第32話

 シヴァ対策室の全体会議は、シヴァを削除、あるいはそれに手を加えるリスクを突き付けられて長い沈黙が続いていた。


 エンジニアたちが沈黙するほど技術的には困難な事態なのだろう。……沙也加は忸怩じくじたる思いで事態の進捗を見まもった。


「それほど難しく考えるものではない。活路はある。前回の会議で名前のあがったアートマンの身元が判明したのも良い兆候だ」


 川野が明るく語った。演技に違いないが、それでエンジニアたちの瞳が輝いた。彼らはシヴァを作成したアートマンに強い興味を持ち、尊敬の念さえ覚えているようだった。


「公安部からの歓迎すべき情報です。井上君、頼むよ」


「はい」


 井上が立ち上がる。その手にはいつもの端末を所持しているが、データは共有されなかった。「秘密保持のためです」彼が語り、報告を始めた。


「……CIAがアートマンを特定しました。シヴァがアメリカに送り付けられたのがインドのバラモン寺院の端末からと判明、足跡をたどったそうです。アートマンの正体はアジェイ・シンというインド人です。残念ながら、現在の彼の所在は不明。インド警察とCIAが追っていますが、向こうは10億を超える人口です。簡単には見つからないでしょう。……シンは7年前に日本へ研究目的で入国しています。国内での活動状況は、目下、公安部が追っていますが、昨日までわかったことに関して、情報を共有します……」


 彼の得意げな報告を、沙也加は面白くない気分で聞いていた。同じスタッフなのに、自分には何も知らされていなかったからだ。


「……シンが入国したのは7年前の9月。二十歳はたちの時です。日本では有明地区に住み、城西先端技術大学の大学院に通った。二十歳で大学院に通ったわけですから、IT技術においては優れたものを持っていたと思われます。当時の教授陣の評判も良く、日本で仕事を見つけるものと考えられていたそうです。これが、当時の彼です……」


 正面のモニターに研究室の仲間とともに撮ったと思われる集合写真が映された。13人の男女が映っていて、教授以外は若者ばかりだ。後列の左端に細身で茶褐色の肌の男性が映っている。それがシンだ。黒い髪は短く刈られていて、瞳は灰色。彫刻のような彫の深い顔には、知性と懐疑がにじんでいた。希望に燃えているのか、くぼみにある二つの瞳には若者らしい輝きがある。


「……シンの一家は裕福で敬虔けいけんなバラモン教徒でした。シン自身、日本に来てからも神と交信していたそうです。神との交信とは何を意味するのか、わかりませんが、彼は友人たちにそう話していたそうです。……ところが2年後の12月。シンは、突然帰国します。冬期休暇中のことで、大学院の関係者の中には直接理由を聞いたものはいないそうです。居住していた有明近辺のインド人たちの話によると、10月ごろにインドで両親と妹たちが殺害されたのが帰国の理由のようです。殺されたのも宗教的な理由のようですが、現地では十分な捜査はされておらず資料も残っていないとのことです。……ちなみにCIAの報告では、シンの一家の財産は遠い親戚のものになっていて、彼らもシンの所在は知らないと言っているそうです。有明のインド人たちは、葬儀がすんだら、シンは戻ってくると考えていたそうですが、シンは戻らず、何らかの連絡を取り合った者も見つかっていません。……シンは十分なITスキルを有しており、家族の復讐をはたすためにシヴァを世に送り出したというのが公安部の見立てだそうです。シンの近辺にはIT関係の仕事に従事しているものが多く、彼らの中に共犯者がいる可能性も高いので、そちらも並行して調査しているとのことです。以上です」


 井上は腰を下ろすと、ふーと、長い息を吐いた。


 家族を殺され、世の中をはかなんでシヴァを作ったのか。……沙也加はシンに少し同情したが、彼の行為を肯定する気持ちにはなれなかった。


「……神がかったITエンジニアか。……それで人が殺せるなど想像できんな」


 声にしたのは山本だった。


 あなたが理解できなくても、実際に人は死んでいるのよ。現実を見なきゃ。……沙也加は彼に向かい、音にならない声を投げた。


「はーい!」


 レオが手を挙げてひらひらさせた。


「ちなみに、シンの家族を殺した犯人たちはシヴァで死んだの?」


 井上が感情のない表情で立ち上がる。


「現地での捜査は不十分で、犯人は特定されていないそうです。従って、シンが復讐という目的を達成したのかどうか、わかりません。……これは想像ですが、犯人がわからないからこそ、シンはシヴァを創ったのではないでしょうか?……人を殺めるような悪人なら、周囲の者は様々な悪事を承知している可能性が高い。そういった市民が犯人を殺してくれることを期待してのシヴァだと思います」


「なるほどねぇ」


 レオが言った。


 さすがだわ。……沙也加も井上の推理に感心した。川野に報告書の代読を任されるだけのことはあると思った。

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