第16話 魔女は長命を願う
二足歩行の巨大なタヌキは、両手を合わせてお辞儀をして名乗った。
「お初にお目にかかる、マー・クーシンどの。我が名はショウハオ。平たく言えば化け狸の長だ」
「化け狸……。年経たならば万物に化身し、弱きを助け強きを諭す東方大霊獣の?」
「なんじゃそりゃ。おとぎ話で化け狸の話ぐらい聞いたことがあろう」
呆れたようにいうショウハオ。
確かにキミリアの妙に盛った評価よりは、東方領に昔から伝わるおとぎ話の方が事実に近いだろう、多分。
でもまさか、クーシンも本当に化け狸がいるとは、いるとしても会う事になるとは思ってもいなかった。
「その化け狸があたしに何の用?」
クーシンの疑問には、フェンフーがひゃんひゃん鳴いて答える。
(おじーちゃんなの)
「厳密に言うと、祖父というわけではないがの。祖父の祖父のそのまた祖父の……と言うのはめんどうじゃろ?」
「化け狸は長生きなのね」
「そういう事じゃ。いつ生まれたかはもう覚えておらんが、化けるようになってからでも三百年は生きておるでな。この辺り一帯のタヌキは、おおむね儂の一族よ」
誇らしげに胸を張ったショウハオだが、すぐに肩をすぼめる。
と言っても、クーシンから見ればむしろ顔が近づく分だけ威圧感が増すのだが。
「だから、な。一族のタヌキらが、最近やたらと人に狙われているのに何もせんわけにはいかぬ」
「あ……」
何を話しに来たのかを察し、クーシンは言葉に詰まる。
ショウハオはそれを気にせず、話を始めた。
「単に捕まって飼われるならまだ良い。野に生きる自由はなくとも、それなりの餌を毎日得られる方が良いと思う者もおる」
(人間のごはん、おいしーよ)
フェンフーがクーシンの足元にまとわりつきながらのんきな思念を伝えてくる。
確かにフェンフーも、その母親も、人間に飼われる恩恵をしっかり享受している。
「だが、捕まえ方が、な。無節操に罠や毒餌やで一帯のタヌキを狩りつくし、たまたま生きていた者を売るような話を、それも一つ二つではなく聞くと、黙ってはおれぬのよ」
「そんなことまで……」
クーシンも、「買いあげたタヌキの一部が弱っていてで使い物にならない」というのは聞いていた。だが、その弱っているタヌキですらまだマシなものだったとは想像の範囲を超えていた。
「で、何故そうするのかと調べてみると、東方領がタヌキを西方に売るために買いあげているのが原因。高値で買うてくれるから、罠や毒餌で多少浪費しても収支が合うのだとさ。そして、そのきっかけを作ったのは東方の魔女から西方の聖女に贈られたタヌキだと分かってな」
今の西王国におけるタヌキブームはクーシンが意図したわけではない。
たまたま夜会で口に出したタヌキに、キミリアと王太子が食いついたからフェンフー親子を捕まえて贈り物にしただけだ。
その後、キミリアが礼拝の説教の時にフェンフーをほめたたえて、そこからペットとしての人気に火が付くなんて考えてもみなかった。
とはいえ、責任が無いとは言えない。マー家がそのブームに乗って領民からタヌキを買い上げているのは事実なのだし。
「でも……これまでも人間はタヌキを狩ってはいたはずよ」
罪悪感から逃れるため、少し抗弁してみる。
脳裏には、母からもらったタヌキの手袋があった。最近は季節の事もあって着けてはいないが。
そして、ショウハオはあっさりとそれを認める。
「さよう。それをすべて無くせとは、まあ言えぬ。狩って狩られては生き物の定めよ。我らタヌキも狩りはするし、人に狩られずとも狼やら大鷲やらにも狩られておる。じゃが、そうした狩りではそもそも『狩りつくす』ことはない。生き延びた者が子をなして、群れの数は大きく変わらぬ。その範囲なら、よい」
最後の『よい』の前には少しためらいの色が見えた。
本心から良いと思っているわけではない。しかし、認めざるを得ないのだと。そういう『よい』だ。
目の前の化け狸は、決して無理難題を押し付けに来たのではなく、可能な範囲の助力を求めに来ている。そう判断して、クーシンは返答する。
「東方領としてタヌキを買い上げるのは止められると思う。でも……」
東方領の領民は、西方にタヌキが売れる、ということは知ってしまった。
マー家が売ることを止めれば、東西を行き来する商人たちが商品としてタヌキを扱うだろう。そして、彼らはやはり領民からタヌキを仕入れるに違いない。
そういうところまではクーシンでは止められない。
「それでよい。それを頼みに来た」
「なるべく、西方でペットとしての人気がなくなるようにもしてみるわ」
キミリアに、あまりペットとしてタヌキを飼わないように言ってもらえばいいだろう。
そもそも彼女の説教がブームのきっかけなのだから、ブームを終わらせる方にも協力してもらうわけだ。
その提案で、ショウハオの顔が少しゆるむ。
長く白い髭がふわふわと揺れた。笑っているのかもしれない。
「良い子じゃな、クーシンどのは」
「子供扱いされるのは好きじゃないの」
「そりゃすまなかった。儂のようなものからすると、クーシンどのもフェンフーもあまり変わりはないでな」
多分2歳にもならないフェンフーとクーシンでは随分違う、とは思うのだが三百歳越えからすればそういうものなのだろうか。
クーシンの足元に座るフェンフーを見る目はゆるみっぱなしだ。
「フェンフーは、あ、ええとこの子は」
フェンフー、という名はクーシンが勝手につけたものだ。
呼び直そうとするクーシンをショウハオは右手を揺らめかせて止める。
「フェンフーで構わんよ。化けるまでのタヌキは名を持たぬ。伝説の化け狸の名とは、良い名をもろうたな」
親が決めた名前があるわけではないらしい。ただの動物ならそれが当たり前か。
「フェンフーはあなたのもとに返すべきかしら」
「かまわんよ。フェンフーも人のもとにいる方が楽しいようじゃし」
その証拠、とばかりに飛びついてくるフェンフーを抱き留めてやる。
それを見て、ショウハオは目を細めた。
「クーシンどのの使い魔になったためじゃろう。年の割には妙に知恵づいておる。このままなら、百年を待たずとも化け始めるかもしれん」
「長生きすれば、化け狸になるものなの?」
「野の獣は、いずれも長生きすれば化けると言われておる。儂の知り合いにも、化け狼やら化け狐やらがおるよ」
おとぎ話としては、化け狸や化け狐の話がいくつも伝わっている。
クーシンとしてはただの作り話か、実在するとしても遠い世界の存在だと思っていたのだが。
せっかくそうした存在と出会えたのだから、色々聞いておきたい事がある。
「人は、化けないのかしら」
「『化け人』か。聞いたことが無いが、一番近いのは仙人じゃろうな。それにも会ったことはある」
そう答えてから、ショウハオは真剣な目になってクーシンを見下ろす。
「長く、生きたいかね。"神に愛されし者"よ」
「そうよ。当たり前でしょ」
今この瞬間に発作が始まり、魔力に溶けて消えてしまうかもしれない。
それを『運命』なんて言葉で受け入れるつもりはない。
そんな思いを込めて、三百歳の化け狸を見上げる。
「そうよな。しかし、"神に愛されし者"が仙人になるのは、おそらく難しい。聞いた話では、仙人になるには丹薬を飲んで寿命を延ばしつつ長い長い間修行せねばならんそうじゃ」
「あたしたちには、時間はないわ」
丹薬を飲めば発作が起きない、というのならいいのだけれど、そういうものでもないだろう。
ショウハオもうなずいて言葉を続ける。
「仙人の一種である尸解仙なら、比較的短期間の修行で済むと聞いたこともある。しかし、尸解仙になるには一度死して蝉のごとく肉体を抜け出し、後日肉体を取りに戻らねばならんそうじゃ。つまり……」
"神に愛されし者"は、発作がおきれば肉体が魔力と化して消滅する。
「あたしたちは、尸解仙にもなれないって事か……」
「役に立てなくてすまんな。長生きしたいという気持ちは分かる。こうして話していて、儂もクーシン殿が長命であればと思うよ」
「ありがとう、ショウハオさん」
解決に結びついたわけではないが、伝説上の存在が実在すると確信できただけでも意味はある。
もう一度、伝説の長命種について調べてみてもいいだろう。
「じゃあの、クーシンどの。長命に関して何か分かれば、知らせよう」
「ありがとう。タヌキをこれ以上捕まえさせないように頑張ってみるわ」
ショウハオが差し出した毛むくじゃらの大きな手に、クーシンの細い手が合わさる。
握手というには非対象だが、毛の感触は思ったより柔らかかった。
「あ、もう一ついいかしら」
「なんじゃい?」
「なんでキミリアの格好で王太子みたいに話してたの?」
「ああ、あれか」
ショウハオは、そこで一旦言葉を切り、じいっとクーシンの頭から足先まで眺めまわした。
「まあ、言わぬ方が無礼か。儂が使っておったのは、『見た者が最も好意を抱いている相手に見える』化かし方よ」
クーシンの思考が止まる。
顔にも出たのだろう。実にすまなさそうな口調でショウハオが言う。
「じゃから、儂からも『誰の姿に見えているか』は、はっきりとは分からん。だから使う前に様子見をして『多分、この者の姿に見えるだろう』と考え、その相手の口調を真似るようにしておる」
つまり、ショウハオはここしばらくクーシンを見張っていたのだろう。そして、クーシンが王太子に好意を持っていると勘違いしたわけだ。
まあ接待として色々と世話を焼いていたのでそう見えるかもしれない。
軌道馬車では二人きりになり、結婚の申し込みすらされているのだし。
「多少ズレとっても、好きな相手と話しているなら気にしない事が多いのじゃが……今回は流石にはずれ過ぎとったな。儂もまだまだじゃ」
ショウハオの反省の弁は、クーシンには届いていなかった。
ショウハオにどう思われたかより、自分がどう思っているのかの方がはるかに大切だ。
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