偽物のヒーロー
シェリアは一人、叫びだしたい声を必死に堪えていた。
肌を焼くような熱気が眼前で起こっているというのもある。
しかし、それよりももっと声を上げたいことが―――
(ユリスさん……ッ!)
なんで、どうして? そんな疑問が頭を埋め尽くしている。
タイミングよく現れたことから、恐らくユリスは機を窺っていたのだろうということは分かっていた。
しかし、だったらどうして現れたのか? 多勢に無勢だということなど火を見るよりも明らかだったというのに。
それに、狂気じみた笑みを浮かべて強力な魔法を放つヨルを見ても一歩も退かない、退こうとしない。
と疑問に思っているものの、己を助けに来てくれたのだということは分かっている。
だからこそ、優しい胸の内にはユリスの身を案じる言葉が出かかっていた。
壁に叩きつけられたユリスへ、今すぐにでも駆け出したい衝動に駆られる。
(けど、今がチャンスです……ッ!)
一薙ぎの風刃よ、と。シェリアは小さな声で魔法の詠唱を行う。
恩恵が聖女の特権だとしても、魔法が決して使えないわけではない。山の中で、アルバに教わった魔法がようやく生きる。
シェリアは己を縛っているロープを破ると、立ち上がって一目散にミナの妹の下へと向かった。
(戦う術を持っているユリスさんよりも、優先すべきはミナさんの妹さん!)
ミナの妹さえ助けられれば、あとは己とユリスのことしか考えなくても済む。
加えて、このままあんな放置された状態でいれば、いつ巻き添えを食らってしまうか分からない。
平気で味方をも殺してしまうような人間だ。いくらミナの人質でも、残虐に無慈悲に殺してしまえるだろう。
故に、目下ユリスの心配よりもミナの身の安全。
幸いにしてヨルはユリスへ意識が向いているため、自分には気がつかな―――
「おいおい、どこに行くというんだい?」
ガッ、と。自分の首が勢いよく掴まれる。
先程まで視線を向けていなかったというのに、気づいた上に一瞬で自分の前へと現れた。
「ぐっ……!」
「君はデザートなんだ。どこぞのガキを助ける……なんて無粋な真似はしないでもらおうか?」
身体強化の魔法を使っているからか、シェリアは首を掴まれた状態で持ち上げられる。
息苦しく、呼吸もでき難い。手を必死に掴んでいないと己の体重と握力で首が千切れてしまうのではないかと思うほど、痛い。
「聖女様ッ!」
ユリスが壁から抜け出して勢いよくヨルに向かって駆け出す。
身体強化をしたユリスの体はすぐにヨルとシェリアの間へと立ち、腕に向かって剣を振り下ろそうとした。
しかし、またしてもユリスの鳩尾に蹴りが入る。
「ッ!?」
「邪魔をするな、メインディッシュ。味が落ちるだろう?」
「ユリス、さん……」
シェリアは横目で、ユリスの吹き飛んだ先を見る。
土煙が上がって壁は破壊されたものの、ユリスの体は無事のようだった。
しかし、二度も食らったからか……起き上がろうとしても力が入らず、膝をついては起き上がりを繰り返していた。
満身創痍。シェリアの心に心配と罪悪感が生まれる。
「ふむ、彼はメインディッシュではなかったのかな? どうも戦いがいがないというかなんというか……まぁ、所詮は学生か。期待したボクが悪かったと考えよう」
視線が、ユリスではなくシェリアへ再び向けられる。
「あな、た……は」
「ん?」
「なんとも、思わな、い……のです、かッ!」
この惨状を引き起こしておいて、仲間をも殺しておいて、か弱い女の子を拉致して利用して。
人の心というのを、彼女は持ち合わせていないのだろうか?
神を恨む慕う云々など関係ない。一人の人間として、どうかしている。
シェリアは人生で初めて浮かべるような憤りの籠った瞳をヨルへ向けた。
それを受けてもなお、ヨルは笑ってみせる。
「君は、老衰で死んでいった相手に「なんで死んだんですか?」と言うのかい?」
「……ぁ?」
「人はいつか死ぬもんさ、仕方ないんだ。神がいたなら、きっと彼らは死ななかっただろう。ボクの手で死んでしまったということは、そういうことだ。これは一種の君達の信じる神の不在証明だよ。いや、偶像の証明、かな? クソッタレな神しかいない証左さ」
イカレている、と。シェリアは思わずにいられなかった。
目の前にいる女性の澄み切った瞳の奥が、酷く濁っているように見えて。
苦しい呼吸が、憤怒と不気味さで余計に辛いものへとなっていく。
「それより、君は自分の心配でもした方がいいのではないかい?」
ヨルは更に腕を持ち上げる。
「君はボクが殺す。しかし、人とは生存本能が働くものだ。自殺願望がある人間が途中で躊躇してしまうように、「自分をかなぐり捨てでも助けたい」と思っていても心底では「生きたい」という願望が湧く」
「……カ、ぁ」
「当然、死の間際になれば余計に強くなる。君も死にたくは、ないだろう? ならば、己のことでも考えるのが普通ではないのかい?」
確かにミナの妹は助けたいが、死にたくないと思っているのは事実。
頭ではしっかりと優先順位こそ設けられているものの、己の身が繰り上がることだってあるだろう。
シェリアも、それは同じ。
いくら誰かに手を差し伸べることを躊躇しない優しさがあったとしても、死の淵に立たされれば「生きたい」、「死にたくない」と思う。
だが、今のシェリアに恐怖心は───ない。
「……私は、死なない……ですもん」
死なないと思っているからこそ、恐怖心は湧かない。
「ん? それはこの状況をしっかり受け入れた前提で口にしているのかな?」
「……もちろ、んです」
ヨルは知らないだろう。己がどうしてこの場面でも死なないと思っているかを。
ヨルは知らないだろう。己がどうしてこの場面で笑っていられるのかを。
ヨルはしらないだろう。己がどれだけ彼のことを想っているのかを。
今の自分の発言には根拠も確信も確証もないことは分かっている。
それでも、自分は予め答案用紙をもらっているかのように分かっているのだ。
「……馬鹿、ですね」
来てくれる、絶対に来てくれる。
そんなことも分からないヨルが、あまりにも阿呆に思えてきた。
「私の、お慕いしている……彼、は……」
シェリアの中で、彼はヒーローだ。
助けに来てくれたユリスも、充分ヒーローだ。
けれど、彼は自分にとって初めての人であり、ずっと傍で自分を安心させ続けてくれた。
優しい笑みを向けてくれて、温かい手で頭を撫でてくれて、いつも傍にいてくれる。
そして、最後にはこう言うのだ―――
「助けた責任、は……取る……」
掠れゆく意識の中に浮かぶのは、そんなことを言ってくれる一人の少年の姿。
その人は自分にとって、
「
シェリアは苦しい中で、しっかりと笑みを浮かべた。
何一つとして言っていることに理解ができないヨルは、小さく首を傾げる。
「はて? 君は一体誰のことを―――」
その時だった、
「おい、俺の大切なやつから手を離せよ、身の程知らずが」
青白い光が視界に入り、自分の体が吹き飛ばされてしまったのは。
「ぁ?」
ヨルの体がピンポン玉のように何度もバウンドする。
ユリスにしたように、自分の体が障害物などお構いなしに壁へと叩きつけられた。
その反動で、シェリアの首から手が離される。
「げほっ、げほっ!」
少しばかりの浮遊感が襲い、その間で気道を確保できた体が咳込み始めた。
しかし、その最中……逞しくも温かい感触が己の全身を包み込んだ。
(あぁ、やっぱり)
涙で潤んだ瞳が、ようやく姿を捉える。
己を見下ろすかのように向けられた表情。かっこよくて、安心できる……そんな顔。
シェリアはそんな姿を見て、思わず抱き着いてしまった。
「アルっ!」
「ごめんな、遅くなって。助けに来たよ」
その少年は、青白い光を纏ったまま助ける女の子の前へと現れた。
まるで、絵本から飛び出してきた王子様のように。
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