匂いフェチ
部屋に戻った俺は、アカネをベッドに座らせて患部を見ようとした。
だが、アカネは「痛みは引いたでござる」と言って、頑なに患部を見せてくれない。
「大丈夫なら良いけど……無理はするなよ?」
「はいでござる」
アカネはキョロキョロと部屋を見回すなど落ち着きのない様子を見せていた。
そんなアカネの態度のせいで、部屋に男女で二人きりだということを意識してしまい、緊張感でじわっと汗が滲み出てくる。
「飯でも買ってくるよ。昼時だしな」
俺は一旦落ち着く為にも逃げる事にした。
朝から抜け出した事もあって、今はまだ昼前だったのもちょうど良い理由だ。
今日は講義も昼までに終わるので、しばらく時間を稼いでいれば、ルナも帰ってくるはずだ。
「アカネも行くでござる」
「いや、アカネは大人しくしてろよ。一応怪我人だろ」
アカネはハッとした顔になって、ぶんぶんと首を縦に振る。
何やら様子がおかしいなと思いながらも、昼飯を買いに部屋を出た。
「ただいま」
二人分の弁当を買ってきた俺は、自分の部屋だということもあり、チャイムを鳴らさずノックも無しに部屋に入った。
「……ん?」
玄関に置いてあった普段履きの靴がない。
目的地が近場だったのでサンダルで出掛けていたのに靴がないのはおかしい。
「おーい、アカネ。俺の靴知らな――」
廊下から部屋に続くドアをガチャリと開ける。
するとそこには――。
「むにゃ……ちょっと臭いでござる……」
玄関から消えた俺の靴を顔に押し付けているアカネがいた。
アカネは臭い臭いと言いながらも、決して靴を顔から遠ざけようとしない。
それどころか、自分の太腿を撫でながら、ふにゃふにゃと何やら呟いていた。
「し、師匠?!」
ポカンとしていた俺に気付いたアカネは、飛び上がって師匠と叫んだ。
「お、お前、何をして――」
「これは違うでござる! これは違うでござるよ、師匠!」
顔を引き攣らせる俺を見て、アカネは慌てた様子で弁明しだした。
「アカネは師匠の健康チェックの為に匂いを嗅いでいたのでござる。決してやましい気持ちがあったわけでは……」
「その言い訳は無茶だろ……」
「…………はい」
俺達は二人して目を泳がせた。
気不味い沈黙の時間が二人の間に流れる。
どうにか、この沈黙の時間を終わらせたいが、自分の靴の匂いを嗅いでいた女の子に、かける言葉など思い浮かぶはずもない。
アカネも同様に上手く対処ができず、俺の方を見ながら何かを言いかけて、口を閉ざすといった事を何度も繰り返していた。
「なぁ、アカネ……」
「は、はい」
「アカネはその……そういうのが……匂いが好きなのか?」
「…………恥ずかしながら」
俺達は再び沈黙した。
匂いフェチの女の子に、靴の匂いを嗅がれていた男はどういった反応をすれば良いのだろう……。
ふとアカネの顔を覗き込むと、今にも泣きそうな顔で目を潤ませていた。
「し、師匠……その……アカネは……その……うっ……ぐすっ」
アカネは遂に堪えきれず涙を流して泣き始めた。
「アカネは変態でござる。だから……ぐずっ……嫌われたくなくてぇ……ひっく……我慢していたでござる」
アカネは涙を拭いながら必死に言葉を紡いでいく。
「そしたら……師匠がいなく……なって……魔が差したでござる……」
「そ、そうか……」
俺は戸惑いながらアカネの言葉を聞いていた。
アカネがこんなにも取り乱している姿を見るのは初めてで、どうすればいいのかわからない。
「嫌いにならないでほしいでござるぅ」
「あ、ああ……大丈夫だよ」
「本当でござるか? 本当に大丈夫でござるか?」
アカネは肩を掴んで揺さぶってくる。
「大丈夫だって。ほら、落ち着けよ」
俺はそう言って泣きじゃくる子供をあやすように、優しく頭を撫でた。
アカネは少しだけ落ち着いたようだったが、頭が冷えてきたのか、今度は顔を真っ赤にしている。
「ま、まぁ……下着よりはマシだよな。ははっ」
俺が何とか捻り出した言葉を聞いて、アカネはギクっと身体を強張らせた。
目を泳がせて、俺から少し距離を取ろうとしている。
「…………今なら許そう」
俺がそう言うと、アカネはおずおずとスカーフの中からパンツを取り出した。
物が使用済みのパンツだった事にも驚いたが、一番驚いたのは隠していた場所だ。
何てものを首元に仕込んでたんだよ。
「洗濯かごからいったか……」
「……洗濯かごからいったでござる」
俺達の間に再度沈黙の時間が流れた。
流石の俺も動揺を隠せず、おちゃらけてみる余裕もない。
「ただいまぁ」
玄関の戸が開く音と同時に、ルナの声が聞こえた。
俺達は二人同時に立ち上がり、姿勢をピンと正した。
「隠せ!」
「ぎょ、御意!」
俺は靴をベッドの下に放り込む。
アカネは再びパンツをスカーフの中に仕舞った。
「……何してるの?」
部屋に入ってきたルナはただただ困惑していた。
俺がアカネと二人きりで部屋にいたというのに怒りの色はない。
俺もアカネも顔を引き攣らせていて、とても甘い雰囲気には見えないのが理由だろう。
「尾行に失敗してな」
「バレたの?」
「いや、アカネが足を痛めたから中断して帰ってきたんだ」
ルナは心配そうにアカネを見る。
「大丈夫?」
顔を覗き込まれたアカネはそっと顔を逸らした。
ルナは益々心配そうな顔をして俺の耳元で呟く。
「泣いてたの? ……責めたりしたらダメだからね?」
「ああ、もちろん責めたりしてないよ」
気不味い雰囲気に耐えられなくなったのか、アカネはドアノブに手を掛けた。
「きょ、今日のところは帰るでござる。師匠、ご迷惑おかけしました」
「いや、気にするなよ」
アカネが逃げるように去っていくのを、俺は止めずに見送る。
今日のところはお互いに時間が必要だ。
これ以上一緒にいても、会話すら碌にできない。
「あ……」
逃げたのは良い。
俺からもお願いしたいくらいだ。
だが、あいつ――。
「まじかよ」
俺のパンツ持ったまま逃げたぞ。
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