変わった幼なじみ

 ゆっくりと瞼が上がる。

 徐々に鮮明になっていく視界、映る中には白い天井が広がっていた。

 何故自分はこんなところに? そんな疑問を抱きながらイレイナはゆっくりと体を起こす。

 その最中、頭に少しだけ響くような痛みを感じてしまった。それによって、己がどうして寝ていたのか理解させられる。


(あぁ、私は止められなかったのね)


 となればここは医務室か。

 恐らく、誰かが自分のことを見つけて運んでくれたのだろう。

 そう思っていた時———


「お? やっと起きたか、寝坊助さん」


 自分が横たわるベットの隣。

 小さな丸椅子に腰を掛けて本を読んでいたアルバが己に視線を向けてきた。


「アルバ……」

「往来で寝るとか、どんだけ勇気あるんだよ? できればキャンプ地で寝とけ、見つけた側は白雪姫を見つけた王子の気分になっちゃうからな」


 ようやく現状を理解したイレイナに対して、アルバはからかうような笑みを浮かべる。

 緊張感もなく、己の心情とは別の反応。呑気、それ以外の言葉が見つからなかった。

 しかし、それも一瞬のこと。


「んで、何があった?」


 すぐさまアルバは真面目な顔つきでイレイナの瞳を覗き込む。

 冷静に考えて、あんな廊下で気を失うように倒れていて何もなかったわけがない。

 ミナを捜していた最中に己が見つけた時は正直驚いた。誰にやられたのかと、気にならないわけがない。

 学園の生徒か? もしかして、喧嘩でもしていたのか? いや、同学年の生徒が才女とも呼ばれる剣の天才に勝てるとは思わない。

 ベッドの傍には剣が置かれてある。これはイレイナが倒れていた場所にあったもので、いつも身に着けていたものだ。

 つまりは、剣を持ったイレイナに勝ってしまうほどの実力を持った者と相対して敗れた。教師か? それとも部外者か? だが、部外者が警備のある学園に騒ぎにならず侵入できるとは考え難い―――


よ」

「は?」

「私はミナにやられたの」


 一瞬、頭が真っ白になる。

 あんな優しい子が? いや、ないだろ普通。ないない。あり得るわけがない。第一、ミナは普通の生徒でイレイナに勝てるわけがないだろ。

 なんの冗談か。アルバは冗談を言ってきたイレイナに小さく噴き出した。


「…………」


 でも、真っ直ぐ向けられた瞳は嘘を言っているようには思えなくて。

 アルバは大きなため息をついて頭を抱え始めた。


「……理由は? 単に喧嘩したってわけじゃねぇだろ?」

「聖女が目的だったそうよ。んで、まんまとやられたってわけ」


 ピクリ、と。アルバの眉が動いた。

 今の発言から色々と察せることがある。きっと、イレイナは連れ去ろうとされたシェリアを守るためにミナと戦って敗北。そして、シェリアが連れ去られてしまった。

 そういえば、イレイナが倒れているというのにシェリアの姿が見受けられない。

 ミナを捜し回って校舎のあちこちにいたアルバとは違って、何も用事がないシェリアは自分を待つために一学年のフロアにいたはず。

 一学年のフロアで倒れていたイレイナに気がつかないわけがない。


(今の話が本当だとして、どうしてミナが? っていうか、これはシェリアのルートに入ったってことか?)


 聖女である攻略対象ヒロインのルートはカルト集団に拉致されるところから始まる。

 そこへ主人公が助けに向かい、救い出すことで大きく好感度が動くものだ。

 ストーリーが未だに進んでいるのなら、今起こっているのは間違いなくイベントの一種。

 問題は入学してまだ日が浅いこのタイミングで誘拐されていたか、というもの。

 本当に日が浅い場所であれば、アルバはこんなに落ち着いた日常は送っていなかっただろう。少なくとも、何かしらの警戒心は持っていたはず。関わらなければルートに入らないと思っていたとしても。

 それともう一つは―――


(なんでミナが誘拐側なんだよ。あいつは作中で名前もなかったモブだろ?)


 疑問が疑問を呼ぶ。

 しかし、本人も製作者もいない場所でいくら考えたところで答えなど出るわけもなし。

 アルバは大きく息を吐いてゆっくりと腰を上げた。


「どこ行くの?」

「あ? 決まってんだろ———」


 イレイナはふとアルバの顔に目がいった。

 そこには額に青筋を浮かべ、明らかに怒気を滲ませている表情が見える。



「シェリアを助けに行く。悠長に大人なんか待つわけねぇだろうが」



 あぁ、やっぱり。イレイナは少し涙が出そうになった。

 ミナと相対した時に思ったことがある……アルバならどうしていただろう、と。

 問に対する答えは一切の迷いなく助けに向かう。それは相手がミナだろうと関係ないと言わんばかりの表情を見てよく分かった。

 きっと、己と同じ状況に立っていてもシェリアのために迷いなくミナに拳を叩き込めただろう。


(……ほんと、昔のアルバはどこにいったのよ)


 幸か不幸か。間違いなくアルバはシェリアにとってのヒーローとなり得るだろう。

 しかし、ヒーローになるということはミナに拳を振るわないといけないことでもある。


「(俺に接触したのはシェリアに近づくためか? となると、俺の行動が敵を生んだのか? あの優しい感じも騙すためのブラフ……いや、でも本当にそうか? あそこに嘘があったならシェリアが気づくはずだし、それにミナの苦しそうな態度にも違和感が……)」


 アルバが窓に向かいながらブツブツと呟く。

 その時、イレイナは反射的にアルバの袖を掴んだ。


「あ? なんだ、イレイナ? 今更大人に任せろって言いたいわけじゃ―――」

「ミナも……」

「ん?」


 捕まれたことに首を傾げるアルバ。

 そんな彼に向かって、イレイナは小さく言葉を絞り出した。





 何を言っているんだ、とは言わない。

 今の言葉と、今の縋るような顔を浮かべるイレイナを見て、アルバは色々と察してしまった。

 だから、アルバは優しい笑みを浮かべて体を起こしたイレイナの頭を撫でる。

 妙な温かさと不安を取り除くかのような頼もしさが、手のひらを通して伝わってきた。


「任せろ。助けたやつに対しての責任は、俺がしっかり取る」


 ……ほんと、変わったわね。

 昔のアルバであったら、絶対にこんなことは言わない。

 こんなに優しい顔を浮かべることも、安心させてくれる手も、誰かに対して一生懸命になることもない。

 だからこそ、イレイナは唐突に瞳から涙が零れてきてしまった。


(もっと早く変わりなさいよ、馬鹿……)


 シーツが握り締めたことによって皺になる。

 だが、そんなのどうでもいい。この感情を堪えるための道具として機能してくれれば。

 そんな時———


「あの、アルくんいますか……って、いたぁ!!!」


 勢いよく医務室の扉が開かれる。

 そこから姿を現したのは、息を荒らしてアルバを指差すアリスの姿であった。

 いきなりどうした? アルバは眉を顰めるが、そんなアルバを無視してアリスは駆け寄ってくる。


「今ね、ユリスくんが聖女様を追ってるの! 魔獣に連れ去られてたんだけどね、ユリスくんが見失わないようにって! アルくん捜して伝えろって! ここに通信魔道具あるから!」


 正に渡りに船。

 どこに行ったかも分からないシェリアを広大な王都で捜し回ろうとしていたのだが、アリスの発言はありがたいこの上なかった。


(ストーリーなんか関係あるか)


 もう死亡フラグなど知ったことではない。

 悪役アルバがどんな行動をしなければいけないのかも、本来主人公が行うべきものに関わってもいいものかなど、もうすこぶるどうでもいい。

 己の親しい人が今正に危険な目に遭って助けを求めているのであれば、この世界がゲームだということも酷くどうでもいい。


 今、現在進行形でシェリアが攫われているのであれば。


「アリス」


 だから、アルバは目の前に現れた攻略対象ヒロインに向かって口を開いた。


「教えてくれ、今シェリアはどこにいる?」


 悪役ヒーロー攻略対象ヒロイン攻略対象ヒロイン外を助けに向かう。

 助けた者に対しての責任を果たすために。

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