第31話

 シヴァ対策室第4回全体会議、スタッフ席の水卜沙也加は居並ぶエンジニアを見回した。彼らの顔には疲労が見えた。3週間、彼らは不眠不休の状態でシヴァの解析に努めている。当然だと思った。


「第4回全体会議を始める。ではいつものように、1班から状況報告してもらおう」


 山本次長がそう発言した時、「その前に」と手を挙げた女性がいた。辻見亜里沙つじみありさ、MSBから派遣されているエンジニアのひとりだった。ほぼスッピンの彼女だが、知的な美しさがあった。とはいえ、疲労による肌のくすみは隠せない。


「8班、辻見です」


「なんだね?」


 山本が眉間に皺を作った。


「数日前からシヴァを削除しようとしたエンジニアが4名、亡くなっています」


 彼女の発言に会議室がざわついた。彼女は彼らに目をやってから、山本に向いた。


「……エンジニアの交流サイトでは話題になっているので、ご存じの方も多いと思います」


「ほう、……それがこの会議とどんな関係があるのだね?」


 川野室長の声は穏やかだった。


「亡くなった技術者たちが所属していたのは、前回の会議で2班が指摘した、シヴァのダウンロード用ファイルが置かれた企業なのです」


「我々が悪いとでも?」


 智頭が冷ややかな視線を光らせた。自衛隊や警察庁で働くエンジニアは秘密保持の観点から交流サイトに属することを禁じられていて、民間のエンジニアの情報にうとい。


「いえ、そういうことではありません。この会議の内容が政府に漏れているのではないかと……。その情報をもとに、政府が企業に対してシヴァの削除を求めたのではないか、ということです」


「ここは政府機関だよ。私たちの成果を政府に報告するのは当然のことだ。違うかね?」


 川野が応じた。


「シヴァ対策室の存在が隠されているのは、シヴァを守ろうとする者から私たち自身を守るためと聞いています。それだけリスクを理解しながら、途中経過に基づいて、シヴァの削除に動いたのが問題ではなかったのか?……そう考えています。私と同じように考えている者がここに多いはず」


「我々があげた報告によって政府がどのような決断をするのか、君たちには関係のないことだ」


 川野の口調が命令調の冷たいものに変わっていた。


「そうはいきません。私たちの不十分な報告のために誰かが犠牲になるなど……」


 亜里沙が抵抗した。


「彼らの死は、シヴァによる制裁ではないのかね? ならば彼らに特化したことではないだろう。もちろん、シヴァ対策室の調査報告とは無縁なものだ」


 山本が断じた。


「いいえ……」亜里沙の声のトーンが上がった。


「それについては……」


 藤堂アドバイザーが亜里沙を守るように彼女の発言を遮った。


「それについては私にも情報があります。亡くなったサイバートランクのエンジニア、九十九元は確かにシヴァの手にかかった……」


 九十九の名前が出ると会場がざわついた。「あいつが?」「どうして?」「まいったな……」しまいにはため息がこぼれた。


「九十九元って、有名な人なのですか?」


 沙也加は声を潜め、隣の井上に尋ねた。


「うん。僕でも知っている。中学生の時にアメリカ国防省のサーバーに侵入したハッカーだよ」


「そんな人が、やられちゃったんですか?」


「削除しようとして死んでしまうって、……理解できないな。まぁ、ポイントが貯まって死んじゃうのも大概意味不明だけどね」


 藤堂が端末を操作してシヴァを開き、九十九のプロフィールを表示した。ハッカーとしての華麗な記録が画面を飾った。


 プロフィールにある悪徳ポイントは10000に達している。数々のハッキングの経歴を見れば、恨まれるのは当然だ。……沙也加は、彼の死の理由に疑念を持たなかった。


 画面がスクロールされて最下部の〝告発記録〟がタップされる。そうして表示された写真や動画は200件足らずで、ロリコンやハッキングを指摘したものを除けば、どれも微々たる不道徳行為のものばかりだ。


「……しかし、彼を告発したポイントの合計そのものは300ポイント程度。一般的な制裁とは違っている……」


「どうしてこれで死ぬ? 理屈に合わないぞ」


 山本の良く通る低い声がエンジニアたちの気持ちを代弁していた。


「これは仮説だが……」藤堂が言葉を区切り、ある一点を見つめた。


 沙也加は彼の視線を追った。ロリータファッションに身を包んだ女性、いや、少女を見ていた。ふざけるな、とでも考えているのだろうか?……沙也加の記憶では彼女は鮎川あゆかわレオ、MSBの人間だ。


「……鮎川、君から説明しなさい」


 藤堂が指名すると、彼女は「ふぅーん」と少し困ったような顔をして立ち上がった。彼女が全体会議で発言するのは初めてだ。


 エンジニアたちの視線が彼女に注がれる。金色の長い髪には高さ30センチもある大きなピンク色のリボン。白い肌に青い瞳が輝き、レースがふんだんについた白いドレスはフランス人形のもののようだ。ただ、ぽっちゃりとした容貌と背の低さは、というよりに近い。


「私が見つけたのは……」


 彼女は所属する班を告げず、いきなり話しだす。


「あんな女性いたか?」


 井上が顔を寄せて訊いてくる。


「最初からいましたよ」


「嘘だ。先週の全体会議にはいなかった」


「いましたよ。先週はゴスロリだったけど」


「ゴスロリ?」


 井上がレオを見つめる。


「ゴシックロリータ、……黒ベースのふわふわのドレスでした」


「黒……そういや、いたな。カラスアゲハみたいなやつ」


「それですよ」


「どうしてあんなのがいるんだ?」


「MSBですから、藤堂リーダーが引っ張って来たんじゃないですか?」


「あんな見た目でも、出来る奴ということか?」


「そうそう。見た目と中身は違うんです」


 沙也加が応じた時だ。レオが白いレースの手袋に包んだ指で、沙也加を指した。


「そこ、うるさい!」


「あ……」沙也加は恥ずかしさで言葉を失った。呼吸まで止まっている。


「すみません、注意します」


 井上が立って腰を折った。


「わかればよろしい」


 彼女がいかにも上から目線で沙也加たちをゆるした。


 ――コホン――


 小さな咳払いをするとタブレットをタップする。彼女から送られた映像が沙也加の画面にも映った。プログラムコード、文字と記号の羅列だ。


「最初のコードはループ型ウイルス、メビウスの輪のコードの一部に見えます」


 彼女の指摘に半分のエンジニアがうなずき、半分が首を傾げる。沙也加にはちんぷんかんぷんだ。


「そしてこれ……」彼女がタップすると、別のコードが現れる。「……これは自己増殖型のウイルス、SEEDに似ています。これらから推測できるのは、シヴァは削除されると同時に分身を生み出す、自己防衛システムを持っているということです」


「なるほど。……しかし、それと九十九元の死と、どう関係するのだね?」


 川野が尋ねた。


「シヴァは破壊と創造の神。彼女、いや、彼でしょうか?……私には神様のことはわからないけど、神様である以上、神はルールそのものです。ルールの変更を許さない」


「ルールの変更?」


「シヴァを削除してゲームの外に出るのは、ルールの変更です。そんなことをしたらサッカーならレッドカードです」


 レオは満足そうな表情で腰を下ろした。


 ゲーム、ルール。……沙也加の脳裏を新宿駅で会った有無大無うぶたいむの顔がよぎった。


「即退場。……つまりそれが、告発のない10000ポイントの意味か?」


「おそらく。……シヴァに触れるのは非常に危険です」


 藤堂が応じた。会場がシンと凍った。


「すると我々は、手も足も出ない?」


「そんなことはない!……」顔を上気させた山本が声をあげる。「……だからこそ、我々がいるのではありませんか!」


 彼が気勢を上げても、会議室の空気が溶解することはなかった。

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