第3話
痴漢の死に関心をなくした野次馬たちが去っていく。いつのまにか、あのロリ顔の女子高校生の姿も消えていた。
大無が自分のスマホをタップした。開いたアプリ〝シヴァ・日本語版〟の被制裁者リストにひとつだけ名前があった。
「彼が、国内で初めての被害者だ」
「でも、どうやって悪徳ポイントが彼に送り付けられたの?……乗客たちは、彼の名前もIDも知らないはずよ」
沙也加は、省内でも答えの出なかった疑問をぶつけた。
「生体認証か顔認証か知らないが、個人の特定は全部AIがやってくれるのさ。法の適用もそうだ。刑法、民法、労働法……。あらゆる国内法をシヴァは学んでいるだろう。……僕たちは写真を撮り、送りつけるだけでいい。……殺し合いゲームが始まったんだ。水卜さんも気をつけてよ。どこで誰に写真を撮られているかわからないから」
彼は言葉を残して背中を向けた。
駆けつけた救急隊が物体と化した壇多怜治をタンカに乗せていく。沙也加はその様子を呆然と見ていたが、目の前で起きた事実を、いや、シヴァが利用できる状態にあることを上司に報告しなければならないことに気づいた。マイナンバーチップと国民のデータを管理するシステムは総務省の管轄だ。もし、シヴァにそれが利用されて人が死んだのだとしたら一大事だ。……慌てて乗り換え口に向かった。
地下鉄に乗り換えてから、「……水卜さんも気をつけてよ」と大無が言ったのを思い出し、シヴァを開いた。
メニューは〝通報〟〝検索〟〝被制裁者リスト〟〝登録者情報〟〝システム〟の5項目とシンプルだ。登録者情報のタグを選ぶとプロフィールと顔写真が表示された。
いつのまに?……写真には見覚えがあった。マイナンバーチップに登録されているものだ。ID番号もマイナンバーチップのものに間違いない。シヴァとマイナンバーチップのデータが紐づけられたのだろう。
「まさか……」
思わず声がもれた。驚くべきことは自分の名前が勝手に登録されていることだけではなかった。すでに悪徳ポイントが12ポイントになっていた。それが1万ポイントに達したら、壇多怜治のように死ぬかもしれない。ギュッと胸が痛んだ。
12ポイント。それがどうして付与されたのか、確認するのは簡単だった。そのページの最後に〝告発記録〟というボタンがある。それをタップすると写真や動画が、新しいものから順番に表示された。
最初の写真は、たった今、倒れた痴漢を傍観している写真だった。
【要救助者を前に傍観する女】
それが、写真につけられたコメントであり〝悪徳〟だった。その非道徳的行為に対する悪徳ポイントは1ポイント。
似たような写真が三つ並んでいて、夫々に悪徳ポイントがついていた。告発者に関する情報はなく、誰が撮影したものかは、わからない。
罪はひとつでも、告発者が多いほど、悪徳ポイントが累積するらしい。それで、壇多怜治が命を失う結果になったのだろう。おそらく、彼を撮影した人は100を下らない。……考えながら自分の罪をさかのぼってみた。
傍観者の写真の前は、昨日の深夜のものだった。帰宅時、人気のない歩行者信号を無視して横断する自分の姿があった。【信号無視】とコメントがある。悪徳ポイントは3ポイント。
アチャー、誰かに見られていたんだ。……その時は、皆がしていることだと思って
そこで疑問にぶつかった。AIが法律を学び、解釈するのは簡単なことだろう。しかし、傍観者といった不道徳な行為を、それも人によって解釈が違いそうなものだけれど、シヴァはどうやって学んだのだろう? これは油断ならないわ。……自分を戒めながら次の写真に移る。
それを見た時には目をむいた。昨日の出勤前、妹からファッション雑誌を借りた時の横顔があった。それには【窃盗デス】というコメント。悪徳ポイントは3ポイント。シヴァは沙也加の行為を窃盗と認めたのだ。
どういうこと、借りただけじゃない! 確かに強引だったけど。……カバンを持つ手に力が入った。その中に、まだファッション雑誌がはいったままだった。
撮影者は妹の
全ての写真をチェックした。傍観者と信号無視以外は妹が告発したもので、最初の写真は三日前のものだった。その頃、未悠がシヴァを使い始めたようだ。
ん?……不思議なことに気づいた。写真の一つ一つについた悪徳ポイントを合計すると15ポイントになる。なのに、プロフィールに表示される悪徳ポイントは12ポイント。何故?
ざわざわと地下鉄の乗客が動き出す。突然音が耳に入った。『……霞が関』慌てて人波に乗ってホームに降りた。
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