異端者
イレイナ自身、よくこの状況が理解できなかった。
今に至ったのはアルバを捜しに廊下の角を曲がり、たまたまシェリア達を見つけてしまっただけ。
しかし、その場にいたミナが明らかにシェリアへ殺気を向けていたのだ。
王国を支える騎士団長である父親が、悪党や魔獣を相手にする時に見せる異質な空気と同じ。
肌にひりつくような、粘りこくも冷たいような、そんなもの。
だからこそ、咄嗟に距離を詰めて振り上げていたミナの腕を蹴り上げた。
流石は才女と呼ばれる天才だからだろうか、その一瞬の切り替えは流石としか言いようがない。
しかし───殺意には気がついても、再三言う通り状況だけは理解できなかった。
「……シェリア、これ一体どういう状況?」
「わ、私にも……!」
流石のシェリアも、剣呑になり始めた空気を見てどういうことが薄々勘づき始めただろう。
目の前に剣を構えて立ちはだかるイレイナ。そして、ゆっくりと起き上がる───赤い瞳をした
「……やっぱり、突発的にするもんじゃないね。ちゃんと計画だけは考えていたのに、こんな時にだけ勇気が出ちゃう」
先程まであのような赤い瞳だっただろうか? 雰囲気も、姉のような包容力と明るさが消えて鋭く不気味に感じる。
心なしか、どこか今まで見てきた獣と姿が重なって見えた。
「弁明、聞かせてもらえるかしら? たとえミナが友人だったとしても、今の殺意を見逃すわけにはいかないわ」
剣を構え、イレイナは冷たくミナを見据える。
一方で、ミナは冷たい双眸を向けられても小さく息を吐くだけであった。
「……隠す気もないよ、謝る気もない。殺す気はなかったけどね」
「えっ?」
「聖女シェリア。私は、その子を連れて行く。それが目的であって、それ以上はない」
「…………ぁ」
そういうことか、と。シェリアはようやくにしてこの現状を理解する。
先程の問答になんの意味があったのか。そして、何に対して謝罪を向け、何を想ってあんなに悲しそうな顔をしていたのか。
(目的が大事な人で、天秤に乗せなきゃいけない犠牲が私だったんですね)
具体的にどうして自分なのかは分からない。
ただ、感じ取れるのは───聖女である己を連れ去る必要があり、それを成し遂げると大事な人を守れるといったところか。
聖女を狙う人間は本当に多い。世界に影響を与える最大宗教の象徴ともなれば、多くの人間の欲を刺激する。
更には、魔法ですら手の届かない神からの恩恵はどんな人間でも手にしたい規格外の力だ。
政治、権力、富、名声。今までそれだけの理由でどれだけ己の命が狙われてきたことだろうか?
今回も、きっとその一つ。
ただ違うのは───
「……ミナさん」
「本当にごめんね、シェリアちゃん。私にはやっぱり妹は見捨てられないよ」
相手は友人で、友人は家族を守ろうとしているのだ。
だからこそ、何も言えない。
シェリアはイレイナに庇われた状態のまま、押し黙った。
「ねぇ、騎士団に相談とかしてみたの? こんな方法よりも、もっと最善策があるはずよ。それに、こんなことを知ったらルピカー男爵が───」
「いないよ」
「え?」
「私のお父さんとお母さんは……学園へ入る前
その発言に、聞いたイレイナだけでなくシェリアも驚いてしまう。
両親が死んだ。それも、つい最近のこと。
公爵家の令嬢で、それなりに社会の話は耳にするようにしていたはずなのに知らなかったということは、本当につい最近のことだろう。
嘘をつく理由もこの段階では見当たらない。
なんて声をかければいいのか、イレイナは一瞬だけ迷った。
「だから、私には妹しかいないんだ。そのためだったら───」
ミナは揺れる冷たい瞳をイレイナとシェリアに向けた。
そこにはもう、あの時同じ食卓を囲んだ優しい少女の姿は見えない。どう目を凝らしても、仲良くなった少女と姿が重ならなかった。
「私は畜生に堕ちるよ。許せなんか、絶対に言わない」
重ならなかったのは雰囲気だけ───ではない。
瞳が更に赤く染まり、背中からは制服を突き破って赤黒い翼が生える。
桜色の唇からは少し伸びた犬歯が主張を始め、両手の爪が鋭利に尖っていった。
可愛らしい少女の姿はどこに行ったのか? 今となっては───
「魔獣……ッ!?」
「教会風に言ったら『異端者』だよ。こう見えても私、シェリアちゃん達教会が最も嫌う魔獣と人間のハーフなんだ」
言葉通り、この世の常識を無視した存在。
人に仇をなし、害と不幸しか運ばず、理性を持たない魔獣と人間との間に生まれてしまった子供。
極々稀な現象ではあるが、決してあり得ない話ではない。
たとえば、森に捨てられた女が野性的な生物の苗床にされてしまったり、など。
「だから、私は本当のルピカー男爵家の子供じゃない……って、今はそんな話はどうでもいいよね。こんな話聞いても許してもらえるはずなんてないんだし」
異形の姿となったミナはゆっくり歩く。
それを受け、余計にも騎士の家系に生まれた令嬢の緊張感が高まった。
「あなたにどんな事情があるか詳しく分からないけど……騎士団に助けを求めるっていう選択もあったんじゃない? それこそ、
「無理、だよイレイナちゃん。喉元に剣を突き付けられた人を助けるのに、あなたは相手を怒らせて悠長に手を差し伸べられるのを待つの?」
「…………」
「それに、こんな私じゃ……優しいアルくんでも、助けてなんてくれないよ」
「……そう」
ふぅ、と。イレイナは大きく息を整えた。
そして、後ろにいるシェリアへそっと呟く。
「……逃げなさい」
「で、ですが私は───」
「
「………………」
シェリアは一瞬だけ逡巡する。
捕まってどうなるかなんて分からない。ただ、犠牲と呼んでいる以上平和な扱いは受けられないだろう。
それでも優しいシェリアの心には会ったことのないミナの妹の姿が浮かんだ。
迷い、迷わされ───少しの時間で決断する。
ミナが大事な選択をしたのと同じで、己のできる選択を。
「……アルバを、呼んできます」
恐らく、この行動は矛盾なのかもしれない。
ミナの選択を尊重すると言ったのにも関わらず、選択を否定するような行動を取ってしまった。
望むなら、自分の身柄一つで誰かを助けられるとすれば、この身を差し出したいと思っている。
しかし、この身が己だけのものではないと知らされていた───今まで自分のために散っていった人間と、助けてくれた
だから、シェリアは振り返りそのまま走り出した。
この場に残されたのは、才女と呼ばれた令嬢と異端者のみ。
「私、こう見えてもかなり強いわよ?」
「……うん、知ってる。社交界にいてあなたのことを知らない人なんていないよ」
ゆっくりと、イレイナもまた足を進める。
「あとはね、私……こう見えても、あなたのことはかなり好きよ」
「……嬉しいなぁ」
ミナは小さく笑った。
その頬に、一筋の涙を流して。
「私は、私のことが大嫌いだよ」
そして、二人は狭い廊下の中で一斉に地を駆けた。
───ストーリーでは、こんなことは起こらなかった。
シェリアは瞳に涙を浮かべながら背中を向けて走り出さず。
イレイナは最近できた友人に剣など向けず。
ミナは、本作では
それもこれも、全て誰もが嫌う悪役がいないからなのかもしれない。
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