第43話 魔女は聖女を望む

「ダメです、クーシンさん。それは、ダメです」


 涙をたっぷり目尻にためて、それでもそれをこぼさずに、キミリアは拒絶の意思をしめす。


「どうして? コイツが吸血鬼に成りたがってたのは事実よ。そのためなら、キミリアの事だって利用する気満々だった」


 そう、結局それが1番気に入らないのだ。キミリアを、クーシンの大事なキミリアを、自分がどう使ってもいい財産みたいに扱ったのが。


「そうじゃなくて。私は、クーシンさんにそんなことをして欲しくないんです」


 キミリアにはきっと、『利用』がどれほど汚いことを指しているかがピンと来ないのだろう。クーシン自身もそこまで具体的に分かっている訳ではないし、説明したくもないけれど。


「キミリア、優しいのはとてもいい事よ。でも、情けをかけるべきじゃない相手もいるわ」


 キミリアと話していると、血を吸うことができない。とりあえず王太子は膝を蹴り潰しておく。悲鳴がうるさかったので、喉も軽く一蹴りしたら静かになった。

 王太子の悲鳴で我に帰ったのか、参列客たちも悲鳴をあげて逃げ始める。貴族たちはともかく、王が真っ先に逃げていくのは中々皮肉が効いている。近衛兵は何人かが王を追い、何人かは残って剣を抜く。


「素直に逃げれば、殺しはしないわよ」


 クーシンは警告するが、それで退くならそもそも近衛兵にはなっていまい。


 剣を掲げて駆け寄る近衛兵たち。

 クーシンは割れたステンドグラスから吹き込む風を操り、彼らを打ち据える。3人はそれで倒れたが、2人はそのまま向かってくる。キミリアと最高司祭の盾の魔法が間に合ったのだ。


(ちょっと厄介ね)


 そう考えつつ、クーシンは横並びで走って来た近衛兵らの右側に回り込む。こうすれば、片方の兵の体が邪魔になってもう1人は剣を振れない。

 近い方の兵が剣を横薙ぎにする。きちんと訓練されたその一閃は、これまでのクーシンの命を奪うには十分だったろう。

 しかし、吸血鬼となったクーシンには遅すぎる。

 剣の振りより早く兵の懐に踏み込む。右手首を握って砕き、スカートのスリットが開くのも構わず、手前の兵を思い切り蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた兵の身体が、もう1人の兵を巻き込む、はずだったのだが、盾の魔法で阻まれる。

 剣が石畳に落ちて派手な音を立てた。


「ちょっとはしたないんじゃない?」


 右手に持ったフオンの生首が茶化してくる。

 それには答えず、クーシンは最高司祭を見据えた。慈悲深い老女は当然"神に愛されしもの"ではないのだが、それに勝るとも劣らぬ魔法さばきだ。


「あの人の首はいる?」

「いや、あんまり」


 王家に殺意を抱くフオンも、最高司祭には興味がないらしい。クーシンとしても積極的に殺したい相手ではない。神殿関係者を殺すのはキミリアも望まないだろうから。


(どうにかして、自発的に退場して欲しいのだけど)


 残った最後の兵が突き出した剣を払いのけつつ、クーシンは思考する。

 反撃の蹴りは魔法で弾かれ、その間にキミリアが癒しの魔法を唱える。さっき蹴り飛ばした兵が起き上がった。


「手数が足りないねぇ」


 まるで他人事だからと呑気に笑うフオン。

 国内最高クラスの聖職者2人を同時に殺さず相手するというのは、真祖吸血鬼にもなかなか難しい。


(別の場所に、出番を作ってあげるしかないか)


 ちょっと残念だけど、仕方がない。クーシンは、倒れたままの王太子に駆け寄り、そのままの勢いで腹を蹴りつける。さっき喉を蹴った時より手加減弱め。

 ウルスラがヒッと息を飲むのが聞こえた。

 王太子の身体が一瞬浮き上がり、すぐに落ちる、ところをさらに蹴り上げて左手で掴む。

 吸血鬼になった今のクーシンなら、自分より体格の大きい王太子を腕一本で吊るすのも苦ではない。


「アレン様を離せ!」


 安易に斬りかかられなくなった近衛兵が声を上げる。

 王太子の口から赤黒い血がもれて、クーシンの手を汚す。内臓の2つ3つは壊れただろうか。


「まだ、生きてるわよ。すぐに手当しないと、危ないだろうけど」


 クーシンは医療には詳しくない。適当に言っているだけだが、説得力はあるだろう。キミリアも最高司祭も、緊張した表情を続けているし。


「殺さないの?」


 それは約束破りだ、とフオンが目で責めてくる。

 クーシンにとって王太子の生死は、フオンとの約束を足してもキミリアより軽い。今ここで殺さなくても別のタイミングでだって良いのだし。

 だから、投げた。

 一歩踏み込み、自分が開けたステンドグラスの穴に向けて。


「なにを!」


 流石にこれは、最高司祭にもキミリアにも想定外だったらしい。誰も、何もできないまま、王太子の身体は放物線を描き、ステンドグラスの穴を抜けて中庭へと落ちていく。落ちる音は、嵐のせいで聞こえなかった。


「多分まだ生きてるんじゃないかしら。でも、すぐに治癒魔法の達人が行かないと死ぬでしょうね」


 言いたいことを理解した最高司祭が、クーシンを本気でにらみつける。

 最高司祭かキミリアのどちらかが助けに行かないと王太子は死ぬ。でもそうすると、今より少ない人数でクーシンの相手をしないといけない。

 王太子の命か、吸血鬼討伐か。

 突きつけられた二択を理解して、キミリアの、そして近衛兵らの視線が最高司祭に集まる。


「猊下っ……!」


 近衛兵の押し殺した呼びかけ。

 慈悲深い老女は、かたわらに立つ聖女に視線を向ける。


「キミリア、ここは頼みます。でも、何より自分自身を守ること。ウルスラ、いつまで呆けているの! あなたの聖女を守りなさい、命にかえても!」


 2人が頷いた瞬間、指先ほどの光の玉がクーシンの目の前に飛んできた。かつて、クーシン自身が使った閃光の魔法だ。

 理解はしたのだけれど、最高司祭を注視していたせいで反応が間に合わず、弾ける光に視界を奪われる。

 代わりに耳を澄ますと、複数の足音が離れていくのが聞こえる。撤退時を狙われないよう、目潰しをしたのだろう。


(さすがの判断、なのかしら)


 クーシンが再び目を開けた時、広間に残っているのはキミリアとウルスラだけだった。

 望み通りの状況に満足し、クーシンはキミリアに呼びかける。


「キミリア、あたしと一緒に、永遠になろう」

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