第28話

 彼は自分を神だと考えていた。――HANAシティビル、地下1階警備室。大手建設会社を退職後、警備会社に再就職して7年、浅野幸四郎は警備室に並ぶ15台のモニターを眺めてニヤニヤしていた。テレビもあって、つけっぱなしのそれはお笑い芸人がMCを務める番組が映っていた。


 根はヤクザな性質なのだ。浅野は、本来なら真っ先にシヴァの餌食えじきになりそうなところだが、警備室のモニターの前に座っていることが多く、他人に姿を見られることがないために悪徳ポイントが増えなかった。


 ビルには2120台もの監視カメラが設置されている。15台のモニターは、一定間隔に切り替わって映されていて、AIが滞在者の怪しい行動を検知するとその人物を追尾し、常時、モニターに映し出している。警備員は彼らの行動に注視し続けるか、事件発生時、現場へ駆けつければいいのだが、彼はそれをしない。


 メインモニターは、警備員が見たいカメラの映像を自宅でテレビを見るのと同様に、好きな時に好きなサイズで見ることが出来た。モニターに映る不倫カップルや酔っ払いの人間模様を、ドラマを視るように眺めるのが浅野の監視カメラに対するむきあい方だった。


 浅野のお気に入りは、最上階の監視カメラだ。そこにはスターダストという三ツ星レストランがあって、着飾ったセレブや有名人が来ることがあるし、ウエイトレスは美女ばかり。そこの出入り口のカメラは広角レンズで見難いが、店内のカメラはズームも可能なリモートカメラだ。


 その日、結婚式帰りのような着飾った女性たちがどやどやと店内に入った。


「オー、好みだなぁ」


 女性たちの中に、40年も昔、学生のころに憧れていた女性に似た美女がいた。クラスの半分の男が告白し、玉砕した才女だ。何の取柄のない浅野には、告白さえ許されないような強いオーラのある女性だった。


 男という生き物は、昔の思い出をいつまでも忘れられないものらしい。60歳を過ぎた今、彼女は何をしているだろう?……浅野は、鈴美という彼女の名前を思い出し、甘酸っぱいものを覚えた。


 会ってみたいものだな。……浅野は舌なめずりした。会わない方がいいと理屈ではわかっている。彼女は、浅野のことなど憶えているはずがないのだから。


 エレベーターから10数人の男女が下りた。


「おや……、なんだ、あいつら」


 彼が感じるように、AIも注意を喚起していた。人々の全ての頭頂部に、黄色の警告マークがついている。


 集団の中央部には高級そうなスーツ姿の男性。彼を体格のいい男性が二人、挟むようにしている。それがSPだと、胸のバッチでわかった。ならば中央の男性は政治家に違いない。


 政治家は湯田康三郎ゆだこうざぶろう防衛大臣だったが、浅野は、湯田の顔を知らなかった。顏認証システムを使えば、有名人は判別できる。だが、浅野はそれをしなかった。政治家などに関心はない。いや、敵意と憤りで不快になるだけだ。「誰がこんな世の中にした!」それが正直な気持ちだった。


「政治家だって、ここではただの人間だ」


 彼はモニターに向かって言い放った。そこにいるのが誰でも同じだ。自分の世界、HANAシティビルの秩序を守れれば良いのだ。


 珍しいのは、政治家とSPを取り巻くように、10人ほどの男女が歩いていることだ。真中にいるのがアイドルならそういうこともあるだろう。しかし、政治家に対してそんなことがあるだろうか? 


 政治家を取り巻く男女はメディアの人間かもしれないと思ったが、それにしては若者が多く服装も乱れている。素性すじょうの良いものとは思えない。ところが、そんなかれらをSPは注意さえしない。


 湯田とSPの1人は脚を止めることなくスターダストの店内に入ったが、SPの1人は出入り口で立ち止まり、近くにいた店員を呼んだ。そこにビル内を巡回していた警備員の井上が合流した。


 浅野は、カメラ越しに彼らを見守り、好奇心を満たした。


 SPと店員、そして井上は、スターダストの出入り口をふさいで、スマホを手に湯田を追いかけようとする男女を押しとどめた。


「井上、どうした?」


 浅野は無線で井上を呼んだ。


『SPの要請です。彼らは、湯田防衛大臣暗殺をたくらむテロリストだそうです』


 スピーカーから声がした。


「テロリスト?」


 殺害対象者の周りを堂々と歩くのがテロリストだというので、思わず素っ頓狂な声を上げていた。


「テロリストなら、警察が対処するだろう?」


『彼らは武器を持っていないので、現段階では拘束できないそうです』


 井上の返事に「なるほど」とつぶやいた。


 シヴァの出現以来、世の中もテロも変わった。テロリストたちは湯田を付け回し、何らかのミスを見つけて撮影、シヴァを使って正々堂々、合法的に世の中を腐らせた為政者を殺すことができるのだ。「俺様のように」浅野の口角が上がる。


 SPたちは己の危険を顧みず、テロリストたちを懸命に制止していた。もし過度な制止を行えば写真に撮られ、命を失う可能性もあるだろう。


「警備員も同じだ」


 浅野は井上の姿に目をやった。彼は笑顔と真顔を使い分け、懸命にテロリストに対応している。しかし、どんなに頑張ったところで世間はそれを評価してくれない。それが現実だ。


「馬鹿なやつらだ」


 井上とSPらを鼻で笑った。もちろん武器を持たないテロリストも笑ってやった。浅野から見れば、両者ともに命を的にして働く、馬鹿な者たちなのだ。


 店内のモニターに目を移し、SP1人を残して席に着き、メニューを手にして何事もなかったような顔をしている湯田の顔をスマホで写した。その頭頂部からは警告マークが消えていた。


【部下を置き去りにして贅沢ぜいたくな食事をする冷血漢、傲慢ごうまんの罪】コメントを入れたところで、出入り口の変化に気づいた。


「おっ……」


 思わず声になった。井上とSPたちがテロリストの侵入阻止に成功していた。テロリストたちは店に入るのを諦め、出入り口と反対側の壁際に後退した。


 任務を達成した井上の顔をスマホで撮って手が止る。賛辞の言葉が見つからない。コメントを書いたところでシヴァでは役に立たない。それでテロリストの写真を撮った。


「俺みたいに、要領よく生きろよ」


 浅野はモニターに声を投げてから、音を鳴らすテレビに目をやった。バラエティー番組では、お笑い芸人が当たりさわりのないことを話している。


「こいつらも以前は面白かったのに……。告発を恐れて誰にも嫌われないトークをしようとするから、つまらん……」


 浅野は漫才師が映るテレビ画面をスマホで撮り、【公共の電波を無駄に使った罪】で彼らを告発した。

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