第32話 男爵は叛意を秘める
ノワーズの王都屋敷に帰ると、馬車が1つ多かった。屋敷の中に入ると、思った通りに父が出迎えてくれる。
「おかえり、クーシン」
「ただいま、お父様。こっちに来てたのね」
ノワーズ男爵である父は王都と領地を行ったり来たりするのも仕事のうちだ。5日ほど前に帰ったばかりなので、まだしばらく来ないと思っていたのだけれど。
「陛下から呼び出されてね。クーシンは何をしてきたんだい?」
「キミリア様とデートでしたよ」
「そうかそうか」
割り込んで答えたスイに頷いてみせる父。そして、ちょっと言葉を選ぶ沈黙を挟んでからこう切り出す。
「聖女様は、何か言っていたかな。その、殿下とのことに関して」
「『結婚するのも聖女のお仕事ですから』って」
「そうか。賢い方だな。お前と同じ"神に愛されしもの"だけのことはある」
本意ではなくとも、それが自分に求められていると知っていて、それに応えるつもりはある。賢い、と言われればそうなのかもしれない。
「貴族も聖女も、政略結婚が当たり前だものね。結婚相手を選べない」
口にしてから、クーシンは少し後悔する。亡国の元王女と結婚し、今も貴族の当主として政略の中に身を置く父に言うには、少しトゲがあり過ぎたかもしれない。
しかし、父は気を害した様子もなくゆっくりと二度うなずくだけだった。
「クーシンは、王太子殿下の事が好きかね」
父の問いにすぐには答えず、周りを見回す。リビングにいるのは、父と自分とスイの3人だけだ。
「ここには、家族しかいないよ」
父も、その判断を後押しする。だから、素直な本音を答えた。
「嫌いとまでは言わないけど、好きじゃないわ。どうしてそんなこと聞くの?」
「陛下から打診があった。お前を王太子の側妃にしても良い、と」
そう言えば、王太子が東方領に来ていた時にそんな誘いを受けた。その時は王太子自身からクーシンだけに口頭で言われただけだったから、適当に流したが。その後、何ヶ月も何も言われなかったから、その場限りの冗談だったのだと思っていた。
しかし今回は王から男爵にした話だ。本気度がまるで違ってくる。
「……そうするべき?」
クーシンも貴族の端くれとして、ある程度の覚悟はあった。
男爵令嬢として王太子の側妃というのは破格の待遇。王太子とクーシンは年齢的にも大きく違わないし、正妃となるキミリアとも仲がいい。客観的に見て、こんな良い条件に飛びつかない方がおかしい。
だが、ノワーズ男爵マー・タイランはごく軽い口調で答える。
「いいや。好きではないんだろ? 次にお会いした時に断っておこう」
まるで、市場で手に取ったリンゴに虫食いを見つけた程度の。じゃあ隣のリンゴに取り替えればいいや、程度の軽さ。
「いいの?」
「せめてお前には、好きに生きてほしい。母さんも私も、そう思っている」
「それで、王家との関係が悪くなっても?」
両親の愛を感じながら、念押しに聞いてみる。
ノワーズ男爵家として、王家との関係は最重要事項だとクーシンは認識していた。ごく最近西王国に編入された東方領は、最も力のある貴族、つまり王家にとりいるのが最善手だと。
「父さんが頭を下げているのは、家族にとってより良い未来を買うためだ。彼らがそれを売れないなら、売ってくれる別のあてを探すことを考えないとな」
口調は軽いが、方針の大転換だ。王家から別の大貴族に乗り換えることを真剣に検討すると、そうまで言わせるのはただの娘可愛さではないだろう。
「何か、他にも言われたんでしょ」
「クーシンが持つ物全てを差し出せとか何とかな」
怒りを吐息で吐き出してから、元商人の男爵は冷静な声で続ける。
「だが、お前が作ってくれたノワーズ式馬車や他の発明品の技術は、東方領のための物だと思っている。商人としても、商品は売るがその作り方はね」
「そうね」
豊かとは言えない東方領の財政がなんとか上向きになっているのは、技術のおかげ。それを差し出すことはできないというのは納得いく判断だ。
そして父の言う通り、ノワーズの技術が生み出す富も王家の狙いだろう。王太子の以前の申し出は露骨にそれ狙いだったし。
だが、とクーシンは思う。
『持つ物全て』の中にはあの頭蓋骨も含まれているのではないか。身分を隠して冒険者を雇った依頼人は、王家の誰かだったのではないか。そうだという証拠は無いが、このタイミングで側妃の話が再燃した事の不自然さは説明できる。
「ねえ、お父様」
「なんだい?」
「王太子殿下と、こっそりお話する時間ってとれないかしら」
王家が『聖女の頭蓋骨』について何か知っているのなら、側妃の話を断る前の方が聞き出しやすいだろう。それに、キミリアについても。
クーシンのそんな打算を知らず、父は眉根を寄せて、ことさらに優しい声をつくる。
「多分、できるだろう。だが無理をしなくていいんだよ」
クーシンが、家のことを考えて我慢して結婚するつもりだとでも思ったのか。悪いけれど、そこまで殊勝な娘ではない。
王太子の出す条件によっては考え直すことはあるかもしれないが、親が無理しなくていいというなら甘えさせてもらおう。
「大丈夫よ。いくつか聞きたい事があるだけだから」
クーシンの答えに、父は分かったと頷きを返した。
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