第31話 魔女は女神を信じない

 キミリアが、ここが良いんです!と力説した喫茶店は、商人街の中でも貴族街に最も近い一等地に建っていた。

 たまたま・・・・4人で座れる席は無かったので、クーシンとキミリア、スイとウルスラに分かれて座る。フェンフーを入れたカゴはキミリアと一緒、テーブルの上に置かせてもらう。


 案内される時にキミリアが注文していたので、席についてすぐに皿が運ばれてくる。


「聖芋のノワーズ風、トゥリア蜜とクリーム添えでございます。お茶の方は、シャーロンの2番摘みをご用意致しましたが、よろしいでしょうか」

「はい!」

「では、仕上げをさせていただきます」


 綺麗に山になるよう盛り付けられた聖芋の薄揚げ。その横には泡立てたクリームが小ぶりの山を作っている。給仕はその皿をテーブルの中央におくと、小さなポットを手に取った。

 腕をいっぱいに掲げてポットを傾けると、注ぎ口からとろりと琥珀色の蜜が流れ出す。それは細く長く伸び、午後の陽光にきらめきながら芋とクリームの山に網目模様を描いた。

 キミリアにつられて、クーシンも小さく拍手してしまった。


「お祈りに来られた方から、この店のことをお聞きしてて。一度食べたかったんですよ〜」

「確かに、一見の価値はあったかな。それにしても、あの揚げ芋が王都だとこうなるのね」


 キミリアが東方領に来た時に作った薄揚げ芋は、塩とハーブで味付けして肉料理のおともになっていた。それが、王都ではお金持ちのご令嬢たちが目を輝かせる甘味になっているのは中々不思議な気分だ。


(クリーム! クリームつけたのちょうだい! もりもりで!)


 フェンフーが騒ぐので、クーシンは薄揚げ芋を1枚とり、クリームをたっぷりすくって渡してやる。フェンフーはカゴから伸び上がり、前足をそろえて芋を受け取ると、猛然とクリームを舐め始めた。

 後足で立ったまま前足に持った芋を舐める姿を見ていると、化け狸化が進行しているように思える。

 まあそれはそれで、とクーシンは自分用に1枚取って口に含む。少し噛んだだけでさくりと砕け、口の中に甘い蜜の味が広がる。


「かなり薄いわね。魔法使いを雇ってるのかしら?」

「どうでしょうね?」


 東方領で作った時は、クーシンとキミリアの2人がかりで魔法を使い、何十もの芋を薄切りにした。この喫茶店のものはその時の芋の半分くらいしか厚みが無い。普通の包丁でやっているなら、かなりの熟練技だ。

 魔法にしても、発明した道具にしても、どうやっているのかちょっと見てみたい。


「作るところ見せてくださいってお願いしてみます?」

「いいわ。キ、あなたは今は普通の女の子なんだから」


 聖女としてキミリアがお願いしたら、きっと喜んで見学させてくれるだろう。しかし、今日はそうしたくない。

 あるいは、薄揚げ芋を最初に作った者だと言えばいけるか?


 薄揚げ芋を頬張るキミリアを見ながらそんなことを考えていたら、違うふうにとられたらしい。

 キミリアは自身の着ている薄緑のワンピースを見下ろしてから、にっこりと笑う。


「そういえば、服、ありがとうございました。その日のうちに着れるなんて、すごいですね」


 普通、服を買うとなれば採寸をして生地やらデザインやらを選び、縫い上がるのを待たなければならない。早くても数日。高位貴族の儀礼用衣装であれば一月を超えることも珍しくないとか。

 でも、今回はそんなに待ってもいられない。今日一緒に出かける服が欲しいのだ。

 それで選んだのが、最近商人階級に流行りの即日服飾店。既にほぼ縫い終わった服がたくさん用意されているので、気に入ったものを選んで少し手直ししてもらうだけで済む。


「便利よね。まぁ、貴族用としては安物らしいんだけど」

「そうなんですね。でも好きです、この服」


 襟のレースをなでるキミリアを見ていると、クーシンの顔も自然とほころぶ。

 クーシンとウルスラで色々悩みながら選び抜いた一着だ。気に入ってもらえたなら、努力も報われるというもの。


 だがそこで急に、腹の底の方で何かがうごめく様な感覚がクーシンを襲う。

 発作一歩手前の感覚。

 だが、クーシン自身のではない。

 キミリアの服をなでる指先がわずかに発光している。

 クーシンはとっさに身を乗り出し、光る指をとって握りしめた。椅子が倒れ、給仕があわてて駆け寄ってくる。

 即座に対応したおかげか、給仕が椅子を起こすまでには発光は止まっていた。


「ありがとう。話しているうちに、つい興奮しちゃって」


 適当な言い訳で給仕を下がらせ、スイにも大丈夫だと目配せする。


「おさまった?」

「ありがとうございますぅ。すごい早かったですね」


 発作を止めるには、何かの感覚を刺激して身体を意識させるのがいい。発作が進むと弱い刺激では効果がないのだけれど、今回は早かったから手を握るだけでも十分だったようだ。


「なんか、発作が起きそうな感覚があったのよ」

「クーシンさんは、大丈夫なんですか?」


 クーシンは念の為自分の身体も見回すが、特に光っている様子はない。とすると、キミリアが発作を起こしかけているのがクーシンに感じられた、ということか。


「次の発作の時もお願いしますね」


 キミリアは冗談っぽくそう言って笑う。

 次なんて無い方が良いのだけれど。でも、必ずあるのだ。"神に愛されしもの"の宿命だから。


「そういえば、至聖教の聖女ってみんな"神に愛されしもの"なのよね?」

「はい、そうですよぉ。"神に愛されしもの"の女の子で、治癒魔法が得意な子が選ばれるんです」

「そうじゃない子が聖女になるってことはあるのかしら?」


 クーシンの頭にあるのは、『聖女の頭蓋骨』のことである。"神に愛されしもの"ではない聖女がいたなら、その頭蓋骨は残っていておかしくない。


「男の子の"神に愛されしもの"が性別を隠して聖女になろうとしたことはあるらしいです。就任前にバレちゃったそうですけど」


 キミリアの答えは予想とはちょっとズレていた。しかし、考えてみれば"神に愛されしもの"でない者がそうだと装うのはかなり難しい。性別ならまだ、変装や幻覚魔法でなんとかできそうだけど。


「クーシンさんは、聖女に興味があるんですか?」

「まぁ、そりゃあね」


 頭蓋骨のことはあんまりキミリアには話したくないので、ふんわりと誤魔化す。

 そんな気遣いを知ってか知らずか、キミリアはこくこくとお茶を飲み干した。


「クーシンさんと一緒に聖女をするのも楽しそうです♪」

「自分でなる気はないなぁ。大変そうだし」


 クーシンはそんなに治癒魔法が得意でもないし、そもそも女神もあまり信じていない。聖女にふさわしいとはとても思えない。

 しかし、キミリアは引かずに続ける。


「やりましょうよ。2人でなら、仕事も半分こにできますし」

「最近は忙しいの?」

「結婚式の準備もありますからねぇー」

「結婚か……」


 それだけ言うのが精一杯だった。

 キミリアと王太子は年末の祭日に結婚式をあげる。もう二ヶ月もないのだ。

 ノワーズ男爵家も、なんならクーシン自身だってその結婚を後押ししてきた。何を今さら。


「まぁ、結婚するのも聖女のお仕事ですから」


 キミリアが軽い口調を作って言う。

 クーシンは、何も言えなかった。何を言っても、聞きたくない答えしか返ってこないと分かってしまう。


「そもそも、結婚できるかも分かんないですし」


 結婚式よりも早くに、最期の発作が起こる可能性は確かにある。"神に愛されしもの"の宿命だ。そうなれば、当然結婚式は行われない。でも、それじゃ意味がない。


「大丈夫ですよ。どんな風になっても、最後は女神様の御許で永遠に一緒にいられますから」


 本当にそうだろうか。

 女神が本当に存在するのか。

 死者の魂がその御許で過ごすというのは本当なのか。

 東方領の祖先信仰とはまた違う。女神は自身を信じていないクーシンを受け入れるだろうか。

 そもそも、神に愛されしものの魂は、死後の世界に行けるのか。最期の発作が起こった時、魂すらも魔力へと変換されてしまうのではないだろうか。

 至聖教の教えは、魔女の心をなでるだけ。奥底までは、染み入らない。


(クーシン……)


 フェンフーが気遣うような思念を飛ばしてくる。

 また、悩みを聞かせてしまっていただろうか。そう思っていつのまにかうつむいていた顔をあげる。


(食べないなら、もう一枚ちょうだい。今度は蜜たっぷりで)


 口のまわりをクリームでベッタベタにしたフェンフーは、しれっとした顔で2枚目をねだった。

 白ひげタヌキの間抜け顔に、クーシンは思わず吹き出す。


「どうしたんですか?」


 黙り込んだかと思うと突然笑い出したクーシンに、キミリアが心配げな声をかける。しかし、こちらも口の端の方にクリームが付いている。

 指でそれを拭ってやり、ぺろりと舐めとる。甘い。


「何でもないわ。湿気ちゃわないうちに食べましょ」

「そ、そうですね」


 結局、死後にどうなるかなんてのは、そうなってみないと分からない事だ。考えたって仕方がない。

 そう言い聞かせて、クーシンは自分の願望を紅茶で流し込む。


 この世に永遠にいられるなら、どうなっているのか分からない死後の世界に賭けなくていいなら、その方が良い選択肢なのではないか。

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