第30話

 最上階のスターダストの出入り口付近を映すカメラは、壁際にたたずむテロリストたちを映した。彼らは湯田大臣が出てくるのを待っているのだ。


「ひまなのか!」


 浅野はモニターに向かってつっこみを入れた。


 テロリストたちを嘲笑あざわらい、店内のカメラに切り替える。


 シックな装いの店内、……ゆったりと配置されたテーブル。……一番奥まった人目のつかない場所には湯田1人。……SPは背後で警戒している。……テーブルの上には美しく盛り付けられた料理があって、彼はワイングラスを傾けていた。


「飲みてえぇ」


 浅野は大声を上げた。


 カメラを右に振る。……窓際の席にはかつての片思いの相手ひと、鈴美似の女性のいるグループがいて、食事とおしゃべりを楽しんでいる。


 多くの客が外国人で、彼らは優雅にディナーを楽しんでいた。その様子は日本人のビジネスマンの食事風景とは全く異なって見えた。どことなく、ハリウッド映画のワンシーンを連想させる。


「それを毎日見せられる俺の身にもなって見ろ」


 彼らに嫉妬を覚えた。その時、彼は神ではなかった。腹いせに、鈴美に似た女性の胸元にカメラを向けてズームする。……ところが突然、彼女が立ち上がってフレームアウト。


 胸元を覗いたのがわかったのか? そんなはずあるか!……浅野は一瞬、固まった。


 モニターに映るのは空席。


 偶然だ。知られているはずがない。……浅野は隣の席にカメラを向ける。水色のドレスの女性。


「だめだ」


 次の女性へ。


「だめだ。やせすぎだ」


 神は妥協を嫌った。


「やっぱりあの女が一番いい」


 見失ったものを追うのに飽きて、いや、それをみじめに感じてカメラを店外に切り替えた。


 エレベーター、居酒屋、カフェ……。10分ほど彼は彷徨さまよった。どこにも事件はなかったし、鈴美似の女性を超える美女もいなかった。


 行きつくところはスターダスト。……湯田大臣をはじめ客の顔ぶれは変っていない。鈴美似の女性の席も空いたままだった。他の3人はいるので、帰ったわけではないだろう。


 金髪の外国人男性が影のように横切った。


 あいつは湯田の席に向かうのではないか?……予感がして彼を追う。


 外国人は湯田の席には向かわず、女性用の化粧室にふらふらと入った。


「馬鹿野郎。そっちは女子トイレだ」


 モニターに向かって注意する。BGM用のスピーカーを使って警告することもできるが躊躇ためらった。見た目だけでは性別が判別できないご時世だ。


 化粧室のカメラに切り替える。そこに、鈴美似の女性がいて化粧を直していた。


「おやおや。こんなところに、いたのか……」


 金髪の外国人は慌てて出ていくと思ったが、予想は外れた。その頭頂部に黄色の警告マークを携え、彼は慌てるどころか女性の隣に並んで声を掛けた。肩に手を置き、口説きはじめる。


 彼は、彼女を包むように腕を回した。……驚く彼女。それにかまわず、彼は覆いかぶさるようにしてキスをする。


 2人の顔が離れる。彼は呆然ぼうぜんとする彼女を持ち上げて洗面化粧台に乗せた。驚いた彼女の足がじたばたして太腿があらわわになる。


「なんてやつだ」


 浅野はマイクのスイッチを入れた。しかし、化粧室のスピーカから警告するつもりはなかった。化粧室の様子はもう少し楽しみたい。できることなら彼と交代したい、とさえ考えた。


「井上、聞こえるか」


 巡回している若者を無線で呼んだ。


『はい、どうかしましたか?』


 その声は浅野をいらだたせるほど、のんびりしていた。


「今、どこだ?」


『3階のショッピングフロアです』


「緊急事態だ、スターダストの女子トイレに向かえ」


『何かあったんですか?』


「金髪の外国人が、強制わいせつ中だ。急げ」


『了解』


 外国人は彼女の両足の間に身体を押し込み、唇を求めていた。片手はスカートの中に消えている。


 女性は首を振って外国人の執拗しつようなまでのキスから逃れようとしていたが、ほどなく抵抗しなくなった。


「淫乱かよ!」


 浅野は腹が立って机をたたいた。彼女があまりにも易々と身を任せたからだ。


「井上、どこにいる?」


『いま非常階段、22階です』


 ハァハァハァ、……井上の上がった呼吸が伝わってくる。


「どうしてエレベーターを使わない?」


『なかなか降りてこなかったんですよ』


「もういい」


『どうしたんですか?』


「全部終わったよ」


『はぁ?』


 モニターの中では、女性が外国人から現金を受け取る所だった。


早漏そうろうか……」


 画面隅の時刻を見ると、外国人が洗面所に侵入してから10分ほどしかたっていない。


 彼が監視カメラに向かって中指を立てた。まるで浅野が見ていることを知っているようだった。


早漏そうろう野郎、日本人をなめるな」


 それは、浅野が思いつく、精一杯の悪態あくたいだった。


 机を蹴飛ばした浅野は、室内を動物園の熊のようにぐるぐると歩いた。5周ほど回ってからモニターの前に戻った。


 金髪の外国人は、自分の席で友人と何やら楽しそうに話している。


「俺やっちゃったぜ、なんて話しているんだろう」


 浅野はモニターに声をぶつけた。


 外国人の背後を身だしなみを整えた鈴美似の彼女が通り過ぎ、仲間たちの席についた。


「悪いやつだ……」


 浅野は仲間に笑いかける彼女に言った。


 その言葉に促されたように、金髪の外国人が立ち上がった。女性たちの席に近づくと、友人の方を指さしながら話す。明らかにナンパだ。


「馬鹿野郎」


 浅野はモニターに向かってつぶやく。もう、大きな声を上げる気力はなかった。


 2人の外国人と4人の女性が席を立つ。レジ前に立ったのはあの外国人。6人分の支払いをしているように見えた。


 レジに向いた防犯カメラは、クレジットカードを鮮明に映している。


「プラチナカードかぁ」


 それに舌をまき、カメラをズームしてカードの名義を記録した。


 彼らがレストランを出る。


 外のカメラには井上の姿が映っていた。律儀にやって来たのだ。スマホを手にたむろするテロリストの姿もあった。


 全方位を同時に見ることのできるカメラは、井上の顔を丸く間抜けなものにしていた。


『あの外国人ですよね?』


 井上が小さな身振りで金髪の外国人を指していた。


「言っただろう。女の気持ちは買われちまった。テイクアウトだ。現金は偉大だぞ」


『エッ?』


 マイクのスイッチを切って井上のまぬけづらを笑った。


 外国人たちがエレベーターに乗ると、井上とテロリストだけがそこに残った。


 翌日、ホテルの25階の部屋で、金髪の外国人と美女の全裸遺体が発見された。死因は2人ともに心筋梗塞。


 シヴァに残された2人の最新の写真のほとんどは、防犯カメラ映像から切り取られたものだった。化粧室でわいせつ行為に及ぶ様子と、その後、女性が現金を受け取る場面だ。それがSNSに拡散し、シヴァへ告発されたのだ。【レイプを許すな】【売春は犯罪】【獣か? 人間倫理違反】【反日女、恥を知れ】自由気ままなコメントが数百も並んでいた。


 警察は2人の死因を病死とした。


 その事件をきっかけに、人々は街中に設置されている防犯カメラの映像が容易たやすく流出することを理解して不安を覚えた。


 一部の市民は、防犯カメラを設置している建物の写真を載せて、所有者を【プライバシーの侵害】として告発した。それが正義感からの行動か、憤りか、恐怖からのものか、誰にもわからない。


 ただ、わかることがある。HANAシティビルのオーナーの命のともしびが消えた。

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