第44話 聖女は魔女を拒絶する
「あたしと一緒に、永遠になろう」
邪魔者が居なくなって、やっと出せた誘いの言葉。
しかし、キミリアは決然と首を横にふる。
「嫌です」
「どうして」
聞きながらも、最初は拒絶されるのは分かっていた。キミリアは至聖教の聖女。吸血鬼を大罪人と位置付ける宗教の象徴が、すぐに吸血鬼になると決意するのは難しいだろう。でも、
「いつ発作で死ぬか分からない状況なんて、嫌でしょう?」
キミリアは"神に愛されしもの"だから、何度もその発作で命を落としかけてきたのだから。
「発作は好きじゃないです。でも、誰かの命を奪って生き続けるのは間違ってます」
「あたしも、誰彼構わず血を吸おうとなんて思ってないわ。本当に一緒に居たい人と、あたし達を利用して使い捨てようとする連中だけ」
あのマリーノのように、何の関係も無い人を襲って血を吸うのは、倫理的にも生理的にも嫌だ。
だが、キミリアを利用しようとした王太子なら、倫理的な面は気にならない。他にも、探せば他人を利用して悪事を企む者はいくらでも見つかるだろう。そうした連中の血だけ吸うのなら、悪くないはずだ。
しかし、それすらも聖女は受け入れない。
「利用されても良いじゃないですか。私だって、クーシンさんだって、誰かのお世話になって今日まで生きてきたんです。お互いに許せる範囲の利用をしあって、それで世の中が動いていくんです。だから、嫌な人だからって、殺してしまってはダメなんです!」
そんなのは、ただの綺麗事。それを言ってしまうのは簡単で、でもきっと何の意味もない。
そもそも、綺麗事を全部捨ててしまったら、それはキミリアなんだろうか?
そんな疑念すら湧くほどに、聖女は聖女として吸血鬼に説く。
「今なら、まだきっと女神様は許してくださいます。私も、一緒にお願いしますから」
「女神なんて、いるかどうか分からないものはどうでも良いの! あたしは、ただキミリアとずっと一緒に居たいだけ!」
聖女の眉が、悲しみに歪む。
「クーシンさん……分かってもらえないのなら、せめて罪を重ねる前に!」
キミリアが突き出した手の先に、3つの光の弾が浮かぶ。薄く黄色がかった暖かい陽光の弾は、夜の眷属を目指して真っ直ぐに飛ぶ。
速いけれど、直線だから読みやすい。余裕をもってかわすクーシン。しかし、聖女はそれを見越していた。
「慈悲深き陽光よ!」
今度は呪文を唱えての発動。5発の光弾がカーブを描き、包み込むようにクーシンを狙う。
後ろに大きく退いて避ける、が光弾はクーシンを追って軌道を曲げた。
咄嗟に盾の魔法を展開。
2発は完全に弾いたが、残りはクーシンをかすめ、青白い肌を焼く。
クーシンは歯噛みした。
傷の方は大したことはない。だが、どうしたものか。攻撃魔法でキミリアを痛めつけたくはない。一歩間違えば殺しかねないし。
拘束魔法なら、とも思うがあれは少し複雑だ。詠唱に時間がかかる。
「キミリア、周りを見なさい。みんなみんな、逃げちゃったでしょ。結局、あたし達を一方的に利用するだけ。女神がホントにいたとしても、きっと!」
「クーシンさんのことは好きです。女神への信仰を持ってないのも分かります。でも、私はみんなに聖女であることを望まれたし、そうありたいんです!」
キミリアはさらに光弾を作り出す。3個をクーシンが避けているうちに6個を周りに貯める。とにかく数で押し切るつもりか。
「女神じゃなくて、みんなじゃなくて、あたしといてよ!」
数が多すぎる。避けるだけでは間に合わない。そう判断したクーシンは、右手の生首に言う。
「魔法、止めるわよ」
「はーい。じゃあね」
フオンの了解を得て、骸骨語りの魔法を強制終了。頭蓋骨をそこらの椅子の上に置く。
空いた右手で、自分の左腕を握る。尖った爪が滑らかな肌を破り、鮮血がしたたった。
「血よ!」
短い呪文で血を飛ばし、キミリアの光弾を減らしていく。
空いた右手で印を結ぶ。吹き込む風を魔力で束ね、不可視の槍を形成する。
これならば、光弾で迎撃されても弾き返せるだろう。だが、キミリアに撃つには強すぎはしまいか。
迷ううちにも、キミリアを取り巻く光弾は増える。もう、100に近い数だ。一斉に飛ばされると、血の魔法で相殺しても耐えきれないだろう。
しかし、キミリアはダメ押しとばかりに呪文の詠唱をはじめる。
「至高の天にあられる慈悲深き女神よ、この地にあなたの恵みをお与えください」
キミリアの両手の間に、飛ばしているものより二回りは大きい光球が現れる。マリーノを倒した時にも使っていた魔法だ。これで完全にクーシンを滅ぼすつもりなのだろう。
だが、逆にクーシンは勝機を見た。
「天に女神の慈悲なんてないわ!」
風の槍を天井に向かって投げる。砕けた穴から吹き込むのは、女神の陽光ではなく、クーシンが呼んだ嵐の暴風。
キミリアの視線が上に向いた瞬間、クーシンは無理矢理に前に出る。
何十もの光弾を血の魔法で迎撃し、盾の魔法でそらす。
消しきれなかった光弾がクーシンの肌を焼き、腕の肉を削ぎ、腹に穴をうがつ。
それでも、クーシンは止まらない。キミリアの呪文の完成より早く、その腕を掴んだ。
そのはずだった。
クーシンの指が、あっけなくキミリアの手首を貫通する。
力が強すぎて握りつぶしてしまった?
違う。それなら手応えはあるはずだし、血が出るはずだ。
混乱するクーシンの耳に、鳴き声が届く。
「フェンフー……」
クーシンから少し離れた、祭壇のすぐそば。詠唱をつづけるキミリアの足元に、茶色い子狸の姿があった。
(幻覚魔法か、やってくれたわね)
心で呼びかけても、答えは返ってこない。もう、使い魔ではないからだ。
使い魔の契約は、クーシンが死ぬまで。一度王太子の配下に殺された時点で、フェンフーはクーシンの使い魔ではなくなっていた。
「女神よ。罪深き吸血鬼を……」
キミリアの呪文はもう最終段階。
そう悟った瞬間、クーシンの腹の底の方で何かがうごめく様な感覚があった。
「キミリア、待って!」
待つわけがない。だがそれでも、言わずにはいられなかった。
呪文の完成より一拍早く、キミリアの手が光に染まり、パラパラと崩れはじめる。
発作だ。
「キミリア様!」
これまで突っ立っているばかりだったウルスラが、素早くキミリアに駆け寄り、支える。
(今ならまだ間に合う!)
まだ魔力の光はキミリアの腕までしか広がっていない。今すぐキミリアの血を吸い、吸血鬼にすれば。
「来ないでください、クーシンさん」
クーシンの考えを読んだかのような言葉に動きが止まる。
「血を吸われる、くらいなら、死をえらびます」
「自殺は女神様の許すところではなかったんじゃない?」
「吸血鬼に、なるよりは、マシです」
うろ覚えの教義は、固い決意にあっさり阻まれる。
フェンフーがキミリアに駆け寄った。ウルスラはキミリアを後ろから抱きしめ、フェンフーはキミリアの首に身体と尻尾を巻きつける。
自分たちが犠牲になってでも、キミリアの血は吸わせない覚悟だ。彼女らが稼げる時間はほんの少しだろう。それでも、キミリアが魔法を自身に向けるには足りる。
「キミリア、死なないで」
もう、クーシンができることは懇願しか残っていない。
「くーしん、さん……」
光に包まれるキミリアは、おだやかな微笑みで、首を左右に振る。
「いつか、悔い改めて、女神の御許でいっしょに、ずっと、えいえんに……」
聖女の全てが魔力に変わり、白いドレスだけが床に落ちる。魔力の光は一瞬だけクーシンの頬を撫でて、どこかへと消えていった。
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