第5章 髑髏は魔女に闇を語る

第29話 魔女はサボりを決意する

 王都のノワーズ屋敷の一室は、すっかりクーシンに占拠されていた。何冊もの本やノートが机の上に広げられ、部屋の隅の方には椅子やら家具やらが積み上げられている。さらに別の隅には魔法陣を書いた布が広げられ、禍々しく赤いシミのついた壺が鎮座している。

 そして、クーシン自身は部屋着でソファに寝っ転がってノートを開いていた。


「お嬢、さすがに行儀悪いんで、ちゃんと座ってください」


 入ってきたスイに叱られ、クーシンは上体を起こす。ノックも無しに入ってくるメイドの方もどうかとは思うけど。


「今日の晩飯ですけど、『魔女砂』の挟みパンで良いですよね」

「魚と卵の」


 『魔女砂』は本当は『魔女から砂鮫まで』という名の軽食屋で、この屋敷のすぐ近くだ。持ち帰りもやっているので、最近はほぼ毎日利用している。他の家族がいたら決して出来ないグータラ生活。


「お嬢、頭蓋骨あります?」

「新手の罵倒なの、それ?」


 スイは頭を左右に振って、持っていた手紙を見せてくる。


「昨日、東方領のお屋敷の方に侵入者が入ったそうで。軽くお話聞いてみたら『聖女の頭蓋骨』をとってくるように頼まれたんだってゲロったそうですよ」

「今晩のメニューからの流れでそんな大ごとを言わないで欲しいんだけど」


 クーシンは「軽くお話を聞いてみたら」の様子を想像して肩を震わせる。

 しかし、スイの方はしれっとした顔で続ける。


「そんな大ごとでもないですよ。2、3ヶ月に1人ぐらいは捕まえてますし」

「そういうものなのね」

「まあ、お嬢には普段関係ないので報告してないですけど」


 つまり、今回は関係あるから話してきたということだ。


「多分、コレよねぇ」


 クーシンは机の方に視線をやる。机に散らばる開きっぱなしの本やノートの上に乗った人間の頭蓋骨。クーシンを襲った吸血鬼マリーノの家から持ってきたものだ。


「正直、嘘くさいんだけどなぁ。男の子のなんでしょ?」

「ええ、多分」


 解剖学的特徴から、頭蓋骨を若い男のものだと言ったのはスイの方だ。


「それに、そもそも聖女って、"神に愛されしもの"じゃないの?」


 至聖教の全貌は知らないけれど、そういう風に聞いている。

 そして、"神に愛されしもの"なら、発作が起これば身体は魔力に変わって霧散する。マリーノとの戦いの中で、クーシンもキミリアももう少しでそうなる所だった。


「それは、キミリア様に聞いてください」

「……そうね、そうするわ」


 知らないなら、知っている人に聞けばいい。現役の聖女であるキミリアなら、東方領民のクーシンやスイより聖女の事情に詳しいはずだ。

 会いに行く大義名分を得たクーシンを見て、スイはニヤつく。


「まぁそもそも、本物の聖女のじゃなくても、誰かがそれを『聖女の頭蓋骨』って呼んで欲しがってるのは変わんないですよ」

「誰かって、誰よ?」

「さあ? スパイちゃんは言わなかったらしいんで。多分、元々教えられてもいないんだと思いますよ。ただ、聞き出せた内容からすると、依頼人は西王国の上位貴族か大商人レベルの金持ちだろう、とのことで」


 まとめると、西王国の金持ちが『聖女の頭蓋骨』を狙っているということ以外はよく分からないということだ。

 まぁそりゃ、依頼人もわざわざ自分の身分を示しながら盗みの依頼なんてしないだろうし。


「まだ来るのかしら?」

「その可能性は高いですね。奥様からも、何人も何人も送り込まれても嫌だから、要らないんだったら処分しなさいって」

「うーん。お母様にそう言われると、真面目に考えなきゃね」


 しかし、クーシンとしては今この頭蓋骨を手放したくはない。マリーノがこれを使って何をしていたのかが、まだ分からないからだ。

 マリーノの屋敷で見つけた時は、魔法陣の中の祭壇に壺と並べて置かれていて、銀の粉で書いた線で繋げられていた。

 壺の中は、後で調べたところ、人間の内臓だった。恐らく、殺されていたメイドのものだろう。内臓は死体とまとめて弔ってもらい、空になった壺だけ部屋の隅に置いてある。

 これだけ見ても、邪悪な魔法儀式に使われたことはほぼ間違いない。目的が分からない依頼人には渡せないし、下手に壊すと呪われる可能性もある。


「やっぱり、もうちょっと研究ノート読むしかないなぁ」

「一月もあったのに、まだ読んでないんですか? いつも時間が無い無いって言ってるくせに」


 マリーノを倒して私物を丸ごと没収して持ち込んでから、スイの言う通り丸一ヶ月が経過している。初めは重傷で動けなかったスイも、もうすっかり元通りだ。聖女の治療を三度も受けられたおかげでもあるけれど。


「読めるところから読んでるのよ。魔法使いの研究は暗号化するのが普通だもの。そう簡単に読み解けるものじゃないの」


 マリーノの研究ノートは魔法学院にいたころの物からあり、20冊近い。この数年のものに絞って新しそうな5冊に絞って読んでいるのだが、これが中々難航していた。

 原因は、暗号がコロコロ変えられてること。確かに、同じ暗号を使い続けると読み解かれやすくなるから時々変えるのはクーシンもやっていることだ。しかし、下手すれば2ページも進まないうちに違う暗号になるようでは。本人もまともに読めなかったんじゃなかろうか。


「単に読みたくないだけじゃないんですか?」

「まあ、それもあるけど。面倒くさい暗号を解読して、「パーティーで王太子に声をかけられた。俺の才能を見抜くとは、あのガキは中々見どころがある」とか「メイドがうるさかったので魔法を使って分からせてやった」とか書いてあるだけなのよ」

「あ、不敬罪。王太子殿下をガキ呼ばわりなんて」

「書いてあるのを読み上げただけ。マリーノを訴えるつもりなら、喜んで証言するわ」


 灰になって散ったマリーノを今更訴えても仕方ないけれど、と肩をすくめるクーシン。その手に持ったノートをスイが指さす。


「でも、今読んでるのは普通ですよね?」

「よく見えるわね。これだけ、暗号化してないのよ」


 1番新しいノートの後半だけは普通の文章で書いてあるうえに、高度な魔法の構成がきちんと整理して書かれている。マリーノが多用していた幻覚魔法も、その原型が書いてあった。

 クーシンとしても、この最後の1冊が圧倒的に面白いので、ついついそればっかりを読んでしまう。でも、それももうすぐ終わり。今読んでいるページの後は羊皮紙がまとめて切り取られている。


「このノートだけは、授業されたのをそのままメモした感じなのよね」

「されたんじゃないですか、授業」

「だとすると、かなりの実力者なのよね」


 魔法協会に持ち込んで聞いてみるのもいいかもしれない。このレベルで魔法を教えられるのは、西王国でも片手で数えられるぐらいだろう。それに、この高度な魔法の情報はクーシンだけで持っておくより協会が有効活用する方がいい。


 有効活用、と思ったところでふとクーシンに閃きが走った。


(フェンフー、キミリアは忙しそう?)

(忙しくないよ)


 返ってきた思念には、憮然とした響きが混じっていた。


(どうしたの?)

(洗われてる)

(大人しくね)

(わかってる)


 分かってはいるけど、それでも洗われるのは好きではないらしい。

 ともかく、フェンフーを洗う時間が取れるぐらいには余裕があるらしい。


(見たい?)

(……いらない。これから行くからね)


 思念の会話を終わらせて、クーシンはスイに宣言する。


「大神殿に行くわ。準備して」

「サボりですか?」

「サボるような時間は無いわよ。情報収集と、魔法の実践訓練!」


 大義名分を与えてきたのはスイの方なんだから、しっかり使わせてもらうことにしたクーシンだった。

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