第23話
「アメリカで、また乱射事件があったようね。今度はクラッシック音楽会場だって」
出勤前、水卜沙也加はテレビニュースを視ながら納豆をかき回していた。
「自動小銃を普通に売っているのだから、自業自得だ」
茶の間に姿を見せた父、岩丈が無慈悲に言った。
「でも、被害者はいなかったみたいよ。撃つ前にシヴァにやられたみたい」
「なんだ、アメリカにもシヴァがあるのか?」
「アメリカは長い間シヴァの侵入を防いできたけれど、とうとう入り込まれたようよ。アメリカでさえ防ぎきれないのだもの、今では、シヴァのない国の方が珍しいと思うわ」
「なんとも情けない世界だな。……日本も、国民がシヴァに裁かれるのを放置しているのでは、犯罪者を裁く司法権を放棄したようなものだ。……いや、市民の投稿で裁かれるという点では究極の民主主義か?……国家という統治機構も無用の長物になる時代が来るのかもしれないな」
沙也加を見る岩丈の視線は、官僚である彼女を責めているように見えた。
日本版のシヴァによる最初の被害者が出てから日々死者は増加し、1週間後には1日で千人を超えた。しかしそれからは徐々に告発投稿が減り、死者も減った。人々が法令を順守し、倫理的な行動に努めるようになったからだ。が、それだけではない。
当初は恨みやストレスを告発という形で解消した市民や遊び半分に投稿した若者など、多くの人々が、自分の行為が誰かを殺したことに気づいた。間接的であれ、他人の命を縮めるのに手を貸したのだ。そのことに不安や恐怖、後悔を覚えてもおかしくなかった。このままではいずれ自分がターゲットになる、という緊張感にも耐えることができなかった。
自分を許すためには他人にも寛容であらねばならない。多くの市民は穏やかな暮らしを望み、ただいたずらに告発することはなくなった。
とはいえ投稿が皆無に、そしてシヴァによる死者がゼロになったわけではない。明らかに誰かの死を望んで投稿する冷酷な、あるいは怒りや恨みを抱えた、そんな人間も少なからず存在した。
それだけではない。明文化された法律は守れても、地域や世代で分化した価値観や道徳を守るのは難しい。エスカレーターの右側に立つべきか左側に立つべきか、高齢者には敬語を使うべきか親しみを込めて話すべきか、子供は優しく育てるべきか厳しく育てるべきか、……そんな価値観の違いは問題提起として投稿された。人々はシヴァが認める価値観は何かを求めて疑心暗鬼、毎日、百人程度がシヴァの犠牲になっていた。
政府はシヴァの対応をデジタル庁に任せていたが、彼らの関心事はもっぱら誰がシヴァを日本語化して公開したかという犯人捜しにあって、シヴァから国民を守る方法は後回しになっているように見えた。
「政治家だって、シヴァ問題には後ろ向きなのよ。SNSから政治批判が減ったって、喜んでいる議員さえいるわ」
沙也加は自己弁護のために政治家を持ち出した。
国会では野党が、シヴァから国民を守れない政府を責め立てていたが、政府は「シヴァと国民の死に因果関係があるというエビデンスは認められない」「シヴァの解析は、世間を風評被害から守るために実施しているに過ぎない」という通り一辺倒の返答を繰り返していた。
実際、霞が関の内部にいる沙也加が見ても、政府がシヴァの解析に本腰を入れているようには受け取れなかった。それへの人的、財政的投資はあまりにも少ない。むしろ、その出現によって犯罪行為や政府批判が減っており、政府と与党はシヴァの存在を歓迎しているように見えた。
与党の政治家が満足していたら官僚への八つ当たりのような風当たりもなく、官僚も動かない。そんな政治家や官僚に岩丈は批判的だ。
「政治家も官僚も、情けないな」
「お父さんだって、シヴァのお陰で商売繁盛じゃない。葬式の予定がずっと埋まっているでしょ」
「国民の奉仕者たる公務員が不謹慎なことを言うものではない。死者の増加を喜ぶなど、
「それを言うならシヴァの罰かな」
その声は扉の陰から現れた妹、未悠のものだった。彼女はまるで幽霊のように力なく顔色も悪い。以前の陽気で図々しい彼女とは全然様子が違っていた。それも彼女の悪徳ポイントが増えたからだが、幸か不幸か、それは5000ポイントを超えたところから増加が鈍化し、まだ7000ポイントには達していない。講演会をする度に大量にポイントを増やした岩丈のそれも、葬儀が増えることで講演会が中止に追い込まれ、横ばい状態が続いていた。
「不謹慎な公務員、とか、写真、撮らないでよ」
念のために言った。
「うん。お姉ちゃんのは撮らないよ。……あぁ、しんどい」
大きなため息をこぼしながら未悠が腰を下ろす。
「なんだ、具合でも悪いのか?」
「もう、お父さんは
「悪いことをしていなければ心配ないだろう。それともなんだ、やましいことがあるのか?」
「もぉ……」
未悠が口を尖らせたところで、沙也加は台所に立った。近くにいたら、官僚なら何とかしろ、と未悠に責められるからだ。
「沙也加、ちょうどよかった。手伝って」
母親の恵登が塩鮭を焼き上げたところだった。それを皿にのせて茶の間に運んだ。父親と妹はそれぞれの悪徳ポイントを確認しながら、「善行を積めば殺されない」「何をしても嫉妬で殺される」、と主張をぶつけ合っていた。
「もうもう、朝ごはんの時ぐらい穏やかな気持ちでいなさい!」
恵登の一喝で親子の議論は立ち消えになった。
§
沙也加が総務省の自分の席に掛けて仕事の準備をしていると、隣の席の江東陽介に声をかけられた。
「水卜さん、これ知ってる? たった今配信されたんだ。週刊ネットブンチンのスクープ……」
彼に向くと、目の前にスマホが突き付けられた。
【
センセーショナルなタイトルが目に飛び込んでくる。建設会社の社長が湯河原のもとに日参して産廃処理場建設支援を要請し、現金を渡したという記事だった。
「うわっ」
声を殺しながらも、思わず叫んでいた。
「ヤバイよね?」
「ヤバイです」
今まで国会議員がシヴァの手にかかったことはない。しかし、今度ばかりはヤバいのではないか? 2人はがそう思った。
「でも、証拠はないのでしょ?……」
沙也加の声を聞きつけた係長、彩川雛乃の冷徹な視線が2人に向いていた。
「……何があろうと、その現場を国民は見ることができない。あくまでもネット週刊誌の憶測記事だもの。シヴァの手が及ぶことはないですよ。そんなことより、自分の仕事をしっかりしてくださいね。油を売っていると写真を撮られますよ」
彼女はそう指摘して自分の仕事に戻った。
「なるほど……」
沙也加と江東はうなずきあい、ルーチンの作業に戻った。
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