第24話

 湯河原好夫ゆがわらよしおは威風堂々とした容貌とオープンな性格で、世間からは清廉潔白、かつ大物政治家と認識されていて、彼の前から客が絶えることはなかった。


 週刊ネットブンチンが彼の贈収賄スクープを報じる2週間ほど前。……その日、議員会館に訪ねてきたのは、産業廃棄物処理場を建設しようという富田大造とみただいぞうだった。彼は湯河原の選挙区の有力者である。地元の有力者といえば、市町村の組長か議員、地元企業の経営者、地主などと、地域で意見の通りやすい大きな声の人物と相場が決まっていて、時にはと称される反社会的団体の関係者も含まれている。


 富田は、大地主であり建設会社の経営者だ。不動産取引業の資格も有している。社長といえば聞こえはいいが、事務員と現場監督の2名を除けば、社員はみんなすねに傷を持つ男たちだった。彼らが実際に工具を手にして働くこともあるが、それは稀だ。富田の会社は、もっぱら彼の顔の広さを利用して受注した工事を他の建設会社に丸投げしていた。それは一括下請いっかつしたうけ禁止をうたう建設業法に抵触する行為だが、それも発注者の同意が得られていれば合法という抜け道があるので、……建設業法を知っている発注者はほとんどいないから、なんとでもなってしまう。


 時に富田は、強引な地上げを行ってマンション事業者に転売するような、かつて反社会的団体が行っていた仕事をすることもあった。従って、富田がまっとうなビジネスマンなのか、あるいは反社的な人物なのか、それは灰色といえた。


 そんな富田が、山間部の土地を安く仕入れて産業廃棄物処理場を造り、ひともうけしようとしていた。相変わらず日本は日々膨大なゴミを生み出しており、産業廃棄物処理場の需要じゅようは絶えない。ところが、彼の計画は地域住民の激しい抵抗にあっていた。


「湯河原先生、ひとつ、住民を説得いただけませんか?」


 富田は手もみでもしそうな低姿勢だった。


「近隣住民と話しをつけるのは、どちらかと言えば、富田さんのような方たちが得意としているところではありませんか」


 湯河原の隣で秘書の毒島どくじまが突き放すように応じた。富田のような男との付き合いは議員としては避けたいところだ。それを湯河原本人の口から言っては角が立つので、毒島が代弁したのだ。


「おっしゃる通りですが……」


 富田が使い慣れない敬語で言いながら、懐からスマホを取り出した。


 毒島は身を乗り出して彼の腕をつかんだ。


「富田さん。録音は困ります」


「いえ、これを見てほしい」


 力では、富田が勝った。毒島の腕を振り払った富田が、シヴァを開いて湯河原の前に置いた。


「うちの若い者のポイントです」


 湯河原は他人のポイントを見るのが初めてだった。


「悪徳ポイントですな。9111……」あと900ポイントほどで10000ポイントに達するところだった。


「ええ、近隣住民を脅かしに、いや、話し合いに行くたびに、増えてしまうのですよ。うちの若い者、いや、社員は、もうビビってしまって役に立ちません。それで、湯河原先生のお力をお借りしたいのです」


 富田はパンパンに膨らんだカバンから、ねじるようにしてデパートの紙袋を取り出し、カバンはぺしゃんこになった。


 湯河原の前に差し出された袋には、菓子箱の他に札束が入っている。電子マネーが主流のご時世、現金を持ち込むにはそれなりの理由がある。金銭授受の痕跡が残らない。


「これは?」


「手付代わりの菓子です。先生の選挙のお役にたつはずです」


 湯河原の頬がピクリと動いた。


 それを欲している。……毒島は、湯河原のわずかな表情の変化を見逃さなかった。


「お菓子ということであれば、頂戴ちょうだいいたします」


 包みを手にすると、奥の棚に置いた。支援者からの寄付は珍しいことではない。それが現金であることも。


 現金を受領して領収書を発行し、政治団体のに記載することで、それは合法的な政治献金になる。しかし、口利きという対価を伴った献金は賄賂で、贈収賄という立派な犯罪だ。おまけに富田の素性は灰色。それが純粋な献金だとしても、政治資金収支報告書には載せがたい。従って富田の資金提供に対して領収書は発行できないし、政治資金収支報告書に記載することもない。それは、二者の暗黙の了解だ。


 相変わらず、湯河原は何も言わない。彼は現金の授受が口利きの対価にならないよう、知らぬふりをして形式的に取り繕っているのだ。


「先生、なんとか、よろしく……」


 富田が深く頭を下げる。その額は応接テーブルに接していた。


 湯河原は、富田の後頭部を見て口を開く。


「まぁ、日本の発展には産廃処理場も必要な施設です。秘書の方から関連方面に確認させましょう」


 彼は、便宜を図るとは口にしなかった。それで贈収賄は成立しないと確信していた。


 ところが湯河原と富田の関係が週刊ネットブンチンで配信された。


【湯河原好夫議員、産業廃棄物処理場建設で口利きか! 大規模事業の甘い汁!!】


「どこから情報が漏れた?……こんな悪評をばらまかれて……。まもなく選挙なのだぞ!……まさか、毒島……」


 湯河原が毒島をねめつける。


「滅相もありません。私はリークなどしていません。それをして、私に何の得があるというのです。実際……」


 毒島は記事を指し、自分も現金のやり取りの関係者に名を連ねている。リークなどをしても何のメリットもない、と主張した。


 その時だ。――グッ……、湯河原が胸を押さえて倒れた。


「先生!」


 毒島は慌てた。それでも本来冷静な秘書だ。やるべきことは忘れなかった。スマホを取って救急隊に出動を要請した。


 翌日、湯河原と毒島の死亡記事がメディアを賑わせた。毒島からの通報を受けた救急隊が湯河原邸に駆け付けたところ、議員と秘書が折り重なるようにして亡くなっていたというニュースだった。


 ――総務省自治行政局情報管理課事務室、……江東がどこか楽しそうに語った。


「湯河原議員、亡くなったな。シヴァだ」


「そうなの?」


 沙也加はシヴァを開き、湯河原の名前を検索した。実際、その名前はあった。


「議員の悪事を写真に収めるなんて無理なんじゃ……」


 それは先日、上司に指摘されたことだ。


 疑問を口にしながら、彼のプロフィールにある告発記録のタグを開いた。


「これは……」


 最初の写真はインターネット上に公開されている政治資金収支報告書のスクリーンショットだった。その写真には【富田大造から受け取った金の記載漏れ】とあった。その後に続く多くの写真も週刊ネットブンチンの記事のスクリーンショットだった。


【悪徳政治家、許すまじ】【善良なふりをしながら、裏では贈収賄】【貧乏人の想いを知れ】【自分だけ甘い汁を吸うとは】……コメント付きの写真が並んでいる。高級クラブで美女と並び満面の笑顔を浮かべる湯河原の写真にも同じようなコメントがついていた。


「金には誰からもらったとか、何のためのものだとか書かれていない。シヴァのAIは、現金の授受やそれが適正に報告されていなかったこと、遊興ゆうきょうに使われたことなどを推認して悪徳ポイントに加算したのだろうな」


 江東が感心するように言った。


「週刊誌のスクリーンショットが告発に使えるなんて、出鱈目でたらめが過ぎるわ」


 沙也加は愕然がくぜんとしていた。


「シヴァが罪だと認定できるなら、証拠は何でもいいということだろう」


 彼は係長席に目をやった。そこには昨日「……何があろうと、その現場を国民は見ることができない。……シヴァの手が及ぶことはないですよ」と自信たっぷりに語った雛乃の暗い顔があった。

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