれたルナが、俺達を見て固まる。

 

「ア、アカネ!?」

 

 アカネの泣き腫らした目を見たルナは、慌てた様子で駆け寄る。

 

「ど、どうしたの?」

「アカネはその……怖くて……記憶がなくなって……それで……それで……」

 

 アカネは俺の胸に顔を埋めてすぅはぁと何度も深呼吸を繰り返す。

 

「クオン殿の匂いを嗅いでないと、不安で押し潰されそうになるのでござる」

 

 俺はルナから目を逸らし、ビンタが飛んできても良いように、身体に力を入れて待ち構えた。

 

「なるほど……」

 

 ルナは予想とは違い、冷静な顔つきで考える素振りを見せている。

 

「私の時と似たような事になっているのかもしれない」

 

 ルナはそう言って、苦虫を噛み潰したような表情を見せた。

 

「ルナも記憶が飛んだ事があるのか?」

「記憶が飛んだことはないけど、理由がわからない不思議な体験はしたことがあるでしょ?」

「ああ、俺とカイルか……」

「うん」

 

 俺はルナの言い分を何となく察したものの、あまりしっくりはこなかった。

 

 ルナの異常に関しては確かにカイルが絡んでいる。

 だが、アカネの異常にカイルが関係しているとは思えない。

 

「私もね、あの時はカイルを見ると、心がぽかぽかして落ち着いたの」

 

 ルナはアカネを心配そうに見ながら続ける。

 

「アカネの場合は逆だけど、クオンを見たら落ち着くんじゃないかな? もしかしたら、カイルを見たら苛つくのかも……」

 

 迷探偵になったルナに、俺は一つ突っ込みを入れた。

 

「アカネは俺の匂いを嗅いだら落ち着くらしいぞ。見ただけじゃ効果はない」

「……私の時より呪いが弱い?」

 

 ルナはぶつぶつと言いながら、何かを考え込んでいる。

 

「私の時は知らないうちに解けたけど、やっぱりこの変な呪いの正体は知っておくべき。じゃないと、被害者が増えるよ」

「呪いって……大袈裟すぎないか?」

「クオンは当事者じゃないからそう感じるだけ」

 

 ルナは顔を引き攣らせる。

 

「だって、私はあの時、カイルに本気で言い寄られていたら断れなかったと思うもん」

「ああ……それはそうかもしれないが……」

 

 ルナは自分で自分の身体を抱きしめる。

 

「本当に解けてよかった。今考えても気持ち悪い……」

 

 ルナはアカネを背中からぎゅっと抱きしめて、優しい声色で言う。

 

「私も協力するから頑張ろうね。怖いだろうけど、絶対に解けるから」

「ルナ殿……」

「人の匂いを嗅いでたら落ち着くなんて絶対おかしいよ。絶対呪われてる」

「確かに……クオン殿の匂いは悪魔的にアカネを惹きつけるでござる」

「やっぱり……」

 

 俺は暴走する二人の会話を聞きながら天を仰いだ。

 匂いが好きなのは呪いのせいではなく生まれ持った性癖だなんて口が裂けても言えない雰囲気だ。

 

「アカネ、クオンから離れられそう? 出来れば距離を取った方が良いと思うけど……」

「む、無理でござる。クオン殿の匂いを嗅いでないと不安で……」

「そう……」

 

 ルナはちょいちょいと俺に向かって手招きした。

 俺が顔を近づけると、ルナは俺の耳元を手で覆って小さな声で言う。

 

「アカネが大変だから、匂いを嗅がせてあげてね。でも、それはそれとして――」

 

 ルナは俺の腹の肉を掴んで捻ってくる。

 

「い、痛い――」

「他の女とくっついてるクオンを見てるとムカムカする……今日はいっぱい噛むから」


 ルナはそう言って、キッチンに消えていった。








 ――夕食後。

 俺を見るルナの目はギラついている。

 風呂だけは先に入ってしまいたい。そう考えて立ち上がったが、歩き出す前に声を掛けられてしまう。

 

「クオン、こっち」

 

 ルナはベッドに座って隣をぽんぽんと叩く。

 

「さ、先に風呂に入りたいなぁ……なんて」

「ダメ」

 

 俺の願いをきっぱりと却下したルナは、先ほどより強くベッドを叩いた。

 

「汗臭いからさ」

「それが良い」

「わかるでござる」

 

 ルナとアカネは顔を見合わせてニヤッと笑った。

 

「私は正面からぎゅっとされながら噛むから、アカネは後ろから嗅げば良い。匂いを嗅ぐだけだからね?」

「御意」

 

 二人は頷きあった後、素早く俺の手を掴む。

 俺は二人の息の合った連携に戸惑っているうちに、いつの間にかベッドに座らされていた。

 

「んふっ」

 

 宣言通り、正面から跨ってきたルナは、妖艶に微笑みながら両手を広げた。

 

「ぎゅー」

「あ、ああ……」

 

 俺は言われた通りにぎゅっとルナを抱きしめる。

 

「今日はいっぱい噛むから。アカネが居ることを忘れるくらい」

 

 ルナは妖艶に微笑みながら、俺の首筋に歯を立てた。

 

「では、失礼して……」

 

 気配も感じさせずに背後に回っていたアカネが俺の背中に顔を押し付ける。

 

「すぅ……はぁ……」

「あふっ……」

 

 くすぐったさと、痛みが混ざったなんとも言えない感覚に思わず声が出る。

 

「あっ! 今の声可愛い!」

「もっと聞きたくなったでござる」

「ちょ、ちょっと、落ち着けよ……な?」

「無理」

「無茶でござる」

 

 二人は俺の言葉を聞いてくれない。

 ルナは首や肩に甘噛みを続け、アカネは脇を中心に匂いを嗅ぎ続けてくる。

 

「はぁ……ふぅ……ちょっと臭いでござる」

「なら止めろよ……」

「やっぱりこれは呪いでござる。こんな匂いに病みつきになるなんておかしいでござる」

 

 アカネは口早にそう言って、

 

「アカネのせいじゃないでござる。これは呪いのせいでござる……」

 

 耳を舐めてきた。

 

 俺はゾワッとした快感が全身に走り、身体を硬直させた。だが、アカネはそんな事はお構いなしに執拗に耳を攻めてくる。

 

「アカネ、それはダメ。禁止。それ以上やったら二度とクオンを貸してあげないから」

「む、むぅ……」

 

 ルナが止めに入ってくれたおかげでアカネの暴走が止まった。

 俺がほっと息を撫で下ろしていると、ルナが耳元に顔を近づけてくる。

 

「ちょっと興奮してた」

 

 横目にジトっとした目で睨みつけてくるルナの顔が見えた。

 俺が目を逸らして黙っていると、ルナが熱を帯びた声で囁いた。

 

「私がする」

 

 ルナはその日、耳攻めを覚えてしまった。

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