エンジェル
第34話
――F先端技術大学情報工学部片岡研究室。……研究員と学生が
シヴァがある以上、いつかはこうなると思っていた。……それは大無の率直な気持ちだが、口にすべきことではなかった。ただ深い憂慮の表情を浮かべたままにして端末に向かい、仕事をしているふりをしながらスマホの中の里琴の写真をすべて削除した。彼女を告発できる写真や動画は100以上も撮ったが、シヴァに送ったものは1件もない。
一方、シヴァで里琴の〝告発記録〟を確認した円谷と加藤は、そこに自分たちが映った動画や写真がないことにホッと胸をなでおろしているようだった。
「二宮、死者に
円谷が〝告発記録〟の里琴と外国人が化粧室で抱き合う映像に目じりを下げながら、二宮を慰めた。
「僕は何も知らなかった。……それが苦しいです」
二宮はシヴァを開かなかった。
彼は優しいのだ。……大無は完成した医療ロボットのプログラムのマニュアルを作成しながら、彼を包む悲劇を
「こういう時は飲むに限るんだ。行くぞ、二宮」
円谷と加藤が彼を連れ出した。他の学生も二宮を励ますためについて行った。
「私は帰るわね」
涼宮ノエルの声に大無は頭を持ち上げた。パソコンの電源を落とした彼女がカバンを取ったところだった。
「お疲れさまです」
「メンテシステムのプログラムも完成したのでしょ?……有無さんも早く帰ってくださいね」
「ええ、マニュアルに手を加えたら帰ります」
「それじゃ、お先……」
ノエルが研究室の扉を閉める。一瞬、空気がシンとし、やがてブーンという機械音だけが耳に残った。大無は1人だった。
マニュアル作成を言い訳に使ったが、実際はそれも出来上がっていた。ホッと息を吐き、コンピューターエンジニアたちが交流するサイトを開いた。
最初に視るのはホットニュース。最新技術や人名、新型機器など、エンジニアたちの中で話題になっているテーマがランキングで表示されている。その日のトップニュースは九十九元の悲報だった。一昨日、彼はシヴァの削除作業中に突然死したという。
「まさか……」頭が真っ白になった。
九十九元は子供のころからの憧れの存在だった。彼がアメリカ国防省のサーバーに侵入したというニュースを視て、ハッカーになろうと決めたくらいだ。それから彼の情報は常に追っていた。彼と交流があったわけではない。九十九と同じサイバー空間にいても、その存在を肌で感じるだけでメッセージを送ることもなかった。
「九十九元が死んだ……」
声にすると彼の死の重みは倍加した。
シヴァを開き彼の悪徳ポイントを確認する。情報サイトでささやかれているように、彼を告発した悪徳ポイントの合計は10000に遠く及ばない。それでも彼は死んだ。
「何故だ?……」
バックドアを通じてシヴァのプログラムを探り、悪徳ポイントの仕組みを調べた。九十九の場合、悪徳ポイントがオーバーフローして命を奪われたのではなく、プロフィールの合計表示が強制的に書き換えられたように見えた。
「この先に死をもたらすシヴァの核心部分があるのか……」
中国版を解析した時は無視した小さなファイルを開いた。それは他のシヴァとデータをやり取りする役割のものだと考えたからだ。
しかし、それが間違っていたらしい。そこには暗号化されたコマンドがいくつかあった。多くはネット上にデータを送るコマンドだ。それらをたどると、それぞれが世界中のサーバーに分散したサンスクリット語の圧縮ファイルにつながっていた。その中のいくつかのファイルを展開する。サンスクリット語をAIに解釈させると、バラモン教の経典〝ヴェーダ〟の一部ということだった。
「本当にシヴァ神につながっているのか?」
背筋を悪寒が走った。
――期間は3年。その間に、シヴァの過ちを正すのだ――
閻魔大王の声が頭を過る。その3年まで、残りは4カ月ほどだった。
顔認証システムの精度アップ、外部からの直接入力による誤認防止、GPSによる利用可能エリアの限定。……できることは全てやってきた。しかし、それでシヴァの過ちを正したという確信はない。3年、……やってくるその時のことを思うと、全てを投げ出してしまいたくなる。
ぼんやりとヴェーダの一節を読んだ。神々の物語だ。人間は神の道を進んで宇宙と一体化するとか、闇の道を伝って現世に戻るとかいった内容だ。闇の道は冥界から戻った自分を想像させるが、元の肉体に戻った自分のようなことを意味しているわけではないだろう。いずれにしても、ヴェーダの断片にシヴァの名を見つけることはできなかった。
――ピコン!――
金属音がして意識がヴェーダから解放された。
ホットニュースに新しいニュースが上がっていた。CIAがシヴァを創ったアートマンを特定した、というものだった。そこにアジェイ・シンの名があった。
大無は、さっそくアジェイ・シンの調査にかかった。プログラムには作成者の設計思想が反映される。シンに関する情報はいくらあっても多すぎるということはない。
彼の痕跡は、城西先端技術大学の大学院のサーバーに残っていた。そこに侵入してみると、彼が作成した隠しホルダーを発見した。どこの大学のサーバーも、古いファイルがごみのように溜まっているものだ。
隠しファイルの中身は、レポートやシヴァの構想メモ、プログラムの断片だった。肝心のシヴァの過ちや、人を殺害する仕組みについて、参考になるものはなかった。
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