第39話 王太子は魔女を殺す

 その日は早朝から厚い雲が垂れ込めていた。女神の恩寵である太陽も、その顔をのぞかせることはない。

 灰色の空を振り仰いだ近衛騎士は、馬車の中の王太子に声をかけた。


「せっかくのめでたき日なのに、パッとしない天気ですな」

「気にすることはないさ。太陽が顔を見せなくとも、今日は聖女の晴れ舞台だ」


 王太子の表情は、天気と対照的に明るい。それはそうだろう。今日は年末の祭日の初日であり、王太子と聖女の結婚式の日だ。

 揺れの少ないノワーズ式馬車のおかげで、王太子の口数も多い。


「それより、聖女の身体の方は大丈夫だろうな」


 新婦となる聖女キミリアは"神に愛されしもの"だ。いつ発作によって魔力の光と消えてしまってもおかしくはない。

 だから結婚が発表されてからずっと、聖女に発作の兆候が無いかどうかは国家の一大懸念事項になっていた。


「聖女様の世話係には昨日も確認しております。少し気がかりはお有りのようですが、身体はすこぶる健康だと」

「気がかり、とは?」

「ご友人と連絡がとれないそうで」


 王太子の顔にここで初めてわずかな曇りが浮かぶ。


「ノワーズ男爵令嬢か。いや、勘当したとの知らせがあったから、ただの庶民だな」


 口ではそう言っておくが、本当に"ただの庶民"とは言えない。もう1人の"神に愛されしもの"であり、聖女の友人。そして、王太子にとっては計画のために必要な駒。


「どうして、私が目をかけた者は皆勘当されるんだ?」


 近衛騎士には聞こえない程度の声で自問する。

 念頭にあるのは、マリーノの裏切り。彼には勘当されてから本格的に接触したので、クーシンとはまた事情が違うのだが。それでも、どこか嫌な予感はあった。


 物思いにふける王太子の耳に、前方の近衛兵の声が届く。


「どけ!」


 見れば、1人の少女が王太子一行の前に立ち塞がっている。頭一つ以上大きい近衛兵にすごまれても、全く怯えた様子もない。その真紅の地に金糸で龍をあしらった細身のドレスは、王太子もよく覚えていた。


「王太子殿下にお目通りを」


 丸いメガネの奥から、切れ長の黒い目が王太子だけを見据えている。

 よく言えば凛とした、悪く言えばふてぶてしい態度。近衛兵は後者だったようで、声を荒げて再度叫ぶ。


「どけと言っている!」

「待て」


 近衛兵を制止して、王太子は馬車の扉を開け、顔を突き出した。

 ただ1人、いつも連れていたメイドすら連れずに立つクーシン。勘当の知らせを聞いてから十日ほど経つが、特にやつれている様子もなく健康そうに見えた。


「何用だ、クーシン」


 聞きたいことはいくつもある。実のところ、連絡をとりたくて探させていたのは王太子も同じ。父親であるノワーズ男爵と話す機会はあったが、『聖女の頭蓋骨』や取引のことなどは聞くわけにはいかなかったし。

 王太子の内心の焦りに合わせるかのように、クーシンは挨拶も何もなく本題に入る。


「フォエミナと話しました」


 目を見開いた、と王太子自身にも分かった。偽りの聖女フォエミナ、取引の時にはわざと明かしていない名前だ。

 普通に調べて行き着ける名前ではない、ということはクーシンは骸骨語りの魔法を使ったに違いない。必要な資材・・はまだ渡していないので、ためらっているのかとも思っていたのだが。

 なるほど、あのメイドを使った・・・のかと王太子は納得する。中々思い切ったものだ。それがバレて勘当されたのかもしれない。


「彼女を保護してやれ」


 近衛騎士にそう指示を出す。


「話は後で聞こう、クーシン。マー家から放逐されたと聞いている。大変だったろう」


 クーシンにもねぎらいの言葉をかける。フォエミナと話したということは、吸血鬼化の魔法を聞き出しているに違いない。それを話すまでは、丁重に取り扱ってやらなければ。


「いいえ、なんということはありません。王太子様の……」


 近衛兵の間をすり抜けて、クーシンは王太子の馬車に近づく。


「命をいただくためなので」


 クーシンの腕が、伸ばした細い人差し指がまっすぐ王太子へと向けられる。


「テイザッ!」


 近衛兵の1人が射線に割り込んだ。吹き飛ばされた身体が馬車馬に当たって止まる。生きてはいるようだが、鋼の銅鎧が大きく歪んでいた。

 別の兵が、掲げていた旗を振り回してクーシンを殴りつける。王家の紋章が入った旗は武器として使うものではないが、剣を抜く手間も惜しんでのこと。

 顔を殴りつけられたクーシンは倒れ、飛んだメガネが路面に落ちる。

 だがそれでも、クーシンはしっかりと王太子を見据えていた。


「また後ほど。殿下」


 近衛兵らが距離を詰める。

 メガネを踏み潰し、剣を抜き、3人そろって振り下ろす。

 少女1人を殺すには、十分すぎるほどに。


 近衛部隊によって命を拾った形の王太子。

 死体となったクーシンを見下ろしながらも、彼は疑念に囚われていた。


 話す余裕があったなら、魔法を使って攻撃できたはず。本気で殺すつもりは無かったのかもしれない。

 そもそも、クーシンは吸血鬼化の魔法をフォエミナから聞き出しているはず。そして吸血鬼に、不死者になるのなら、その最後の仕上げは死ぬ事だろう。つまり、クーシンは殺しにきたのではなく殺されにきた可能性もある。最期の言葉の『後ほど』というのは無事に吸血鬼になってから、という事なのかも。

 しかし、マリーノがそうであったように吸血鬼化した後は王太子の言うことを聞かない可能性もある。余人のいない場所で吸血鬼と相対したなら、今度こそ完全に殺されるかもしれない。


「死体を回収して、拘束しておけ」

「は?」


 間の抜けた返答。死体を回収するのはともかく、わざわざ拘束する理由が近衛騎士には分からなかったのだろう。


「拘束しておけ。必ずやれよ」


 説明せずに念押しだけして、王太子は馬車の席に戻る。

 分からない事が多いが、クーシンが吸血鬼になるとしても陽光の無い夜の事だろう。結婚式を終え、クーシンがどうなるかを確かめてから対応を考えても遅くない、と考えながら、馬車を走らせる。

 式が行われる至聖教の大神殿に向かって。

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