第26話 魔女と聖女は口付ける

 キミリアの髪が、指先が、真っ白な光へと変わっていく。


「キミリア! しっかりして!」

「くーしん、さん……」

「は、はははっ。それが、"神に愛されし者"の発作ってやつか」


 命拾いしたと理解したマリーノが、一瞬で増長する。


「残念だったなぁ! もう少しで俺に必殺の魔法を打ち込めるつもりだったんだろうが、このザマだ。つまり、これは神が俺の方を愛してるってことだ! お前らなんかとは違う、真の天才である俺を!」


 思いっきり胸をそらせて高笑いするマリーノ。

 しかし、クーシンはそれどころではない。キミリアの発作を止めなければ。


(フェンフー!)

(今走ってる!)


 使い魔はまだ来れない。スイは眠ったままだし、起きても動けないだろう。

 穏やかな表情で光に包まれていくキミリア。本当は、頬を張るなりして気付けしたいが、刃の網に囚われているクーシンは動けない。


「キミリアっ!」


 せめてもの抵抗で名前を呼ぶが、その動きだけで顔に痛みが走る。


「いたぞ!」

「聖女様が!? ウルスラ殿を呼んで来い!」


 ようやく神官兵たちが駆けつけてきたらしい。

 マリーノはクーシンを一瞥して、廊下の方に向き直る。


「ふん、雑魚を先に片付けておくか」


 キミリアは発作が止まらないし、クーシンは網で拘束されているから、脅威にならないとふんだのだろう。


 そこに、窓からフェンフーが入り込んできた。


(来たよ!)


 思念を飛ばすが早いか、フェンフーはベッドを踏み台にクーシンの肩に飛び乗る。


(つっ!)

(大丈夫?)


 刃の網を踏んだせいで足が切れたらしい。それでも、フェンフーは爪の先でクーシンの顔に掛かっていた網を外す。


 これで喋ることはできる。額に血が伝うのを感じながら、クーシンはもう一度キミリアに呼びかける。


「キミリア、しっかりしなさい!」

「くーしん、さん、わたしは、かみのみもとへ」

「ダメ! いかないで!」


 懇願するクーシン。

 キミリアはゆっくり首を左右に降ってから、肘まで光と化した腕をクーシンに向ける。


「まほうの、のこりを」


 魔力の光が、クーシンの目の前まで動いてくる。キミリアであった純白だけではなく、暁色の丸い光も。


「たおして」


 それは、キミリアが唱え終われなかった魔法。吸血鬼には致命的な陽光の魔法。

 他人の唱えかけの魔法を引き継ぐなんて、クーシンもやった事がない。

 でも、やらなければ。それが、キミリアの最期の望みなら。


 クーシンは、光の球を受け取るために手を伸ばした。刃の網が腕を切り裂くが、構わない。

 血に濡れた指先が赤い光に触れようとした、その時。


「てけざ・ふぃーん!」


 赤い光球は落としたガラスのように砕けて散る。


「やらせるわけがないだろ。雑魚を潰したらじっくりいたぶって殺してやるから、おとなしく待ってろ、クソ魔女」


 マリーノは振り向き直して、同じ魔力塊の魔法を神官兵に放つ。


「あ、ああ」


 クーシンの口から、意味のない音が漏れる。

 痛みを気にせず、もっと早く手を伸ばしていれば。クーシンが元々覚えている魔法ではないから、今から唱えなおす事はできない。

 そんな後悔に囚われるクーシン。その指先が、光を発しはじめる。光はあっという間に肘まで這い上がり、腕にかかっていた刃の網がストンと落ちる。


「なんだ、魔女の方も発作か。殺す手間が省けたな。よくよく神様に嫌われてるんだろ、お前ら」


 最後の神官兵を撃ち倒したマリーノが嘲笑してくるが、クーシンにはもうどうでも良かった。

 ただ、キミリアと目を合わせて見つめ合う。


「えへへ、いっしょ、ですね」

「残念ながらね」

「いっしょに、いきましょう。かみのみもとで、いっしょに、ずっと」


 泣き笑いの顔で、腕だった魔力を向けるキミリア。クーシンも自分の身体だった魔力を動かす。

 魔力同士が触れ合うが、何も感じない。もう身体に繋がっていないのだし。


(これじゃ、やだな)


 最期の一瞬であるなら、せめて触れ合っていたい。肌と肌の感触を味わいたい。

 だが、刃の網がそれを邪魔している。

 邪魔している?


(ああ、そうか)


 さっき、自分の腕だった部分を網がすり抜けた。


(魔力になってしまえば、網を抜けられる)


 離れ離れのまま数瞬長く残るより、早く帰るとしても触れ合いたい。


(網が絡んでるのは、右肩と脚だから……)


 クーシンはあえて刃が当たっている部分から意識をそらす。

 光の侵食が進み、肉体が崩れていく。そのギリギリの瞬間を計って、窓の方に踏み出した。


「クーシンさん!」

(うまく、いった)


 まだ形を保つ胴体が、キミリアの身体に受け止められる。魔力となった腕が、脚が、混ざり合いながら互いを包み込む。


 思考がだんだんぼやけてくる。その分、欲望に忠実に。

 クーシンは首を動かしてキミリアに唇を合わせる。


(まだ、かおはのこっててよかった。やわらかくて、いいにおいで、ちょっとあまい)


 もっと早くにすれば良かった。


(もうすこし、もう少し)


 甘い快楽、もっともっと欲しくなる。触れ合うだけのキスでは物足りない。


(抱きしめたい)


 魔力を固め、腕を構築する。キミリアの身体をつかもうとするが、空を切った。それぐらい2人とも魔力化が進行している。


(抱きしめられたい)


 胴体を構築する。つかむところができたので、しっかり抱き合う事ができる。

 触れ合うだけではなく、互いに求め合うキス。


「な、なんなんだ、お前ら!」


 興がそがれたクーシンは息継ぎをかねて唇を離す。息継ぎが必要になるぐらいには、身体が戻ってきている。

 そして、一度は砕けたはずの陽光の球まで。


「クーシンさん……」

「続きは、アレを黙らせてからね」


 頬を染めてうなづくキミリア。

 指をからめて手を繋ぎ、陽光の球にかざす。

 唱えるべき呪文は、なぜかクーシンにもわかっていた。


「「女神よ。罪深き吸血鬼を慈悲の光にて霧散させたまえ」」


 二人の呪文に応え、光球がはじけた。

 全方位に照射される陽光の中で、マリーノの肉体は色を失い、ボロボロの灰になって崩れていく。


「くそっ! だが、まだ終わりじゃない。吸血鬼の真祖である俺様は、たとえ肉体が滅びても棺の中で再生してよみがえることができるのだ!」

「で? 明日の夜まで、その棺が残ってると思うの?」


 伯爵家から勘当されているのだから、あの屋敷の中にしか棺の置き場なんてないはずだ。

 絶望したマリーノの顔が灰色に染まる。それを踏み潰し、逃げてゆく霧に念の為追尾の魔法をかける。


「後は、神殿の人たちに任せて良いわよね」


 緊張の糸が切れ、座り込むクーシン。気遣ったフェンフーが手を舐めにくる。


「ダメですよ」


 そのフェンフーの足の傷を治して、キミリアもクーシンの横に座った。


「これは他の人には任せられないでしょぅ?」


 キミリアの手がクーシンの首にかかり、顔が引き寄せられる。

 さっきと違い、発作がないのでお互いの顔がはっきりと見える。

 まん丸の目をそっと閉じ、太めの眉がプルプルふるえる。少し尖らせた小さな唇に、クーシンは吸い寄せられるように口付けた。

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