第40話 聖女は魔女の不在を憂う
聖女の朝は、元々早い。日が昇る頃には起きていて当たり前だ。
ましてや今日はキミリア自身の結婚式である。すこし早く目を覚まし、日の出に合わせて女神に祈りを捧げた。厚い雲に阻まれて陽光を見ることは叶わなかったが。
それから軽く湯浴みをして、部屋に戻ってきたところだ。
机の下で丸まったままのタヌキに声をかける。
「フェンフーさん。クーシンさんはどうしてますかぁ?」
フェンフーは尻尾を軽く振ってくれたが、それだけだ。
前は週に2、3度フェンフーが騒ぎ出し、その相手をしているといつの間にやらウルスラが来て「クーシン様がおいでですけど、お会いになられます?」という流れだったのだ。
しかし、この1カ月ほどはそれが無い。
厳密に言えば、フェンフーが妙に落ち着きのない期間が1週間ほどあった。クーシンが来るのかと期待はしていたのだが来訪せず。そのうちにフェンフーが食事以外にあまり動かなくなって今に至る。
「何か、怒らせちゃったかなぁ」
結婚式の準備もあって、キミリアの方からクーシンに会いに行く余裕もない。手紙を送っても返事も無し。結婚式の招待状はもちろん送ったのだが、ノワーズ男爵家から参加しますと儀礼的な返事が返ってきただけだった。
最後に会った喫茶店でのことを思い返してみるが、特にマズい事は言っていないと思う。強いていうなら結婚式の話題の時は余り良い顔をしていなかったけれど。
物思いは、ノックの音で断ち切られた。
「キミリア様、そろそろお召し替えを」
ウルスラに続いて、王家から派遣されている侍女たちがドレスやアクセサリーを持って入ってくる。
「はい。そうしましょう」
「では、失礼いたします。歴史に残る美しさに仕上げて見せますよ!」
侍女頭はことさらに晴れやかな笑顔。この数日は一緒に色々打ち合わせしているが、元気で感じが良い。彼女の指揮のもと、侍女たちがキミリアにまとわりつく。
修道衣を脱がされ、髪をとかされ、化粧まで。
口紅が塗り終わったのを見計らって、キミリアはウルスラに尋ねる。
「クーシンさんから、手紙とか連絡はありましたか?」
目を潤ませながらキミリアを見ていたウルスラだが、クーシンの名を出した途端に表情を曇らせる。
「……いえ、特には……」
なんとも歯切れの悪い答え。この数週間はずっとこんな感じだけれど。
そうですか、と返したところで、寝ていたフェンフーが急に飛び上がった。
机で頭を打ったが、それでも止まらず駆け回る。キミリアに飛びつこうとしたのは侍女たちがガードしたが、そうすると今度はベッドに飛び乗った。キミリアを見据えて、ワンワンと鳴く。まるで、何かを伝えたがっているように。
「何があったんですか、落ち着いてください!」
思わず叫んだキミリアだったが、タヌキであるフェンフーが答えられるわけもなく。
どうしていいかも分からないでいるうちに、フェンフーがふいに尻尾と耳を垂らさせ、ヘロヘロと座り込んだ。もう机の下に戻る気力も無いのか、ベッドの上で丸まってスンスンと鼻を鳴らすだけだ。
「なんだったんでしょう……」
「獣は気まぐれなものですよ。ウチで飼ってる犬もこんなもんです。さあ、お召替えを」
侍女頭の言葉で、侍女たちが着せ替えを再開する。キミリアも、不安は胸の奥に押し込めて聖女らしい顔を作り、大人しく着せ替えられる。
5枚重ねのペチコート。コルセットは少し緩めで勘弁してもらう。そして、花嫁のための純白のドレス。みっしりと聖芋の花が刺繍されているため、物理的に重い。だが、信徒・神官たちが祝福の祈りをこめて作ってくれたものだ。その気持ちは、素直に嬉しい。
髪を整え、至聖教の聖印を付けられた冠を乗せられたところで、扉が鳴った。王太子のご到着だ。
「おはよう、わが花嫁。今日はいつにもまして美しいね」
「王太子様、おはようございます」
キミリアはなるべく幸せそうな新婦の顔で王太子に挨拶する。
王太子はお気に召したらしく、かなりの上機嫌だ。
「アレンで構わないよ。今日、我々は夫婦になるのだからね。ん?」
フェンフーが低く唸っている。ベッドの上で丸まったままではあるが、顔だけはあげて王太子を睨みつけている。
あまりの剣呑さに、キミリアは思わず話題を変えた。
「王太子様は、クーシンさんがどうしてるか知らないですか?」
とっさに出たのは、やはりクーシンの事だった。クーシンと王太子は、面識はあるけれど、個人的に連絡を取り合うような仲では無いはず。聞いても、知らないと答えられるに決まってるのに。
そんなキミリアの予想を超えた答えが返ってきた。
「クーシン・マーなら、来ないぞ」
「えっ⁉︎」
「彼女はマー家から勘当されたからな。庶民に王族の結婚式の席は用意できない」
ウルスラが、侍女頭が、侍女たちが、あるものは唇をかみ、あるものは身を固くし、あるものは目を背けた。
そういうことなのか、とキミリアは悟る。自分だけ、知らされていなかったのだ。
どういう事情かは知らないが、クーシンはマー家を追い出された。あんなに仲が良さそうだったのに。
色々大変だったに違いないのに、そんな時こそ側に寄り添っていたいのに、自分は何も知らされないまま、結婚式の準備をしていた。
「殿下は殿下で準備がおありでしょう」
ウルスラが王太子を外に出るよう誘導する。
「そうだな。キミリア、では式場で」
だんだん表情が渋くなってきていた従者たちを連れて、王太子は部屋から去った。
扉をきっちり閉めてから、ウルスラがキミリアに頭を下げる。
「申し訳ありません。その……」
「いいです。分かります」
正直に言ってしまえば、キミリアが平静で居られるわけがない。それをウルスラも、王家の侍女たちも分かっていたのだ。
それはキミリアも理解できる。理解できてしまう。
今、わがままを言うのは聖女のやるべきことではない。
「詳しいことは、後で話してください。隠し事なく」
「……はい」
「それと、すこし待ってください」
聡明なキミリアは、いま時間がないことも分かっている。でも、ひとしきり泣いてからでないと、聖女の顔すら作れそうになかった。
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