第5話
打ち合わせを終えた雛乃が席に戻ったのは昼になろうという頃だった。
「係長、シヴァの件はどうなったのでしょうか?」
沙也加は念のために訊いた。シヴァの被制裁者リストには、すでに20を超える名前が並んでいる。SNSではシヴァによって死者が出ていると話題になっており、シヴァがどんな仕組みで犯罪者に死の鉄槌をくらわせているのか、様々な憶測が飛び交っている。総務省が管理している国民情報との関連が話題に上るのも時間の問題だろう。
「まだ結論は出てないわ。でも、夕方には官房長官がメッセージをだします」
「どのようなものですか?」
江東が話に加わった。ベテランの職員たちは何食わぬ顔で自分の仕事を進めている。
「シヴァが人間を殺している事実はない。それを使って他人を誹謗中傷することがないように。そんなものだと思うわ」
「そんなぁ。中国では、治安維持のためにそれが使われていると、国民はみんな知っています。今日の死者とシヴァが無関係だと声明を発したところで、誰も信じませんよ」
「中国だって、国民の死とシヴァが関連していると合理的な説明はしていない。たまたまシヴァで写真を撮られた者が、たまたま死んだというだけなのよ。合理的な説明ができない以上、政府としてそれを認めるわけにはいかないわ」
「それって、データ上で数量的な相関関係があっても、科学的な因果関係が説明できなければ、因果関係はない、ということですよね。おかしくありませんか?」
江東に代わって沙也加が訊いた。
「江藤君も水卜さんも若いわね。はやく組織に馴染んでちょうだい。上の決定は絶対なのよ」
雛乃は厳しい口調で部下の口を封じた。
沙也加は言葉をのみ込んだものの納得したわけではない。こんなことだから日本の官僚組織も国家自体も衰退していくんだ、とヒラメ顔の係長の横顔を見ながら、その日の仕事を粛々と進めた。
結局、その日はシヴァに関して何の判断も示されず業務が終了した。夕方の官房長官談話も雛乃が言ったような形式的なもので、記者の質問も当たり障りのないものばかり。深堀りすることはなく、ゆるゆるだった。
とはいえシヴァの被制裁者リストやネット情報を信じれば、シヴァによる死者は増えるばかり。その数は三桁に乗っていた。
SNSでは様々な推測や憶測、噂が飛び交っていたが、テレビや新聞といったマスメディアはダンマリを決め込んでいた。彼らは十数年も前から想像力や分析力を放棄しており、政府の公式見解や権威者の意見がなければ何も報じない。独自の見解を報じて「エビデンスを示せ!」と追及されるのが煩わしいのか、怖いのか……。そんなメディアが、アプリのシヴァが人を殺している、などと報じられるはずがなかった。
日常業務を終わらせた沙也加は飛ぶように帰宅した。未悠に釘を刺さなければ若い身空で棺桶に横たわることになる。そうなったら、妹も後味が悪いだろう。
帰宅時の電車内には微妙な空気が満ちていた。多くの乗客が、朝の電車で痴漢を働いた男性がシヴァの制裁を受けて死んだことを知っている。痴漢をしないのは当然のこと、誰もが他の乗客の目に留まらないよう、置物にでもなったように気配を殺していた。そうして身を縮めながらスマホを片手にしているのは、自分の悪徳ポイントが気になるのか、誰かの犯罪や不道徳の現場を撮影しようと虎視眈々とチャンスをうかがっているのか?……中国はずいぶん前からこんな風なのだろうと思うと胃がキリキリ痛んだ。
沙也加はシヴァを開いた。自分の悪徳ポイントを確認する。
12ポイントか。……朝と変わってないのを知って、ホッと胸をなでおろす。クンと血がひく感覚がある。電車が減速していた。
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