第17話 魔女は聖女に口付けする
ショウハオは夜風に溶けるように去り、クーシンは実験室の前で深く息を吐いた。
(クーシン、おつかれ?)
「そうね。でもまあ、収穫はあったわ」
フェンフーの思念にも、つい声で反応してしまった。
他人に見られるとおかしな光景だが、だれも聞いていないので大丈夫……
と思った矢先に屋敷の方から歩いてくる人影が見えた。
「あ、クーシンさんはっけーん!」
ガサガサと下草を踏み分けて走ってきたのは、聖女キミリア。
そのままの勢いでクーシンに抱きついてくる。
間に挟まれたフェンフーがきゅぅと非難の声をあげる。
「どうしたの、じゃない。キミリア様、どうなさいました?」
「ふつうに話してくださいって言ってるじゃないですか」
質問に答えないキミリアを少し押し戻し、フェンフーが逃げる隙間を作ってやる。
地面に降りたフェンフーは、少し離れて座り込んだ。
「何してるんです?」
「あ、いえ、なんとなく」
キミリアの頭上を探っていた手を引っ込め、笑顔で誤魔化す。
もしかしたら、ショウハオがクーシンを騙そうと再挑戦してきている可能性もあるかなと思ったのだ。だが、手は空を切ったからそういうわけではないらしい。
「宴の方は、終わりですか?」
「まだ何人か飲んでますよ。王子様もクーシンさんのお父さんも元気ですね」
名前が出てこないということは、さすがに兄は寝てしまったか。
「わたしは、ウルスラが寝ちゃったから運んでたんです。そしたら、こっちの方からクーシンさんの声が聞こえたので」
「ええと」
どこまで聞きました?とたずねたいところだ。でも、それを聞くというのはつまり聞かれたくない話をしていたと自白しているのに等しい。
どんな話だったのかと聞き返されてもまた困るし、と思考を巡らせるクーシンだが、キミリアはそのまま言葉を続ける。
「だから、ちょうどいいなって思って。私、ずっとクーシンさんと二人だけで話せる機会を探してたんです。クーシンさんに謝らなきゃいけない事があって……」
言いにくそうにもじもじするキミリアに、クーシンも少し身構える。
「えっと、その、ウルスラに言われたんですけど、『あなたの聖芋料理が食べたいです』って男性から女性へ結婚を申し込む時の言葉らしくって」
「あ、そうなんだ」
思ったほど重い内容ではなかった。
そういえば、料理の話をしているときに聖女の世話係であるウルスラは少し様子がおかしかったなと思い出す。
そりゃまあ、近々王太子様と結婚しようという聖女様がいきなり他の女の子にプロポーズしたら、世話係としては色々困るだろう。
でも、東方領ではまだ根付いてない言い回しだ。
王太子もその従者もあの場にはいなかったから、そういう意味を知っていたのはそれこそウルスラ本人しかいないだろう。
全く気にする必要はない。
「それに、その……夜会の時のダンスもですね」
「あのダンス?」
王太子主催の子供夜会のダンスの事だろう。
確かに、男性側のステップをやらされたり足を踏まれたりと中々大変ではあった。
でもその辺りは踊り終わった後に一通り謝られたので、今更感がある。
そんな困惑が伝わったのか、キミリアは顔を真っ赤にさせながら説明する。
「なんかこう、クーシンさんと私が、とってもドキドキするというか。その、まるで恋人同士みたいな風に他の人に思われちゃったみたいで」
「他の人って?」
「そういう新聞が出回っちゃってるんです。それで、クーシンさんにご迷惑が掛かっちゃったらとおもうと……」
何故謝ってきたのかはおおよそ分かった。
と同時に、少しのイラだちがクーシンの胸を刺す。
新聞に書いてまで面白がる他人たちへか、それを謝らなければと思うキミリアヘか。
上手く言葉にできないイラだちが、目の前の少女に向かってしまう。
「……キミリアは嫌だったの?」
他の人に、クーシンとまるで恋人同士のようだと、そう噂されるのは。
「そんなことないです!」
返ってきたのは、即時の否定。
「わたしは、嫌じゃないです! あれから、ウルスラにお願いして、ダンスの練習時間も増やしてもらいました。ウルスラには、今度はちゃんと王子様と踊れるようにって言いましたけど」
キミリアは一歩進み出ていて、小さな手でぎゅっとクーシンの手を握りしめる。
「本当は、クーシンさんと踊りたいんです」
クーシンの意図とはすれ違った答え。
でも、聞きたかったのは多分、こっちの方だ。
イラだちは収まり、代わりにいたずら心がわきあがる。
「じゃあ、ちょっと踊ってみる?」
「いいん、ですか?」
キミリアの視線が屋敷の方にさまよう。
「ここなら、誰も見やしないわよ。まあ、音楽はないけれど」
自分たちの腕で、音楽なしにリズムを合わせられるだろうか?
クーシンの懸念にこたえるように、近くの木からぼたりと何かが落ちてくる。
「ひゃぁ!」
「話は聞かせてもらいました! つまり、私が音楽を担当すれば全て解決!」
スイである。
いつも通りのメイド服なのに、どうやって木の上にいたのやら。
手にはなぜか笛まで握っている。
「どこから聞いてたのよ」
「『人は化けないのかしら』のあたりからですね!」
「じゃあもっと早く出てきなさい!」
ショウハオと話していた間から聞いていたと言われ、さすがにクーシンも文句を言う。
しかし、スイはまるでこたえずニヤニヤ笑うのみ。
「はっはっは。まあ、結果良ければの精神で行きましょう。お嬢も、せっかく練習した男側のステップを披露したいでしょう?」
「な、なに言ってるのよ!」
慌てて手を振るが、そんなことで既に出た言葉をかき消せるわけもなく。
キミリアの目がキラキラ輝いてクーシンを見上げてくる。
「クーシンさんも、私と踊りたかったですか」
その通りだ。
そうでなければ、わざわざクーシンが男側のステップを練習する意味などない。
いや、一応練習の時は「両方の動きを分かっていた方が上手く位置取りできる」なんて言い訳をしたのだけど。
その時はスイも「そういうもんですか」と流していたが、分かってとぼけていたに違いない。
「クーシンさん?」
黙ってしまったクーシンの手を、キミリアが振る。
ちょっぴりうるんだ瞳を見て、クーシンは少し、ほんの少しだけ素直になる事にした。
「そうよ。キミリアと踊りたくて、練習してた」
「やった!」
キミリアと同調するように、フェンフーも視界の端で跳ねる。
スイはニコニコしながら笛を唇に当てた。
跳ねるような笛の旋律にあわせ、クーシンは左に一歩踏み出す。
キミリアもちゃんとついてきた。
前の時はお互い逆に踏み出して、その場で回ってしまったのだが。
2人とも同じことを思い出したのか、同時に笑顔になる。
音楽に合わせて右へ左へ。
キミリアの歩幅に合わせて、クーシンとしては少し小股に動くことを意識する。
ただ、前よりはキミリアの歩幅が広い。
ちゃんと練習したという自信が、前よりも大胆に体を動かさせているのだろう。
キミリアの腰に手を回し、少し強めに引き寄せる。
触れ合ったところから、互いの鼓動まで伝わっている気がする。
そんなことを考えていると、足を踏まれた。
「ちょっと」
「すみません。ドキドキしちゃって」
視界の端でフェンフーとスイが笑っていた気がするが、無視。
改めて笛の音に合わせて体を揺らす。
「痛くなかったですか?」
「大丈夫よ。あんた、軽いから」
そう言いながら、あえて逆方向にステップを踏む。
キミリアは一旦は戸惑ったようだったが、すぐにふにゃりとした笑みになった。
見つめ合う二人は、くるくるその場で回る。
別に教わった通りに踊る必要もないのだ。少なくとも、この二人だけの夜会では。
「楽しいですね、クーシンさん」
「ええ、とても」
音楽ももうクライマックス。右手を挙げて、キミリアがくるりと一回転するのをサポートする。
最後にギュッとキミリアを抱き寄せておしまいだ。
キミリアの身体の柔らかさと暖かさ、そしてうっすらと甘い汗の香り。
華に引き寄せられる蝶のように、クーシンの顔がキミリアに近づく。
「クーシン、さん?」
とまどうキミリアの声で、ようやく我に返るクーシン。
だが、ここで引いたら認めるようなものだ。
なんとか軌道をねじまげ、キミリアの白い頬に唇を着地させる。
ほんのすこし、しょっぱい。
「ふふっ、ありがとうございます」
キミリアの方も、伸びあがるようにしてクーシンの頬に口づけした。
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化け狸との対話を経て、キミリアを意識している自分に気づかされたクーシン。
しかし、キミリアの思いはどうなのか。それを探る暇もなく、次章では赤い悪意が王都に現れ、クーシンとキミリアを脅かします。
魂と尊厳をかけた戦いで二人は何を見て、何を想うのか。
引き続き、
『第4章 吸血鬼は魔女を憎む』
をお楽しみいただけたらと思います。
また、面白いと思って頂けたなら★にて投票頂けますと幸いです。
今後の執筆の励みとなります。
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