第8話 魔女は聖女を傷つける
大浴場の中は昼だというのに薄暗く、少し熱気がこもっている。
「ん」
キミリアがちょっと喉を鳴らすと、光の玉が現れて浴場の天井近くに飛んでいく。一応魔法だったらしい。
「さすがですね、キミリア様」
ちょっと遅れて入ってきたウルスラがほめた。
明かりの魔法はほとんどの魔法使いが使えるが、ここまで呪文を短縮できるのは"神に愛されし者"だけだ。
「お風呂はどうかなぁ」
大理石で作られた浴槽に少し指をつけ、キミリアが微笑む。適温らしい。
「女神よ、良き湯のお恵みに感謝します」
短く祈りを捧げて、手桶で湯を浴びるキミリア。濡れた湯衣がはりつき、白い肌の色が透ける。
(クーシン?)
(大人しくしてなさい)
何故か疑問の思念を飛ばしてくる使い魔から、手足のコントロールを奪っておく。
「フェンフー様、お湯かけますよぉ」
キミリアの手桶から、フェンフーの頭に湯が注がれる。
(これは、確かにちょっと逃げたくなるわね)
キミリアはかなり気を使っている。
人間からすると、タヌキに急に動かれても手桶に当たらない最低限の高さから、なるべくゆっくり湯を流してはいるのだ。
でも子ダヌキの視点では、湯が滝のごとく注がれるように感じられるわけで。
「くぅん」
フェンフーが情けない声をあげる。
続いてキミリアとウルスラは石けんを泡立て、フェンフーを洗い始める。
聖女に手ずから洗ってもらっているのだ。熱心な信者であれば感激のあまり卒倒してもおかしくはない。
が、ちょっと前まで野生の獣であったフェンフーにそんな信仰心があるわけもなく。
(くすぐったい!)
(あ、こら!)
クーシンがちょっと気を抜いた隙に、フェンフーは手足の自由を取り戻し、暴れはじめる。
「フェンフー様、大人しくしてくださいまし」
ぬるぬるとキミリアの手から逃れ、ウルスラの足の間をすり抜ける。
しかし、そこにウルスラの手が伸びてきたのでクルリとターン。
しゃがんで捕まえようとするキミリアの両手の間でジャンプ。
キミリアのひざ、肩と踏み台にして、しりもちをついたウルスラの頭上を飛び越え、ようとしたのだが。
ウルスラの必死に伸ばした右手がフェンフーの頭をとらえ、引き下ろす。
フェンフーはウルスラの豊かな双丘に着地し、ふくらみの間に挟み込まれた。
その柔らかさに満足したのか、フェンフーも暴れるのを止めた。
「ウルスラのお胸は大きくていいよねぇ」
「いやっ、そのっ、キミリア様もそのうち大きく……」
慌てて言い訳していたウルスラの言葉が途切れる。言ってはいけない言葉を使ってしまったことに気が付いたから。
そのうち、なんてない。
明日生きていないかもしれないのが“神に愛されし者”の宿命なのだから。
「申し訳ありません……」
起き上がるのも忘れ、消え入るような声で謝るウルスラ。
しかし、キミリアは屈託のない笑みを見せ、手を差し伸べる。
「気にすることないわよ、ウルスラ。私、長生きするつもりだもの」
「キミリア様……」
涙を流しながら、キミリアの手を取るウルスラ。仮に女神そのものと対面してもこれほど感動はしないのではないかと思うぐらいだ。
フェンフーの目にも、キミリアの背後から光が指しているように……
(光……、光!?)
「あ、れ? んっ!」
キミリアの濡れた髪が、先端から光になりはじめている。
間違いなく発作だ。
(何ぼやぼやしてんのよ!)
クーシンの心の𠮟咤は、ウルスラに届かない。
失言から一連の流れで混乱しきって、呆然とキミリアを見る事しかできていない。
クーシンはフェンフーの身体を奪い取り、ウルスラの胸から抜け出す。
キミリアの湯衣の前をはだけさせ、前足でひっかく。
(自分をしっかり持ちなさい、キミリア!)
クーシンの知る限り、発作には痛みが一番効果がある。
痛みを軸にして自分の身体を強く意識することで、魔力として拡散するのを止めやすくなるのだ。
フェンフーの爪は確かにキミリアの肌を傷つける。
だが、傷口からは赤い血ではなく、青白い光が漏れだすばかりだ。
(まだ、死にたくないでしょう!)
二度、三度。
白磁のような肌は、光るばかりだ。
(まだここにいなさい、キミリア。いてちょうだい)
六度、七度、八度目にして血の赤が混じった。
血の気が引いていた肌に、ゆっくりと赤みが戻ってくる。
キミリアの細い腕が、フェンフーの身体を抱く。
「キミリア様、申し訳ありません」
ウルスラが起き上がり、フェンフーごとキミリアを抱きあげた。
キミリアの顔を見ると、さすがに顔をしかめている。
傷としては浅いし、生き延びさえすればキミリアでもウルスラでも魔法で治せるはず。
そう分かっていても、白くなめらかな肌に傷をつけたことに罪悪感がある。
「ごめんね」
「いえ、ありがとうございます。クーシンさん……」
それだけ言うと、キミリアはウルスラの腕の中で眠りについた。
(疲れた。後は任せるわ)
フェンフーにそう伝えて、感覚共有を切る。
クーシンとしての身体を動かしてはいないし、魔力にもまだまだ余裕はある。
しかし、心はすっかり疲れ切っていた。
流石に顔に出ていたのだろう。クーシンが目を開けると、スイが不安げな顔でのぞき込んでいるのが見えた。
「大丈夫っすか?」
「ん、多分ね」
答えながら、髪の先端を確認する。
いつも通りの、黒いちょっと硬めの毛先だ。発作は起こっていない。
「ちょっと疲れたから、昼寝するわ。あと、丈夫なロープを用意しておいて」
「ロープっすか。わかりました」
スイを残して寝室に戻りながら、クーシンはさっき起こったことを思い返していた。
キミリアもクーシンも、やはり同じ。
いつ、魔力になって消えてしまってもおかしくない。
「あたしたちには、時間が無いのよ」
寝室にたどり着き、ベッドに身を横たえる。
キミリアも今頃、自分のベッドに寝かされている頃だろう。
(……あれ?)
目を閉じたところでふと、キミリアの最後の言葉を思い出した。
(なんでキミリアは、あたしにお礼を言ったの? フェンフーでなく、あたしに)
答えを見つける前に、クーシンの意識も眠りに落ちた。
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魔女クーシンも聖女キミリアも、なんとか今回の発作を乗り越えることができました。
しかし、病の脅威が去ったわけではありません。
生き残ったことを宿命と信じ、クーシンのいる東方領を訪れることを決意するキミリア。
しかし聖女と王太子の結婚をもくろむ王家もそれに乗ってきます。
そして、さらにクーシンへの接触を図る妖しい影が……。
引き続き、
『第3章 聖女、東へゆく』
をお楽しみいただけたらと思います。
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今後の執筆の励みとなります。
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