第29話

 浅野幸四郎はコーヒーを飲みながら監視カメラのモニターを見ていた。天上界から下々の暮らしぶりを見ている気分だった。


 各階のフロアにある化粧室の映像を30階、29階と切り替えながら、自分が歩いているような感覚で下の階に向かう。人目の少ない化粧室やトイレ、非常階段は犯罪の温床なのだ。AIに指摘されるまでもなく、神たる自分は犯罪者を告発し、死の淵に追いやることができる。シヴァを握る浅野には確信があった。


 11階、10階、7階。……彼は神の視点で愚民の化粧室を監視する。


「マッタク……」


 9階と8階の映像はなかった。その階は防犯カメラが全て取り外されている。3週間前、突然そこにドリーム・ピンク通販という企業が入居した時だ。防犯カメラだけではない。ガードマン室からドアの鍵も撤去された。いや、正確にはドリーム・ピンク通販の事務所に通じるドアそのものが新しいものに取り換えられたうえ、合鍵は提供されなかったのだ。


 ドリーム・ピンク通販がどんな仕事をしているのか、浅野ら警備スタッフにも知らされていない。そのことが浅野には面白くない。神たる自分に、何故、情報がもたらせられないのか?


 わずかな手掛りはエレベーター内の防犯カメラが映す映像だった。その階でエレベーターを乗り降りする男たちにはアスリートのような体格の者がいれば、スーツ姿のサラリーマンのような者もいる。かと思えば、頭を金色や緑色に染めたヤンキーのような者がいる。アニメにでも出ていそうなイカレたドレス姿の女性もいて、人物から彼らの仕事を推理するのは難しかった。


「絶対、悪人集団だ」


 エレベーターを乗り降りする者たちの顔を見てそう思った。


 普通の通販会社ならドアまで取り替えて内部を隠す理由はない。社名から大人のオモチャの通販会社を連想して検索したこともあるが、そうした通販会社がヒットすることもなかった。


「いつか、罪を暴いてやる」そう決意した。


 冷めたコーヒーを喉に流し込むみ、1階のコンビニのカメラに切り替えた。そこでは万引きが多く、度々AIの警告が鳴る。オーナーからは、「万引きを防止しろ」「犯人を捕まえろ」と、クレームが多い。しかし、モニターで万引き行為を見つけることはできても、地下の警備室から1階に上がるのには時間がかかる。コンビニに着いた頃には万引き犯は逃走している。


 だから、そんな無駄なことができるか! それが浅野の意見だ。神がわざわざ出向き、空振りに終わるなどということがあってはならない。


 その日も万引き犯がいた。身なりのいい女性が化粧品のコーナーに立っていて、AIが挙動不審者だと警告していた。


 彼女は右手を伸ばすと、あっという間に商品の一つを手にし、左手に持っていたカバンに放り込んだ。防犯カメラは化粧品が書類の隣を滑り落ちるところを捕えていた。


「やられたな」


 万引き犯を捕まえに動くことより先に、オーナーの赤ら顔を思い出して嫌な気分になる。


「ざまあみろ」


 教えてやるものか。……そう思いながら、防犯カメラを操作して女性の正面映像をとらえた。どこかで見た顔だと思った。


「おとなしそうな顔をしているくせに、大胆だな」


 滅多に女性の顔は忘れない浅野も、彼女のことを思い出せなかった。ビルに出入りする人間の数は日々万を超える。漫然と覚えられるものではなかった。


「まぁー、よくある顔だ」


 それで忘れてしまえば話は終わりだった。しかし彼は、商品がカバンの中に落ちるとき、書類が映っていたことを思い出した。


 もし万引き犯の身元が分かれば、それをネタに彼女を呼び出し、自分の欲望を満たしてやろう。何故なら俺は神だからだ。


 彼は録画を巻き戻してカバンの中の書類を拡大する。【シヴァ対策室】といった見出しが見えた。


「シヴァ……」


 何故かその時、彼女を思い出した。9階でエレベーターを降りる姿だ。彼の中の悪魔が「これは使えるぞ」とささやいた。


 女性が万引きするシーンのコピーをメモリーカードに保存する。それを使って彼女の自由を奪い、情報を聞きだしてやる。動画をシヴァにあげると脅かしたら、彼女は恐れおののき、どんな命令でも受け入れるだろう。


「やっぱりこの仕事は楽しいぞ」


 浅野は哄笑し、モニターの映像を切り替えた。

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